K. Baji

今にしてみれば、ちょっとした反抗期のようなものだったんだろうなと思う。あそこの中学は荒れてる子が多いから私立にしておきなさいと 口酸っぱく言ってくるお母さんの言葉を無視して順当に小学校のときの友達と同じように一番近くだった中学へ入学したときも、部活で流す青春の汗がどうたらと熱弁された後の部活動紹介でいまいちどこの部活にもピンと来なかったせいで見学もそこそこに家に帰ってしまったときも、口を開けば説教ばかりの先生の授業にうんざりしてわざと宿題を忘れたりしたときも、どれもこれもが私を支配せんとするものへの反抗だった。 ちょっとだけでも大人になりたかったし、なれたと思っていた。そう、場地圭介という人に会うまでは。

誰もが知っていることだが場地くんは筋金入りの不良だった。東京なんちゃらという厳ついのついた暴走族のチームに入っていて、夜な夜な集会に繰り出しては他のチームとの喧嘩に明け暮れており、そのせいで学校にはあまり顔を出さなかった。絵に描いたような不良だ。教室に全然いないせいで留年してしまうんじゃないかと一部では心配されていたそうだけれど、ずばり的中、見事にそうなってしまったらしく2年生に上がる頃には教室で姿を見かけることはなくなってしまった。義務教育でも留年ってあるんだなあと私はまた一つ賢くなり、そして学年一の不良と名高い場地くんの様々な不良エピソードを聞いた私は短くも儚かった反抗期を辞めた。

だって私、あんな風にはなれないし。グレるのにも才能がいるんだなということを思い知らされた瞬間だった。勉強もスポーツも人付き合いも、ヤンキーになるのも、この世界では何もかも才能がいる。肝っ玉の小さい私は社会に反抗したくともヤンキーになる才能はなかった。ただそれだけ。それだけだけど、たまに学校に来ては喧嘩のことやチームのことを楽しそうに話す場地くんのあの表情がやけに印象に残ったことだけは覚えている。

どこからどう見ても場地くんは不良だったけれど、学校の人には迷惑をかけないタイプの不良だった。たまに教室に顔を出してもクラスの大人しい子をいじめることは決してなかったし、先生を殴ったりもしなかったし、学校中の窓ガラスを割って回ったりすることもない。ただひたすら凄まじい音を立てながらバイクで町中を駆け回っては売られた喧嘩を買いまくり、時折思い出したかのように教室に現れては「つまんねぇ」と言って3時間目あたりでふらっとどこかへ消えていく。先生たちからしたらたまったものではないだろうけど、その自由さは確かに私たちティーンエイジャーの心に憧れのようなものを植え付けた。あんな風に自分のしたいように生きれたらそれはそれは楽しいだろうなあという羨望のような気持ちを彼に抱いていたことは確かだ。

そんな風に憧れに近い感情を抱きはすれど遠い世界の人だと思っていた場地くんと思わぬところで接点を持つことになったのは、2年生になって彼の姿を学校で見かけることはなくなって学校やめちゃったのかなと思っていたある日、通っていた図書室で七三分けの真面目そうな生徒に「あの」と声をかけられたときだった。長い黒髪を撫で付けるようにして今時お笑い芸人でもかけてないだろうと思えるような瓶底メガネをかけたその男子生徒の出で立ちにぎょっとしつつも「何ですか?」と声をかけようとした途中、胸ポケットの名札に付けられた『場地』のを見て固まる。場地。この学校に、場地という生徒は二人もいただろうか。決してよくあるじゃないし、でも私の知る場地くんと目の前の彼は似ても似つかないし……としばらく固まったままでいると、名札に注がれている私の視線に気付いたらしい彼が瓶底メガネを外し、ぴっちりと分けられていた髪を解きながら「気付いた?」と尋ねてくる。その顔はまさに私が知る場地くんそのもので、こくこくと頷くと「良かった」と笑った彼は教室で見たときの顔よりもいくらか幼く見えた。

「おーいたいた。ちゃん」
「場地くん。また分かんないとこあったの?」
「今日やった英語のとこ。マジで全部意味わかんねぇ」
「これからどんどん難しくなってくるんだから今から諦めてちゃダメだよ」

