ロマンスナビゲーター

赤司征十郎の存在はわたしにとって毒にもなるし薬にもなるものであった。あの目と視線が絡み合うだけで射すくめられてしまったように動けなくなるのだ。赤司と同じ空間にいるだけで息苦しくて、自分は何かの病気なんじゃないかとぐるぐるしていたときに声をかけてくれたのはレオ姉さんで。「それって恋煩いっていうんじゃない?」あのとき受けた衝撃をきっとわたしは一生忘れないだろう。

墓場まで持っていくと決めた想いは赤司の瞳の前であっさりと砕け散った。赤司と一緒にいると何もかもが見透かされているような気持ちがして落ち着かなくなるんだけど、それは赤司がわたしの部屋、つまりわたしの生活上のあらゆることと密接している場所にいるときでも同じだったようで。いつもと同じ、何ら変哲のない部屋が赤司という特別な存在をより際立たせているように感じだ。こんなことなら可愛い花の一つや二つ飾っておけばよかったかもしれない。

赤司征十郎の前では淡い恋心に振りまわされるわたしなど可愛らしいもので、いとも容易く暴かれた想いはこちらの思惑とは裏腹に彼の手中に収められることになった。遠まわしな表現をやめれば、赤司征十郎はめでたくわたしの恋人となったのだ。赤司のことが好きで好きでたまらなかったわたしはいくつもの幻想を抱いていて、その幻想を赤司は自らの手で見事にぶち壊してくれた。だって、考えられる?バスケの神様に愛されつくしたこの男が、わたしの部屋まで来てその上ベッドの傍に腰掛けているなんて。

風邪を引いた。ただそれだけのはずなのに、どうしてこんなにも淋しくなるのか未だによく分からない。弱ってるんだろうか。最近、部活の終わりに一緒に帰るようになった赤司とはクラスが違うから、きっと彼はわたしが風邪を引いて学校を休んでいることは知らないだろう。知らないままでいいのだけれど。今日は一緒に帰れなくなったとだけ書いたメールを変なところがないか確認してから送信ボタンを押した。今はどの授業を受けてる頃なんだろうか。会いたいな。会いたいという気持ちが膨らみそうなのをぐっと堪えてもう一度ベッドにもぐりこんだ。あ、ご飯食べてない。まあいいか。起きたときに何か簡単なものを作って食べよう。

次に目を覚ましたのはベッドのすぐ傍に置いた携帯の着信音が鳴り響いたときだった。普通なら授業に出ているはずのこんな時間に、電話をかけてくるなんてどこの誰だろう。着信画面を見て驚きのあまり携帯を落としてしまいそうになった。赤司征十郎。一気に脈が速くなったような錯覚に陥る。どうしようどうしようどうしよう。出ない訳にもいかないけれどこんな声で赤司と話す訳にもいかない。……無視したらさすがに怒るよね。がちがちに緊張しながら通話ボタンを押した。聞こえてきた赤司の声は、いつもと同じ落ち着き払った声で、不思議な安心感に包まれる。赤司が言った「今から行く」の台詞に「え?」と聞き返す暇もなく、通話は途絶えてしまった。今から行く。今から行く。それってつまり、つまり……。どうしよう今すぐ逃げたい。会いたいけど。会いたいけど……!実際に本人を目にすると弱り切った思考回路からどんな考えが飛び出すのか分かったもんじゃない。寝よう。寝て気づかなかったことにしよう。

結局一睡も出来ないまま赤司を部屋に上げてしまった。家の場所は何度か送ってもらったことがあったから知っていたらしい。余裕もなくあたふたしているわたしに赤司は黙って寝ていろと言った。もう既に断る気力をなくしていたわたしはお言葉に甘えて再びベットに横たわる。赤司の姿を直視できそうになくて、彼に背を向けるようにして壁側を向くと肩に手を置いて振り返らされた。嫌でも交わる視線にカッと顔が熱くなる。熱、上がったかもしれない。上から覗き込むようにして無言でわたしの髪を触る赤司は、なんというか、格好よすぎてもうダメだ。胸の奥がざわざわと騒がしい音を立てる。いつも思っていることだけれど、熱に浮かされた今じゃ自制がきかなくなってしまいそうで、少し怖くなった。自分の部屋なのにこうも落ち着かない気持ちになるなんて。わたしが変なことを口走ってしまう前に、風邪を移してしまわないうちに、赤司にはお引き取り願わなければ。
「……何で来てくれたの?」
「風邪だって聞いて心配しない訳がないだろう」
「移すから来なくてもよかったのに」
「僕が風邪を引くと思うかい?」
「思わない、けど……」
「それとも会いたくなったから会いにきたというのが理由じゃ不服なのかな」

さらりと言われた台詞に上手くリアクションが取れなかった。赤司が会いたかったって言った?誰に?わたしに?…何だこれは。夢なのか。身体の節々が痛む。夢じゃなさそうだ。不服じゃない。全然不服じゃないよ。首を横に振ると「いい子だね」赤司がゆっくりと微笑んだ。髪を撫でられると気持ちがよくて寝てしまいそうになる。こんなときにしか素直に甘えられない器用じゃないわたしの気持ちを汲み取るように、赤司は優しくわたしに触れる。溶かされてしまいそうだ。
「赤司」
「なんだい」
「誕生日おめでとう。風邪引いちゃってごめんね」

眠りに落ちる前に言わなくちゃいけないことがあった。今日は赤司の誕生日なのだ。どうしてこんな日に風邪を引いてしまったのか。赤司は微笑んだまま「ありがとう」と言った。聞きなれた関西弁より丁寧な赤司の言葉が今のわたしの心に染みる。誕生日のプレゼントも本当はちゃんと用意してあるのだけれど、立ちあがるのが億劫な今の状況では渡せそうにない。プレゼントは明日ちゃんと渡すから、とかすれた声で言うと「気にしなくても大事な人が祝ってくれるだけで十分嬉しいよ」なんて殺し文句でとどめを刺された。多分これを言われたのが風邪引いて弱ってるときじゃなければ恥ずかしさのあまり逃げていただろうな。それではこちらの気が済まないので何かお礼をさせてほしい。そう言うと手を引かれて起き上がらされた。そのまま抱きすくめられる。風邪が移るから、と離れようとするとさらに強い力で抱きしめられた。細い体のどこにこんな力が秘められているんだろうか。混乱しながらもそっと背中に手を回すと「かわいい」そっと囁かれて全身の血が沸騰してしまいそう。もうダメだ完全に熱上がった気がする。わたしの体をようやく離した赤司は手をわたしのおでこに当てて熱を測ろうという素振りを見せる。も、そろそろ限界だ近すぎて死んでしまう。ふいっと顔を逸らすと髪に手を這わされた。
「何ならキスでもしようか」

赤司征十郎の存在はわたしにとって毒にもなるし薬にもなるものであった。毒のような甘い言葉に全身が溶かされる。冗談だろうと逸らしていた顔を向けると真剣なまなざしに射ぬかれて動けなくなった。「好き」呟くように小声で言った言葉はしっかりと赤司に届いたらしい。こうなったら開き直って思いっきり甘えてしまおう。自制なんて初めから、効く訳がないのだから。最高の誕生日プレゼントだよ、なんて耳元で囁く赤司の声に体が震えた。

20121220 赤司誕生祝い