万有引力

※黒子→青峰のような描写があります


黒子くんのことがどうしようもなく好きで好きでたまらなかった。何を考えているかさっぱり分からない瞳を覗き込んでみてもやっぱり何を考えているか分からなくて、だけど知りたくて、目の合った回数を指折り数えてみたりだとか、次の席替えでは隣の席になれるようにおまじないをしてみたりだとか、黒子くんが読んでいそうな本をわざと机の上に置きっぱなしにしておいて反応を窺ったりだとか、小さなことでこんなにも喜んで落ち込むことができる自分がちょっとだけ好きになれたりして。どんどん引き込まれていくのを感じる。
「だから最近思うんだけどね、黒子くんは本当ブラックホールみたいな人なんだよ」
「ギャグのつもりなら面白くねぇぞ」
「そうそう黒子くんの黒とブラックホールのブラックをかけたダジャレ……ってその発想はなかったわ。さすが青峰」
「オレが滑ったみてぇな目ぇ向けてくんのやめろ」
「いや、青峰だからいいかなぁって」
「よくねぇ。今までオレにお前が言ってきたことテツに全部バラすか?」
「それだけは勘弁してお願い、恥ずかしくて死んじゃうから」

黒子くんのことが好きだ。とてもとても気に入っている。皆と同じ制服を着て、同じような顔で笑って、同じ道を歩いているのに彼の姿だけ輝いて見えるくらいには好きだ。そんな黒子くんの一番近くにいる男、青峰は私の話になど微塵も興味のなさそうな顔をしながら購買で買ったアイスに歯を立てた。ガリッという音が鳴る。
「まぁテツはいいやつだからな」

黒子くんのことをあだ名で呼ぶ人は少ないというかほとんどいない中で、青峰だけは彼のことを「テツ」と呼んでいた。黒子くんはバスケ部のエースである青峰に積極的にパスを出す役割をしている人。いわゆる、相棒。青峰が黒子くんから全面的な信頼を寄せられていることは一目瞭然だ。誰の目にも分かる。黒子くんが青峰の話をするときはいつだって生き生きとしているし、そして青峰も、オレの相棒はすげぇだろ、と言わんばかりに試合を語るその瞳は光に溢れているのだ。
「美しい友情だねぇ。羨ましいわホントに。パス取り損ねて黒子くんに幻滅されちゃえばいいのに」
「オレがそんなヘマするかよ」
「ヘマしてよ。そしたら多分自分が出したパスが悪かったのかも、って黒子くんは責任感じちゃうだろうからここぞとばかりに私が慰めにいけるじゃん」
「最低だな」
「恋愛なんて打算的にならなきゃやってられないって。ねぇ、そろそろ告白し時だと思う?」
「知らねェ」

私と青峰は黒子くんという一人の男の子を介して繋がっている。彼は私の想い人であり、青峰の一番親しい部活仲間でもあった。黒子くんに関する情報はとても少ない。そもそも彼は影が薄いので黒子くんを黒子くんとして認識している人もそこまで多くない。増えなければいいのに、と思ってしまうのは私のエゴだろうか。笑った顔も驚いた顔も見たことがないのだ。彼はいつも落ち着いていて、淡々と言葉を紡ぎ、黙々と本を読む。
「黒子くんはさぁ、彼女とかっていないの?」

あくまで自然な会話の流れで聞けるように、努めたつもりだ。話すときに読んでいた本を一旦閉じてくれるところが黒子くんの好きなところの一つ。これっぽっちのことで暖かい気持ちになれるのだから、恋というものはつくづく不思議だ。
「いませんよ」

その言葉を聞いてほうっと息をつく。どのタイミングで台詞を口にするべきか、まだ迷ってしまっていた。黒子くんの両手にある文庫本は先週読んでいたもののシリーズの次の話で、ふと黒子くんの机に転がされた青い色のシャープペンシルが目に留まる。ああ、これは確か青峰の。
「それ、青峰のシャーペンでしょ?この後会うしついでだから渡しとくよ」
「いえ、大丈夫です。ボクが自分で青峰くんに返したいので」

黒子くんがその青色を手に取って、消しゴムキャップの部分を優しく撫でた。細められた目に自分と似た光を見つける。色素の薄い奥が覗けない瞳がブラックホールみたいだと思った。大袈裟なくらい脈を打つ心臓の音が耳の中で反響して鳴り止まない。これは、誰の音だろう。
「黒子くんと青峰ってホントに仲良いんだね。ちょっと意外だな」
「仲が良いと言うと、少し違う気もしますが……そうですね、」

カチカチ。黒子くんの手に握られた青色のシャープペンシルから一定のリズムで音が鳴る。上擦りそうになる声と震えそうになる手を押さえるのに必死だった。
「目が離せないというか、ボクには眩しすぎるというか……彼は特別な人ですから」

