はじまりの予感に騒がしい


「ほんっともう勘弁してほしいんだけど!」
あの風柱も裸足で逃げ出すくらいの剣幕で、が怒っている。冷や汗をだらだら流す俺の隣で。


せっかくの任務終わりだし、大して怪我もしなかったから蝶屋敷には行かずに団子屋に行きたいなぁ。あそこの店、看板娘が可愛いんだよねぇ。も団子食べたくない?任務終わったご褒美だと思ってさ。

この発言のどこがいけなかったんだろう。分からない。分からないけれど、今しがたの俺の何かが彼女の怒髪天を衝いたことだけは分かる。

腕を組み般若のような形相でこちらを見下ろしてくるは、鬼殺隊では俺の一つ上の代にあたる隊士だ。階級は何だったっけ、確か同じ庚だったはず。拠点にしている場所が俺たちと近いらしく、最近任務で顔を合わせることが増えた。初めて同じ任務になったときのことはよく覚えてる。鬼を前に死にたくないと怯える俺を「うるさい」と一喝したが周囲の鬼を手当たり次第になぎ倒していって、恐怖のあまりいつの間にか気を失っていた俺が目を覚ますともうそこには鬼は一体も残っていなかった。隣にいたに「守ってくれたの!?」と聞くと何故かめちゃくちゃ嫌そうな顔されたけど、俺の中ではは『俺を守ってくれる人』になった。だから、この子がいる任務はいつも安心するし俺は嫌いじゃないんだけど、どうもはそうじゃないらしい。




からはいつも不機嫌そうな音がする。鬼は夜が明けるまでに倒したし、怪我も少ないし、発見が早かったおかげで致命傷になりそうな怪我をした人もいなかったし、万事がうまくいったはずなのに、一体何がそんなに気に食わないんだろう。もしかして俺?俺が弱すぎるから嫌だってこと?弱いくせに団子食べたいとか言ったから?それか何でよりにもよってお前と合同任務なんだって思ってる?もっと上の階級の人連れてこいよって?でも俺だって任務選べるわけじゃないし、近くで鬼が出たら鬼殺隊である以上は行くしかないし、毎回死ぬかもって思いながら何だかんだで死なないでここまで来てるんだし、任務終わりのたまのご褒美くらいはあってもいいんじゃないか。え、だめ?

そう言ってもには暖簾に腕押しだったらしい。だめだともいいよとも言わずにぷいっと顔を背けてそのまま歩いていってしまった後ろ姿を慌てて追いかける。…どうやったら機嫌直してくれるんだろう。せっかく鬼を倒したというのに、ギスギスした感じのまま屋敷に帰りたくない。も、他の隊士と喋ってるときはもうちょっと優しい音がしてるんだけどな。
「……何でそんなに怒ってんの?」
「はあ?」

歩いているうちに少し怒りが収まったのか、やっとこっちを向いたは口を尖らせながら返事をした。
「怒ってないけど」
「めちゃくちゃ怒ってんじゃん」
「……怒ってないって言ってんでしょ」

いや顔怖いんだけど!眉間にしわ寄りまくってるし。さっきよりはマシになったけどまだ機嫌悪そうな音してるし。俺やっぱり何かした!?そうでないなら単に虫の居所が悪いってこと?それにしては毎回毎回任務の度に怒ってるけど、やっぱり甘いものでも食べるべきなんじゃないか。ほらそこに団子屋あるし。おじいさんとおばあさんが切り盛りしてて看板娘はいないみたいだけど。

が足を止めた隙におばあさんからみたらしとあんこを2本ずつ買って、そのうち1本ずつをに手渡すと「……ありがと」小さくだけどお礼の言葉が返ってきて、びっくりして自分の分の串を落としそうになった。危ない、せっかくの褒美が台無しになるところだった。団子屋の前にあった椅子に腰掛けて二人で団子を頬張る。やっぱり任務終わりの甘味は格別に美味しい。は甘味が嫌いではないみたいで、さっきまでとは打って変わった穏やかな表情で団子を口に運んでいる。ご機嫌取りみたいになっちゃったけど、喜んでくれてるみたいで良かった。こんな優しい音も出せるんだ、。いつもそうやってたらいいのに。
「ねえ、は俺のこと嫌いなの?」
「……何でそう思うわけ」
「だっていつも同じ任務のとき怒ってるし……」

