君が神様だから

恋にオシャレに忙しい全国各地津々浦々の女子高生の中でも、好きな人にここまで冷たい態度を取られているのは私ぐらいのもんじゃないだろうか。右手にスポドリ、左手に冷却スプレー、そして首にはタオルを巻いた格好でこちらを睨む荒北の前で、できる限り小さく縮こまりながらそう思った。部屋の温度が急に下がったような気がした。


突然我が部に乗り込んできたかと思えば瞬く間に箱学のエースの一人としてのし上がった元ヤンリーゼント男こと荒北靖友は、それはそれは難しい男だった。福富のように器が広いわけでもなければ、東堂のようにお調子者なわけでもなく、新開のように優しいわけでもなければ真波のようにぶっ飛んだマイペース野郎ってわけでもない。口調がきつくて、乱暴で、負けず嫌いだけど常識人で、情に厚くて、人一倍自転車に乗ることに青春をかけてたりする。そういう男が荒北靖友で、私はこいつのストレートに物を言うところだとか、口調が乱暴だったりするところが最初の頃は少し苦手だった。仲良くなれない、と思った。だって今までの箱学にはこんなタイプはいなかったから。単純に、どう接したらいいのか分からなかった。

箱根学園自転車競技部と荒北との衝撃的な出会いから2年が経った。この2年、ロードバイクの練習に打ち込む以外の荒北の姿を私はほとんど見たことがない。いつも颯爽とビアンキに跨って箱根の山を疾走する荒北は、もう立派な箱学のエースの一員で、いつの間にか苦手意識もなくなってそれなりに会話できるようにもなった。話しやすいタイプとはお世辞にも言えないけれど、決してにこやかに話してくれるわけじゃないけれど、チームの一員として最低限のコミュニケーションを取ることぐらいは出来るようになったし、新開や東堂と一緒になって冗談だって言えるようになった。それなりに仲のいいマネージャーと選手の関係を、築けていると思う。

仲良くなったといったって荒北が甘くなるかと言われたら、決してそんなことはなかった。あんまり笑わないし、挨拶もしっかり返してくれないときだってあるし、ひどい時は話しかけても無視されるし、LINEの返事は滅多に返してくれない。返事を催促して怒られることなんてしょっちゅうある。それでも荒北が部員から疎まれないのは、彼の自転車にかける情熱を皆どこかで認めているからだと思う。

多分、ほんとうは、チームのことを誰よりも見ていて、誰よりもプライドが高くて、きっと誰よりも面倒見がいいのが荒北靖友という男なのだ。箱学一の運び屋は伊達じゃない。冷静に周りを見る目がなきゃ福富のアシストなんて勤まんないだろうし、周りから一目置かれてなきゃ苦しい状況で皆を引き上げていくなんてことも出来ないだろうし、運ぶのは自転車だけじゃないんだね!なんつって。そういう冗談のひとつでも飛ばせたらいいのだけれど、荒北が相手だとそうもいかないのだ。

荒北靖友は難しい。とっても難しい。言葉をかけるタイミングを間違えると取り返しのつかないことになってしまう、例えばそう、今みたいに。口をへの字に曲げて全身全霊で不機嫌さを露わにしている荒北の前で泣きたい気持ちをぐっと堪えながら、まったく勘弁してほしいと思った。私はただ「明日の練習メニュー変更になったからチェックしておいてね」と、伝えるよう言付けられた言葉をそっくりそのまま伝えてみただけなのに。私は何も悪いことをしていないし、こんな風に怒られる筋合いだってないはずだ。あってたまるか。そう言ってしまえばいいのにただ縮こまるしかない私は大概弱虫だけど、ツンツンにとんがったナイフみたいな男、荒北靖友にも弱いものが一つだけある。
「誰が言ってたんだヨ」
「福富」
「福チャンがァ?」
「うん」
「…………」
「…………」
「……分かったよボケナス」

