K. Shiraishi

「あ、そうや。今年は俺、義理チョコ貰わんことにしたから」

「なあなあ、白石と忍足は今年はバレンタインどうするん?」休み時間に皆が雑談をしている最中、いかにもさりげなく聞いてみましたという体を装ってクラスメイトの女子の一人が軽くジャブを入れているのをクラス中の人間が聞き耳を立てて見守っている中、忍足の「そら貰えるもんは何でも貰うで」に続けて白石がそう高らかに宣言したとき、四天宝寺中学女子の間にはかつてないほどの激震が走った。

俺、義理チョコ貰わんことにしたから。このたった一言から始まった『白石今年は義理チョコ受け取らんねんて!』という噂はあっという間に手紙や口コミを介して学年中を駆け巡り、2日後にはとうとう四天宝寺中の生徒全員が『白石蔵之介バレンタインの義理チョコお断りの令』を知るところとなった。そこからのどうにかこうにか白石にバレンタインチョコを押し付けるべく私を含む四天宝寺中学女子生徒が行った涙ぐましい努力の数々は説明していたらキリがないので割愛するが、間違いなく四天宝寺の長い歴史の中でも世紀の大事件として後々の世まで語り継がれることになるであろうこの騒動の発端は、実に2年前の2月14日まで遡る。

バレンタインデー。一年で一番女子が色めき立ち、男子は何となく数日前からソワソワしつつ「チョコなんてどうでもいいですけど?」という顔をしながら迎えるその日、学年中のどことなく浮ついた雰囲気に似つかわしくないげっそりとした表情を浮かべた男子生徒がいた。1年生にして既に四天宝寺中学一の美形と名高い白石蔵之介だ。

山積みになったチョコレートの箱の山を見て「どないしよ」と呟く彼の表情はバレンタインデーとは思えないほどに沈んでいる。次々と押しつけられる義理チョコや本命チョコを断れずに受け取っているうちにこんなことになってしまったらしい。初めは「モテる男は辛いなあ」なんて茶化していたテニス部の部員たちも、どんどんと白石の机の上に積み重なっていくチョコレートの山に「これはやばいな」「100個ぐらいありそう」「家まで持って帰れるか?」「全部ちゃんと食べたらなあかんよ」と口々に心配し始め、結局とても一人では持ちきれない量のチョコレートを前に溜息を吐く白石を見かねたテニス部の面々が家まで手分けして持って帰ってあげて事なきを得たらしいけれど、そんなことがあったものだから次の年のバレンタインは『白石蔵之介にチョコを渡す場合は荷物にならないように一口サイズにする』という暗黙の了解が四天宝寺女子の間で共有された。

これが功を奏したのか次の年のバレンタインデーに白石が溜め息を吐くことはなくなり、ようやく迎えた中学最後のバレンタインデー。例え付き合うことが叶わなくたって白石に一言だけでもこの想いを伝えたいとあの手この手でチョコを渡す算段を立てていた女子がどれだけこの学校にいると思っているのか、突然降ってきた『白石蔵之介バレンタインの義理チョコお断りの令』に私たちは頭を抱えた。義理チョコお断りということは、白石に向かってチョコを渡そうものならその時点で「本命です」と言っているも同義ということになる。告白することを余儀なくされるのだ。……いや、もちろん告白はするつもりではあったし、中学最後のバレンタインは長年温めてきたこの想いを告白する絶好のチャンスだと思ってたのは確かだけど。自分で告白を決心するのと、告白せざるを得ないような状況にされてしまうのでは訳が違う。心持ちがまったくと言っていいほど異なってくる。

かと言ってこのバレンタインに何もしないでいると他の女の子と白石が付き合ってしまう可能性もあるし(そもそもあんなにイケメンのくせに今まで彼女がいないことの方がおかしい)、何より卒業を間近に控えた私たちにはもうバレンタインを除くと卒業式くらいしかイベントが残されていないこともあって、この後の学生生活に告白するチャンスが滅多に巡ってこないであろうことも確かだ。みすみすと逃していい機会ではない。

そうだ。当たって砕けてもこれで最後、どうせあと一ヶ月で私たちは卒業してバラバラになってしまうんだから、ここで振られたってせいぜい白石の顔を見る度にこっそり泣くくらいで済む。一週間、いやひょっとしたら一ヶ月くらいは引きずるかもしれないけれど、高校に入る前にこの中1の頃から辛抱強く温めてきた片想いを綺麗さっぱり清算出来るのなら万々歳だろう。そう思って気合を入れて本命チョコを用意したところまでは良かった。本命チョコ一つだけを持って学校へ行く勇気はさすがに出なかったから白石以外のテニス部の部員用の義理チョコと昼休みに友達と分けて食べる用の友チョコも用意して、パンパンになったサブバッグを持って意気揚々と校門をくぐった、ここまでは順調に来ていたはずだったのに。

バレンタインデーも3年目ともなれば女子も男子も振る舞い方をある程度弁えるようになって、私たち女子も本命チョコを好きな相手にわざわざ人前で渡すようなことはしないし、男子も表立っては興味のないような素振りをしながらもそれとなく一人になるタイミングを作ってチョコ待ちの瞬間を作ってくれたりと、持ちつ持たれつ男女一丸となって素敵なバレンタインデーを過ごすための努力を惜しまずに積み重ねてきていた。それなのに、……それなのに、この白石蔵之介という男は!