俺が弱いから怒ってるんでしょ。そう言うとまたが顔をしかめたのを見て、あれ、優しい音してたし今なら聞いても怒らないと思ったんだけど、失敗だったか、と再び背中を冷や汗が伝うのを感じた。
「善逸は臆病だけど弱くはないでしょ」
「いや俺めちゃくちゃ弱いよ鬼殺隊の中でも相当だよ」
「本当に弱かったら庚にはならないよ」

そうなのかなあ。戦ってる間に怖すぎて気絶してることしょっちゅうあるし、炭治郎と伊之助、それにに助けられてばっかりなんだけど。鬼殺隊の周りの人たち、特に柱なんて化け物ぐらいの強さだし。でも、少なくともは俺が弱いとは思ってないみたいだ。じゃあ何でいつも機嫌悪いんだろう。てっきり俺が弱いくせに任務で一緒になるから嫌なんだと思ってたけど、そうじゃないみたいだし。女の子って分かんないなあ。

頭の後ろで指を組んでぐっと伸びをする。団子も食べ終わったし、そろそろ屋敷に戻ろうかな。炭治郎と伊之助はもう戻ってるだろうか。負傷もなかったし、戻ってもまたすぐに任務に駆り出されるんだろうけど、ひとまずは布団でのんびり横になりたい。そうでないならせめてゆっくりお茶とかしたい。
「あーあ、どっかに可愛い女の子いないかなぁ」

独り言のようにそう言うと、後ろから聞こえてくるはずのの足音が止まったのに気づいて振り返った。
「どうしたの?」
「……私だって女の子なんだけど」
「ハァ?何言ってんの、知ってるけど」

え、まさかホントは男だったの?それはないだろうと思いつつも聞いてみると、の顔がみるみる赤くなっていく。
「このっ……善逸のバーカ!」

バカってなんで!?


食べ終わった団子の串をこちらに投げつけてから勢いよく駆け出した彼女を追いかけようとして、足がもつれて顔面から転んだ。ズベシャ!と痛い音が鳴る。だけど、惨めにも地面に這いつくばる俺を置いて、振り返ることもなくはどんどん遠ざかっていく。なにあれ足はっや。めっちゃ足速い。伊之助ぐらい速い。

視界の端でどんどん遠ざかっていくの後ろ姿をしばらく見つめたあと、ようやく硬い地面にくっついていた頬を上げた。胸の真ん中あたりから、ドクドクとけたたましい音がする。鬼を前にした時よりも大きな音を立てている心臓に自分で驚いた。何これ。鼓膜の裏側に心臓でも付いてるわけ?じわじわと音量を上げていく鼓動に、他の音がかき消されていくのを感じる。一目散に駆けていった後ろ姿はもうあんなに小さくしか見えない。

頬についた砂を片手で払いのけて深呼吸をする。駆け出していく直前に見た彼女の真っ赤な顔と、そこから聞こえてきた音を思い出した。そうだ、風のように走っていったあの子からも、ちょうど今の俺と同じような音が聞こえた。ドクドクと、何もかもをかき消してしまうくらいにうるさく響く心臓の音が。

服にも付いていた砂を払ってから、さっきの彼女と同じように地面を蹴り出す。のこと、チクチク小言ばっかり言ってくる嫌な奴だと思っていたけれど、今ここで撤回しよう。静まるどころかさらに大きな音を立てる心臓を何とか押さえ込んで、やっと見えてきた背中に向かって息を吸い込んだ。
「待ってよ!」

どうしよう。俺、落ちちゃったかもしれない。恋に。