Kiss and Tell

一昨年はそもそも誕生日自体知らなかったし、バレンタインはマネージャー全員からってことで選手一人につき一個あげたから当然抜け駆けなんて出来なかったし、去年の誕生日はまだあんまり仲良くなかったから渡せなくって、ちょうど良い機会だと思ってたバレンタインではあげたのはあげたけど思いっきり義理って言っちゃったからあれはカウントしないことにして、どうせ今年のバレンタインは受験でそれどころじゃないだろうし、となると今年の誕生日が最初で最後のチャンスなわけ。ここに賭けるしかないんだよ。だからさ、ねっ、赤葦。人助けだと思って、先輩に協力してよ。


ああでもないこうでもないと頭を捻ったかと思えば「やっぱりさっきのお店もっかいだけ見てもいい?」とこっちの同意を得ないうちから猛スピードで引き返していって、数分後には「やっぱりなんか違った」とまた首を傾げながら戻ってくる。そういうことを繰り返して、かれこれ二時間は経っただろうか。ぐうと腹の虫が鳴いたのに聞こえない振りをして、難しい顔をする彼女に「上の階も見てみますか」と声をかけエスカレーターに足を乗せる。ちらりと盗み見た顔越しに、梟谷の制服が見えた気がして咄嗟に顔を背けてしまった。

来なきゃ良かった。休日の家族連れでにぎわうショッピングモールの一角で、四人用のテーブルを二人で陣取りながら、水のおかわりをしに行ったあの人のスマホをちらりと見つつ心の底から後悔をした。ロックの掛かっていない画面に表示されているのは『男性 プレゼント 喜ぶ』の検索結果で、そこには有名ブランドの財布だとかネクタイだとか、そういった類いのものが恋の必勝法だとかハートを鷲掴みだとか大袈裟なあおり文句と一緒に表示されている。これは相当切羽詰まっているな、と思ったときにはちょうど彼女がコップを両手に持って悩ましげな顔をしながら席についているところだった。

「もう無理。あいつ一体何あげたら喜んでくれるわけ?」

しばらく画面とにらめっこをして、指を無言で上下に動かしながら考え込んでいた目の前の女性、冒頭のあの長台詞を吐いて俺がいまここに座っている原因を作った張本人であるさんが遂に吠えた。持ってきた水を一気に飲み干して、顔をわっと覆って大袈裟に項垂れたこの人のつむじを見つめて、ため息を吐く。
「拗ねないでくださいよ」

机に突っ伏したままびくともしない姿を見てもう一度ため息。本当に、こんな風にため息を吐くほど憂鬱な気分になるくらいなら来なけりゃ良かったのに、自分もこの人相手となるとつくづくお人好しだと思い知らされる。なみなみと注がれた水の入ったコップに手を伸ばすと、俯いていた彼女が勢いよく顔を上げて言った。
「ダメだ~男の子の欲しいものとか全然わかんない。わたし女の子だった。無理。男の子が欲しいものとか分かるわけない」

大体一ヶ月悩んで決まらなかったのに一日で決めようとするのに無理があったんだよ。ねえ、赤葦もそう思わない?そうは言われてももう期限は着実に迫ってきてしまっているんだから、今更ここで騒いだところでどうしようもないだろうに。無言で水の入ったコップを指で弾くふりをしていると、彼女は苦虫を噛み潰したかのような顔でまた机に突っ伏そうとする。
「いじけないでくださいよ」
「いやいやいじけたくもなるでしょ」
「付き合わされる俺の身になってから言ってください」
「……ごめんって」
「いいですよ別に。慣れてますから」

前から思ってたけどもしかして赤葦って木兎たちから酷い目に遭わされてるの?頬にうっすら机の跡をつけた彼女が言う。その質問には答えずに、椅子にかけていた上着を羽織って席を立った。
「そろそろ行きましょうか」

休日のショッピングセンターのフードコートなんて混雑してない方が珍しいくらいだ。食べ終わった二人分の食器を重ねてセルフサービスと書かれた札の下にある棚に置いて、くるりと方向転換をする。慌てて鞄を引っ掴んできたらしいあの人が転びそうになりながら追いかけてくる後ろで、また梟谷の制服が目に入った。顔を認識されないうちに、足早にその場を去る。後ろから俺の名前を呼ぶあの人が着いてくる。さっきは、何階まで行ったんだったか。2階だったか3階だったか、上ったり下ったりを繰り返すうちに忘れてしまった。
「次何階でしたっけ」
「3階だよ」