誰もいない図書館の自習スペースで鞄から取り出した英語の教科書を開いたきりまったく動く気配を見せない場地くんに向かって頑張れ頑張れと言いながら励ましの意味を込めてガッツポーズをしてみせると、一瞬ポカンとした後に「またダブるわけにもいかねぇもんな」と八重歯を見せて笑った場地くんのその顔が学校や町で喧嘩しているときの怖い顔とはまるで別人の普通の男の子みたいで、なんだかどぎまぎしてしまうのを誤魔化すように咳払いをした。

図書室で何故か七三分けに瓶底メガネのガリ勉ボーイ姿に変身していた場地くんに声をかけられたあの日以来、場地くんは私の姿を見かけると話しかけてくるようになった。そして、あれ、これってもしかして私場地くんに懐かれてる?と考えるようになったのは場地くんとのこうしたやりとりが10回目の大台に乗りかけたときのことだ。初めて図書室で話したときに漢字が苦手で覚えられない(だから誰かに教えてもらおうと思って、そのとき図書室で難しい本を読んでいるように見えた私に声をかけたらしい)と言っていた場地くんは英語も数学も理科も社会も満遍なく苦手みたいで、テストの時期が近づいてくる度に「これ以上ダブれねぇ」と言って頭を抱えていた。見かねた私が「良ければ分かんないところ教えようか?」と助け舟を出し、それに食い気味で乗っかってきた場地くんに学校の図書室や図書館やファミレスで勉強を教えるようになって、今に至る。

何だろうこれは。どうして私はヤンキーでもないのにヤンキー代表みたいな場地くんとファミレスの同じテーブルに座ってパフェ(勉強教えたお礼と言って場地くんが奢ってくれた)なんか食べてるんだろう。一通り英語の勉強を終えて図書館から出るときに場地くんに「この後ヒマ?」って呼び止められて「うん」って返したら「ファミレス寄ってこうぜ」と言われ、上手い断り方も思い浮かばなかったものだからそのまま着いてきてしまった。明日英語のテストなんだと言う場地くんはまた英語の教科書を鞄から引っ張り出して例文を暗記しようと躍起になっていて、目の前に座って難しい顔をしている場地くんの艶のある黒髪を見てもう一度思う。何なんだろうこれは。自分でもよく分からない状況だけれど、分かるところが一つずつ増えていく度に「やっぱオマエすげぇわ」と言ってニカッと笑いかけてくれる場地くんの顔と、こうして2人でいるときの時間は、そんなに嫌いじゃないなと思ったりして、そんなことをつらつらと考えながら変わり映えのない日々を過ごしているうちにもう冬が近づいてきていた。

季節が巡るのは早い。寒くなってきたなあと思っていたらあっという間に年越しも中間テストも終わってしまって、気がつけばもう明日はバレンタインデーだ。友達と交換する用に作った大量のトリュフチョコレートを一人分ずつせっせとラッピングしていきながら、最後の一つ、余った分を前に考える。……最近何かと2人でいることも多かったし、場地くんにもあげた方がいいのかな。そもそも場地くんと私って何なんだろう。友達なのかな。男友達って呼んじゃっていいのかな。いいよね、2人で勉強したりファミレス行ったりもしてるし。パフェ奢ってもらったりポテト奢ってもらったりもしてるし。日頃のお礼ということで渡すなら、きっとそこまで不自然じゃないはずだ。

そして迎えた翌日のバレンタイン、場地くんは学校にやってこなかった。場地くんが学校に滅多に姿を現さない筋金入りの不良ということを綺麗さっぱり忘れていた私は下校のチャイムが鳴る頃にはすっかり意気消沈してしまい、出番が来なかったチョコの包みを一つ鞄に押し込んでしょぼくれながら家路を辿る。とぼとぼと歩く自分の足音が誰もいない通学路にやけに響いていて、情けないやら悲しいやらで涙が出てきそうだった。何で私こんなに私ショック受けてるんだろう。実は場地くんにチョコあげたかったのかな。せっかく作ったんだから受け取ってほしかったなあ。せめて連絡先を聞いていたら、明日チョコ渡したいから学校来てねの一言が言えてさえいれば、そうしたらわざわざバレンタインにこんな気持ちにならずにすんだのかな。今更思ったところでどうしようもないことだけれど。そう思いながら特大の溜め息を吐いて足を早め角を曲がったその時だった。