四天宝寺一のモテ男の名をほしいままにしている俺にはそんなん関係あらへんとでも言わんばかりに、白石はまったくと言っていいほどこちらにチョコを渡させる隙を作ろうとしなかった。さすがは我が校が誇るミスターパーフェクト、隙がないのはテニスだけじゃない……なんて感心していられる場合でもない。とっくに昼休みが終わって交換した友チョコを休み時間の度に食べているとあっという間に放課後になり、『後輩たちに義理チョコを配る』という名目で久しぶりにテニス部の練習に顔を出したはいいものの同じように冷やかしに来ていた白石がまったく一人になる素振りを見せないものだから、刻一刻と迫るタイムリミットに私は冷や汗を流した。

どうしよう、このままでは白石に一言も声をかけられないまま中学最後のバレンタインが終わってしまう。やっと告白する気になったのに、こんなところで二の足を踏んでどうするんだと頭では分かっているのに、あれもこれもそれも全部白石が一人になってくれないのが悪い。そもそも「今年は俺義理チョコ受け取らんから」って何やねん格好つけやがって、と悪態をつきながら部活を切り上げる準備に入った後輩たちに手を振って校舎の方へと向かう。誰もいない教室のドアを開け、普段白石が座っている机の近くまで来るとスクールバッグの底に放り込まれたままになっていたチョコの箱を取り出した。……良かった、潰れてなかった。いっそのこと潰れてグシャグシャになってたら渡さんとこうと思ってたのになあ。そうも全部が上手くはいかないようだ。

手作りチョコの賞味期限ってどれくらいやったっけ、と考えながら白石の机の前に立つ。まだ冬の寒い時期とはいえ一晩中教室に放置されてたらさすがに味も悪くなってしまうだろうか。いやそもそも明日学校来て机に誰からか分からんチョコ置いてあったら気持ち悪くないかな? いくらモテモテ絶頂パーフェクトマンの白石でもちょっとうわ、って思わん? そもそもあの健康オタクがどこの誰か分からん女が作った手作りチョコなんか食べる? 食べへんよなあ、それなら無理矢理にでも呼び出して直接渡した方がいい気がする。いやでも、それが出来たらそもそもこんなストーカーじみたこともしてない訳で。

もう部活終わってしもたから白石も家帰ってるやろうし、二人きりになるタイミング完全に逃したし、いっそのこと待ち伏せでもするかとは思ってみたけど白石の家どこか知らんし……と一人悶々としていると、ガラリとドアが開く音がして慌てて手に持っていたチョコを鞄に押し込む。先生が見回りにでも来たんかな、さっさとチョコ置いて帰らんとなと思いながらドアの方向へ目を向けると、そこには担任の先生ではなく渦中の白石蔵之介本人が立っていてうっかり「えっ」と声を出してしまった。体操服から制服へと着替えたらしい白石は、肩にかけていた鞄を背負い直してゆっくりとこちらへ近づいてくる。心臓が急にばくばくと暴れ出すのを必死に押さえつけながら「白石」と絞り出すようにして声に出すと、「お疲れ」と声をかけてきた白石が教室に入ってこようとするのが見えてさっきチョコを押し込んだ鞄の持ち手をぎゅっと握った。

「こんなとこで何しとるん?」
「わ、忘れ物取りに……」
「奇遇やな。俺も忘れもんしたから取りに来たとこ」

そう言って机の方に近づいてくる白石から距離を取ろうと足を動かすも、それよりも早く距離を詰めてきた白石に上から見下ろされてさらに鼓動が早くなっていくのを感じた。焦りを誤魔化すように「し、白石が忘れもんって珍しくない?」と話しかけようとした私の言葉を「なあ」と言った白石の低い声が遮ってくる。

「俺に渡すもんあるやろ」
「……わ、渡すもんって?」
「チョコ」
「今年は義理チョコいらんって聞いたから白石の分は作ってないよ。あ、もしかして白石も私からのチョコ欲しかったりとかした?」
「おん」