これだ。福富寿一。我が部の頼れる主将でエースの福富寿一その人だ。私が言ったって聞きやしないお願いも、「福富が言ってたよ」と言うだけでコロッと態度を変えて承諾してくれたりするんだから、荒北がどれだけ福富を慕っているのかは計り知れない。その百分の一でもいいから私にも心を開いてくれたら少しはマネージャーの仕事だって楽しくこなせそうなもんなんだけどなあ。荒北への伝言を頼まれる度また怒られるのかとヒヤヒヤしながらビアンキに跨がる薄い背中の元へと行かなければならない私の気持ちを福富は分かっていないのだ。あいつには分かりっこないって自分でも思ってるけど、せめて睨むのをやめてくれたらどれだけ気が楽になることか。だけどどれだけ羨んだって福富にはなれない。

箱学の自転車競技部のメンバーは女子にそれなりに人気があるらしくて、やれ東堂がいいだの新開が優しいだの福富が素敵だの真波が可愛いだの言いながらきゃっきゃきゃっきゃと色めき立っている女子をよく見かけた。実際先週の火曜日に後輩に呼び出されただとか、バレンタインには隣りのクラスの女子からチョコを渡されたとか、大会で違う学校のマネージャーに声をかけられたとか、そう言う話はよく耳にしたし、東堂なんてファンクラブまであるそうじゃないか。確かに綺麗な顔をしているとは思うけれど、そんな中でも私が好きなのは新開でも東堂でも福富でも真波でも泉田でもなく荒北だった。


どこが好きなのかとかいつから好きなのかみたいな質問にはあまりはっきり答えないようにしていた。荒北のことが好きなのだと断言出来るほど確信があるわけでもないし、私はそういう恋やオシャレに全力を注げるような女じゃないと自分で思っていたのもあるし、なにより相手は荒北だったから、福富たち自転車競技部の部員は愚か友達にさえも言えなかった。胸の奥の方にそっとしまい込んだまま随分と時間を過ごしたおかげで、荒北の細い腕とか細長い目だとかロードに跨がる背骨の浮き出たシルエットを見るたびに一番知られてはいけない弱味を心臓ごと握られているような気持ちになって死にそうにもなった。だって相手は荒北だ。よりにもよって、元ヤンで、口が悪くて、目つきも悪くて、乱暴な扱いばかりしてくる荒北。東堂とか、新開とか、真波とか、福富とか他の人を好きになったほうがすんなり幸せになれるんだろうって十分すぎるくらい分かっているのに、どうも理想と現実というのは大きく異なるものらしかった。
「荒北のタイプってさぁ、どんなの?」

いつだったか、本人に向かってこう聞いてみたことがある。軽いジャブのつもり、探りを入れたつもりだった。もしここでロングヘアが好きだと言われたら髪を伸ばすつもりだったし、ショートが好みだと言われたら暑いからとか適当な理由をつけて切るつもりだったし、色白の子が好みだと言われたら美白を決意しただろうし、穏やかで優しい子が好きだと言われたら少しでもそれに近づけるよう努力をするつもりだった。

しかし返ってきたのは「何でんなこと言わなきゃなんねーんだヨ」という言葉で、さらにそのあとに続いた「とりあえずオメェみたいな奴じゃないんじゃなァイ?」という言葉で私の気分はどん底にまで突き落とされた。「タイプって言われたらむしろ困っちゃうよ」とおどけてみせたものの、内心泣きたくて泣きたくてたまらなかった。玉砕した。こんなところで砕け散ってしまうとは思わなかった。びっくりしすぎて返事がワンテンポ遅れたせいで怪訝な顔をした荒北の目もしっかり見れなくて、練習後のストレッチをしている荒北から逃げるようにトレーニングルームを飛び出した。あのときも、いいやいつだって、荒北の存在は私を苦しくさせる。そんなこと分かってるのに未だ荒北のビアンキばかり追ってしまうこの目は節穴に違いないのだ。