特別。その響きは胸にずしりと重くてとても飲み下せるものではなかった。瞼の裏でユニフォームに身を包んだ背中を思い浮かべる。大きな背中だ。告白してくるから応援しててね。約束だよ。きっとあの男は約束を守ってくれるだろう。今頃、ユニフォームではなく制服に包まれた背中を教室の椅子に預けて眠りこけているかもしれない。目の合った回数を指折り数えてみても、次の席替えでは隣の席になれるようにおまじないをしてみても、黒子くんが読んでいそうな本をわざと机の上に置きっぱなしにしておいて反応を窺ってみたりしたところで、何も変わらなかった。黒子くんの瞳に映るのは青一色で、それ以外の色なんて、彼は必要としていないのだ。私の世界が黒子くんしか映そうとしていなかったのと同じように。
「私は、あんまり青峰のこと好きになれないかなぁ」

ぽつりと呟いた言葉が嘘を孕んでいる可能性を彼は見つけ出せるだろうか。打算的だ。とても、とても。
「無理にならなくてもいいと思います」
「うん、好きにはなれないと思うし無理はしたくないかな。でも思うよ、……あいつホント格好いいよね」
「はい」

あれほど望んでいた黒子くんの柔らかい笑みがすぐそこにあるというのに私の胸が高鳴ることはなかった。私と青峰を黒子くんが繋いでるんじゃない。黒子くんと私が繋がることができるのが青峰という存在を介してのみなんだ。お互いに対極から、交わることのない視点から青峰を見ている。何だよ、何なの、青峰のアホ。黒子くんのことをもっともっと知りたかった。分かりたいと、たくさんのことを共有したいと思っていたのに。こんな形で共有したかったんじゃない。好きな人のことをこんな風に理解したかったんじゃない。似たもの同士になんてなりたくなかった。私が喉から手が出るほど欲しかったものを、青峰はいとも簡単に引き出してしまうんだからズルい。格好いい。敵わない。ねえ黒子くん、あなたの目の前にいるのは私なんだよ、青峰じゃないんだよ、そんな風に笑わないでよ。やっぱりアイツのことなんて好きじゃないし好きになれない。全然、全く、これっぽっちも、好きじゃないんだ。
「……結局告ってねェじゃねーか」
「うん。失敗しちゃった」

教室を出て廊下を五メートルほど進む。突き当たり、消化器の設置されたクリーム色の壁にもたれかかるようにしてその男は立っていた。ねぇ青峰、私ね、失敗しちゃったよ。あんなに盛り上がってたのに馬鹿みたいで笑えちゃう。とんだ意気地なしだな。そういう風にいっそのこと笑い飛ばしてくれたら楽なのにこういうときに限って笑ってくれないんだから。顔を見て分かったのか、それとも、あの場の近くで私たち二人の会話を聞いていたのかは分からない。分からないほうがいい。彼が優しいことなんてとっくの前から知っている。じわじわと喉が焼かれていくような心地悪さだ。
「お前テツのこと好きじゃなかったのかよ」
「好きだと思ってたんだけどね、何かね、違ったみたい」
「はァ?何だそりゃ」
「黒子くんが追いかけてるのは私じゃないしこれからも私を見ることはないんだろうなって気づいちゃった。いわゆる失恋ってやつ?」
「……だから、告んねェままでいいのかって」
「いいの。そんなことしなくても答えは分かってるから。それより青峰」
「なんだよ」
「この前言ってたこと取り消す。絶対ヘマしたりしないでよね」

黒子くんの目が追っているのはいつだって私じゃなく隣で気だるそうに座るこの男だった。本当は気づいていた。それこそ、ずっとずっと前から。だってあんなにも好きだったんだ。好きな人が一番大事に思う人が分からないほど、察しの悪い女ではないつもり。私の入り込む隙間なんて、始めから存在していなかったんだ。私も黒子くんも青峰も、それぞれ違うものを見てたくさんのことを考えている。ああ馬鹿馬鹿しい。誰の想いも交差することのない関係ほど馬鹿馬鹿しいものはない。あーもー、お前ホント訳わかんねぇわ。頭上から降ってきた言葉は私の頭にさらに熱をこぼした。
「青峰もね、その辺に転がってる恋に気づけたらきっと私の考えてる色々なことが分かると思うよ」

私の渾身の口説き文句にだって目の前の男は何の反応も示さない。今なら、この男の引力に気づけた今ならば、黒子くんの言っていたことがよく分かる。好きだった。本当に本当に大好きだった。だけど彼が欲しいのは私じゃなくて、憧れを一身に受けるのは、世界の中心に君臨しているのは、私が欲しがっているものを全てかっさらっていくのはいつだって同じ人物なのだ。
「帰んぞ」

歩き出した制服から伸びるその手に触れたいと思った。黒子くんも私もこの広い背中からどうやったって目を背けることが出来ない。本当の本当にブラックホールなのは誰だ。知らぬ間に吸い込まれていってしまっているのは誰だ。

どうしようもなく、惹かれている。

彼の有する引力について