あんなにも時間をかけたくせにまだ2つのフロアしか回っていないのかと思うと、気が遠くなりそうになる。そんな俺の気持ちも知らないで、彼女はまたスマホの画面を真剣にスクロールしていた。

酷い目といえば、酷い目だ。ろくな目に遭っていない。でもそれは、木兎さんたちのせいだといえばそうだしそうじゃないと言えばそうじゃない。あの人たちは関係ない。俺自身が招いた結果でもあり、巻き込まれた結果でもある。でもいくら心の中で理屈をこねたところで、確かに俺は、紛れもなく今、たった今この人に、酷い目に遭わされているのだ。



結局この人に付き合ううちにこのショッピングモールでメンズ商品を扱っている店のほとんどを制覇してしまった。一日にここまで回って何も買わなかったのも初めてだ。ああでもないこうでもないと頭を悩ませていた彼女はとうとう「もう何あげても一緒な気がしてきた」と言い出す始末で、そんな風に言い出すと今までの俺の一日が水の泡じゃないかどうしてくれるんだと言いたくなってしまう。
「赤葦なら何貰ったら嬉しい?」
「貰えるなら何でも嬉しいですよ」
「またまたぁ冗談冗談」
「本気です」
「そんなこと言ってさ、ぶっちゃけ貰って困るものとかってあるでしょ?」
「明らかにいらないものじゃなければ大体嬉しいですよ」
「えー、じゃあチロルチョコ一個とかでも?」
「嬉しいです」
「ほんとに?」
「そういうのって気持ちが大事だって言うじゃないですか」
「………優等生だねぇ」

もし俺が木兎さんだったら、そして、貴女から貰えるのなら。俺は一粒のチョコレートでなくたって例え飲み終わったペットボトルのキャップだって要らなくなったノートの切れ端の落書きだって喜んで大事にするだろう。思い出だの時間だのという形のないものだって、きっとずっと胸の内に大切に仕舞っておけるはずだというのに、どうしたってあの人しか気にかけようとしないあんたにはつくづく打ちのめされる。なのにもうたくさんだとはどうしても言えそうになくて、俺はまた難しい顔をする彼女に「こういうのとかいいんじゃないですか」とつい助け舟を出してしまうのだ。
「赤葦なんか知らないの?木兎の欲しいものとかさ」
「あの人なんて欲しいものだらけですよ」
「そうなの?」
「毎日欲しいって言ってるもの変わってますけどね」
「だめじゃん」

毎週ジャンプを買うだけの小遣いが欲しい、友達に借りた漫画の続きが気になるからそれも集めたい、先週発売されたアイドルの写真集も気になる、でもまずは焼き肉の食べ放題に行きたい、そうでなければ新作のミズノのバレーボールシューズでもいい。木兎さんと顔を突き合わせる度に、あの人は次から次へと欲しいものを口にするから誕生日前でプレゼントを何にしようか決めあぐねていた俺たちは随分踊らされたものだった。

物じゃなくていいのなら、おそらくこの人は木兎さんの一番欲しいものだってあげることが出来るだろう。金もかからなければ、探す時間もかからなくて、受け取った本人が喜ぶか喜ばないかなど気にしなくていいほどの二人にとって最善で最良な唯一の方法を、きっと俺だけが知っている。
「……宿題を、」
「ん?」
「俺の代わりに宿題やってくれる奴いたらそいつと結婚してもいいかも~、とは言ってた気がします」
「なにそれ」

普段とあんまり変わらないじゃん、と笑う彼女にどうしようもなく胸が締めつけられる。部活をしているわけでもないのに呼吸がどんどん浅くなっていく。
「なんだろ、宿題代わりにやってあげる券とか?」
「肩たたき券みたいですね」
「それわたしも同じこと思った」