ここは上手いこと誤魔化して逃げるに限る、と戯けてみせた言葉を真っ向から肯定されて返事に詰まった。「えっと」だの「あの」だのと意味をなさない言葉を発しながら何とかこの場を切り抜けようと精一杯頭を巡らせる私を前に、白石がさらに近づいてこようとする。やめてくれそれ以上近寄らんといてくれ。あまりのことに混乱した頭で精一杯前に出した手をさらには白石の大きな手に掴まれてしまって、私の興奮は最高潮に達した。

「鞄に入っとるんやろ? 俺宛てのチョコ。さっき隠しとったやん」

バレていた。一体いつから見られていたのか、いや、もしかして最初から? ばくばくと早鐘を打つ心臓を必死で鎮めながら平静を装って口を開く。

「何言うてんの白石。目ぇ悪なったんちゃう?」
「俺視力1.5」

そんなこと知るか! と思わず叫びたくなったが、さらにじりじりと距離を詰めてこようとする白石のとんでもなく綺麗な顔に視線が吸い込まれてしまってそこから目を逸らすことが出来なかった。後ずさった拍子にがたん、と誰かの机に体がぶつかって音を立てる。逃げ場がない。私の手首をぐっと掴んで引き寄せるようにした白石は、スクールバッグを抱えてわなわなと震えるしかない私に向かって空いている方の手を差し出して、この世のものとは思えんぐらいの綺麗な顔で「ほら」と笑う。その顔があんまりにも憎たらしいやら格好いいやらで、なんて奴を好きになってしまったんだろうと改めて思った。

口開けばカブトムシの話しかせんし、口癖は変やし、テニスは上手いけどドがつくぐらいの健康オタクやし、中学最後のバレンタインに義理チョコは要らんとか言ってくるような男やのに、何でこんなに好きになってしまったんかなあ。

「早よせなチョコ溶けてまうで」
「う、……ちょ、ちょっと待って心の準備が」
「もう十分準備する時間あったやろ。俺が朝からどれだけ待ったと思てるん?」
「あ、朝からって、そもそも白石が全然一人になってくれへんから今まで渡されへんかったんやんか……!」

「そんなん俺が一人になって他の女の子からチョコ渡されたらが困るやろ」とまったく悪びれずに言ってくる白石に「な、何で私が」と精一杯の言葉を返す。ぎゅうと握りしめた鞄の中でチョコレートの入った箱がかさりと音を立てた。……白石のあの義理チョコお断り発言を聞いたとき、確かに思ったけど。義理チョコを受け取らんってことは今年白石が受け取るのは全部本命チョコになるってことで、つまりは白石が他の女の子から告白されてしまうってことで、受け入れるかそうじゃないかは白石自身が決めることやけど、それを指咥えて見てるだけになるのは嫌やなって、確かに思ってたけど。

まるで全部を見透かしているかのように余裕綽々な表情を浮かべて、掴んだままになっている私の腕を少し引いて催促するような素振りを見せる白石を見上げて深呼吸をする。さっきの口ぶりからすると、白石は今年は義理チョコどころか一つも本命チョコを受け取ってなくて、そしてそれは何故かと言うと私からのチョコを待ってたからで、それってつまり、ええと、……そういうことでいいんやんな?

縋るように見つめてみても白石は何も答えない。あくまでも私の方から言わせるつもりらしい。興奮と緊張と焦り、色んな気持ちが入り混じって震える手でようやく出番が来たチョコレートの入った箱を鞄から取り出して、それを白石の前へと差し出す。数秒黙ってから「好きです」と観念するように絞り出すと、「やっと言うてくれたなあ」と言いながら箱を受け取った白石の顔はこれまでの3年間で見たどの顔よりも格好いい顔をしていて、既に最高潮に達していたはずの興奮がさらに昂まるのを感じた。ど、どうしよう興奮しすぎて鼻血出てきそう。さすがにそうなったら恥ずかしすぎて死ぬ。爆発しそうになっている私をよそに白石はというと、「この箱のラッピング可愛いやん」などと呑気に感想を言いながら私がさっき渡した包みを開けようとしている。

「し、白石、あの」
「ん?」
「あ、えっと、その、返事……」
「ああ」

忘れてたわ、とでも言いたげな白石の態度にえっ私さっき好きって言うたやんな?と一気に不安が募った。よっぽど不安げな顔をしていたのか、「ごめん、俺もちょっと浮かれてしもて」と言いながら開けかけていた箱のラッピングを丁寧に元に戻した白石が掴んでいた手首を離して、今度はちゃんと指を絡めながら手を握ってくる。うわ、と体温がさらに上がりかけたところで白石が言った「俺も好き」の言葉に完全に限界を突破した頭に最後に響いたのは「ホワイトデー楽しみにしといてな」という白石の楽しげな言葉で、バレンタインからこんな調子で果たして私は一ヶ月後のホワイトデーまで無事に生きていられるのだろうかと不安に思いながらこくこくと頷いた。