「場地くん」

ブロック塀に背を預けるようにして、まるで私を待ち構えるかのように道の端の方に立っていた場地くんが私が足を止めるなり「よう」と言って近づいてくる。その顔がいつもよりかなり不機嫌なように見えて、思わず肩を跳ねさせた。久しぶりに見る不良の顔をした場地くんに、声が震えてしまわないように精一杯気を払いながら「どうしたの?」と声を出す。すると返ってきた「今日バレンタインだろ」という言葉に目を丸くした。「そうだね」と言いながら頷くと、さらに機嫌を悪くしたのか場地くんの眉間のシワが深くなったのを見て返事を間違えてしまったのだと悟る。だけどもう吐き出してしまった言葉は取り返しようもなくて、あわあわとするしかない私に向かって相変わらず不機嫌なままの場地くんが口を開いた。

「チョコ、何で渡してこねぇの。……オマエからは貰えんのかと思ってたけど」
「だ、だって場地くん学校来てるか分かんなかったし……今日は会えないだろうなと思って家に置いてきちゃった」
「家?」
「うん。家」

だから今日のところは諦めてください、と言ったつもりだった。本当は場地くんに渡すつもりだったチョコ、鞄の中に入ってるけど。こんな気持ちではとても渡せそうにないし、今日のところはお引き取り願いたい。場地くんが学校に来なかったのは事実なんだし、どうぞ来年の先生の次回作にご期待ください。そう言いたいのは山々だったけれど、そんなことは大人でも裸足で逃げ出してしまいそうなくらいにおっかない顔をする場地くんにはとても言い出せそうもなくて、さあどうやってこのピンチを切り抜けようとぐるぐると考え込む私を前に、「家」とまるでテスト前に英単語を復唱しているときのように私の言った言葉を繰り返した場地くんは少し考え込むような素振りを見せた後、「じゃあ」と口を開いて一歩こちらへ踏み出しながら「取りに行っていいか?」と言った。その突拍子もない申し出に思わず声が裏返ってしまう。

「えっ今から?」
「おう。今から」

本気で言ってるのかな、と首を傾げたくなったけれど場地くんの顔は真剣そのものだった。……い、今から家に取りに来られても困る。だってチョコは鞄に入ってるんだし。取りに来られても何も出せないし。それに、場地くんを連れて家に帰ってお母さんに見られでもしたらどんな誤解をされるか分かったもんじゃない。あんた不良の彼氏いたの、なんて騒がれたら私もう明日から学校行けない。いや、場地くんは不良だけど良い人だし、彼氏じゃないから誤解されたって否定すればいいだけの話なんだけど、それを場地くんの前でやるのは気が引ける。……と、とにかく家に来られるのは困る。だけどこのままチョコ渡さずに場地くんと変な感じで別れてしまうのはもっと困る。一体どうしたらいいんだろう。

にっちもさっちもいかなくなって変な汗をかいている私を見て嫌がっていると思ったのか、口を尖らせ「……オマエが嫌ならやめる」と言った場地くんは多分、ものすごく誤解をしている。どうにかして誤解を解こうと慌てて口を開いて言った「嫌じゃないよ」の言葉にすぐさま返された「嫌がってんだろ」の台詞を否定しようとして、ここは外だというのに大きな声が出てしまった。

「違くて! ……あの、本当は今持ってるの。チョコ。渡したくてせっかく作ったのに場地くん今日学校来なかったから、ちょっとヤケクソになっちゃったと言うか……」
「…………」
「ごめんなさい」

何で私はバレンタインに、同い年の男友達に謝りながら道の真ん中でチョコなんか差し出してるんだろう。だって場地くんが怒ったような顔をするから、どうしてかは分からないけど私よりも傷ついたような顔をするから、何もしていないのに悪いことをしてしまったような気持ちになってしまう。

しばらく黙って私と差し出したチョコをじっと見つめていた場地くんがゆっくりとした動作でチョコの箱を受け取ったのを薄目で確認してから顔を上げると、ニカッと八重歯を見せて笑った場地くんの顔が見えた。私が渡したチョコを片手で掲げるようにして「ありがとな」と言った場地くんのその顔があまりにも格好良くて、思わず口をついて出た「メアド教えてください」の言葉に今度は場地くんが目を丸くしたのが見える。そして、次の瞬間場地くんが「何で敬語なんだよ」と口元を緩めたのを見た瞬間から訪れた、友達の一人だったはずの彼が『好きな人』へと変わっていく予感に胸の鼓動がどきどきと高まっていくのを感じた。