難しい顔をしてばかりだったこの人の表情が少し緩んだのを見て、救われたような気持ちになる俺はどうしようもない男だと、思わずにはいられなくなる。あの顔が向けられるのは俺じゃない。自分じゃない別の誰かで、その人を俺はよく知っていて、そして、そんな顔二度としなければいいのにと思ってしまう。

こんな俺が、優等生なわけがないというのに。
「でも案外そんなんの方が喜ぶのかもね。あいつバカだし。お金かからなくていいかも」

そのバカに貴女が一向に愛想を尽かしてくれないから、また一人みじめな思いをする男が生まれるんですよ。言ってしまえばよかったのに、あの人のことを想って綻ばせる顔なんて見てしまうと、もう、どこにも行けなくなってしまうから。これだからろくな目に遭わないと、自嘲する以外に何もない。




「買えました?」
「うん。リボン青色にしてもらった」

結局あれだけ悩んだというのにさんは最初の店で手に取ったスポーツタオルを購入すると言った。「プレゼント用なんです」と赤らめる頬に、一生敵わないともう何度目か分からない小規模な敗北を、勝手に思い知らされる。

包装を待っている間、何の気なしにスポーツタオルの山を見つめていたさんがその中の一つを指差して言った。
「木兎にあげるならこっちだけど、赤葦はこの色っぽいね」
「……買ってくれるんですか?」
「赤葦誕生日いつだったっけ」
「12月です」
「それじゃあマフラーとかの方が良くない?」

また冬になったら何かあげるからさぁ、気長に待っててよ。冗談半分だろうと分かっていながらも体は勝手に熱を持つのだから仕様がないとため息をついた。その言葉だけを頼りにこれからの三ヶ月を生きていくであろう俺を、この人は知らない。知る由もない。この人の言葉は呪いにも似た何かを持っている。小さい口から飛び出た言葉一つ一つが胸に刺さって、なかなか消えてくれそうにないのだから。

この人といると俺はこんなにもダメな男になってしまうのに、何も知らずに「赤葦がしっかりしててホント助かった。ありがとう」なんて言うから、また誘ってほしいだなんて考えてしまう。

ちらちらと視界の端で自分と同じ制服が映る。いっそのこと、会ってしまえばよかったんだ。木兎さんじゃなくとも、梟谷の誰かに会ってしまえば、程度の差はあれ噂は広まるだろう。休日のショッピングモールに男女で二人でいたら誤解なんてされて当たり前だ。そうして巡り巡った話が木兎さんの耳にも届けばいい。この人と休日に二人で先に出かけたのは俺だ、と。あんたよりも先にこの人を見つけたのは俺だったんだ、と。

この人がどれだけあの人を慕っているかなんてとっくの昔から知っていることだ。だけど、それ以上に、俺はこの人が好きだった。他の誰でもなく、この人にだけ受け入れてもらえたら、それだけでいいと思えるくらいに俺はこの人が好きだったんだ。それなのに、一番近くで見ている俺を見ないで、あの人の喜ぶ顔を見たいなんて言うこの人を心底憎らしいと思う。
「明日、誕生日だね木兎の。喜んでくれるといいな」

買ったばかりの綺麗にラッピングされた包みを大事そうに抱えた彼女が言う。彼女の言う通り、明日は木兎さんの誕生日だ。俺たちのキャプテン、俺たちのエース、俺たちの木兎さん。の、記念すべき誕生日。木葉さんたちはサプライズを用意しているらしいし、部員全員からという名目でそこそこ豪華なプレゼントだって用意した。一年に一度、たった24時間しかない9月20日を祝う準備は十分に出来ている。
「明日ちゃんと渡せるかなあ」
「渡さなくてどうするんですか」
「いやー、うん、そうなんだけどさ」
「喜んでくれると思いますよ」

報われることがないならせめて良い後輩と思われたいと、妙な気持ちを起こさなければこんなことにはならなかったんだ。あのとき素直に断っていれば、こうして休日のショッピングモールに足を向けることもなくあの人の木兎さんへ向ける愛情の心地よさに勝手に打ちのめされることもなく今頃はベッドで体を休めていただろうに。まったくもって、散々な気分だ。安まるはずの心臓が、今、こんなにも痛い。

Kiss and Tell:米俗語で「秘密を暴露する」の意