最初に断っておきたいのは、荒北靖友は私の理想のタイプとは似ても似つかない、むしろ正反対の男だっていうこと。本来なら好きになる理由もなければむしろ嫌いな人間に分類されるはずの男だったのに、どうしてこうなってしまったんだろうと首をひねるばかりだ。第一印象は真波や泉田のほうがずっと良かったし、今でもよく喋る男子といえば東堂や新開だし、何か問題が起こったときに真っ先に頼るのは福富で、荒北じゃない。決して一番近い異性なんかじゃない。だけどやっぱり練習中に一番早く耳に届くのは荒北の声だし、ふとしたときに視界に映るのは荒北の細い腕だし、おはようやまたねを真っ先に言いにいきたいと思えるのは数いる部員の中でも荒北だけなわけで、これってつまり私は何かよくわかんないけど荒北が好きなんだろうなぁって思ってしまうわけだ。思うだけで何も変わりはしないし好きだからといって荒北に特別甘くなったり、反対に荒北が私に優しくしてきたりすることも全くないんだけど。特別なことが何もなくとも会えるだけで嬉しい、なんてふわふわした乙女のようなことを思ってしまう私は幸せ者なんだと思う。
「荒北ってさぁ、いい奴だよね」
「はァ?」
「はァ?ってなにさ、褒めてんのに」
「おめェに言われたって嬉しくねーんだけどォ」

じゃあ誰に言われたら嬉しいんだよと言い返したくなる気持ちをぐっと堪えて深呼吸をした。私だって別に、好き好んで荒北にツンケンしているわけじゃない。まがりなりにも片思いの相手なんだ、他の女の子よりも誰よりも近しい異性でありたいし少しでも良いやつだと思われたいしあわよくば可愛いと思われたい。せっかく他の女の子よりも多くの時間を荒北と過ごせているのに、憎まれ口ばっかり叩いてちゃ何も変わらない。そういう風に思うところがあって最近の私は荒北に出来る限り優しく接するようにしている。そんな健気の塊のような今の私を荒北は何かとても不愉快なものを見るような瞳で一瞥すると、肩にかけたカバンを背負い直して歩く速度を速め、前を行く新開と福富に合流してしまった。少し俯いて、三回ほど大袈裟に瞬きをして、顔を上げる。何にも気にしていないふりをするのは大の得意なのだ。これくらいどうってことない、いつもの荒北と私の距離感。赤毛と金髪に挟まれた黒髪が辺りに広がる山の緑によく映えていた。伸びたえりあしが気になったところで、数メートル先に立てられた看板が目に入る。今日の大会の会場に到着だ。




大会が終わると毎回思うこと、それは、もうちょっとレースの余韻に浸ってもいいんじゃないか、ってこと。箱学の選手は王者であることに誇りを持っている、らしい。福富も新開も東堂も泉田も、もちろん荒北だって、王者箱学の地位を守るために毎日毎日ペダルを回すことに余念がない。これが王者の風格かと感心するのと同時に、勝って喜びはするものの満足せずに上を目指す彼らにちょっとだけ、寂しさも覚えたりするわけで。レースに勝った余韻に浸るばかりにロッカールームに取り残されることはしょっちゅうあるし、慌てて追いついた行列の最後尾で荒北の走りを思い出して今日こそは可愛らしく「お疲れさま」と言おうと決意するのはもう毎度のことだった。大抵列の先頭にいる荒北とはそのまま言葉を交わすことなく別れてしまう羽目になるから、直接言えたことはあんまりないけれど。せっかく決意したメッセージを送らないままにするのは勿体ないからといって打ち込むのはもっぱらLINEにだ。それすら既読がつくことは滅多にないんだから空しいといっちゃ空しい。既読がついたってそこからやりとりが続くわけでもないし、所詮は自己満足の世界なのだけれど、送らないよりはマシだろう。直接言えたらどんなにいいか。そう思いながらも携帯をポケットにしまい込む。メッセージ欄に表示された『荒北靖友』の名前は、上から数えるよりも下から数えた方が早かった。

明日は部活が休みだ。レースで消耗した体を少し休ませて、また次のレースで全力を出せるようにするための休息日。部活が休みということはつまり、部室やトレーニングルームに行く必要がないということで、明日は荒北に会えない日だってことだ。そう考えると手放しには喜べない。部員とマネージャーだからこそ荒北は相手をしてくれるけど、マネージャーでも何でもなくなった私には荒北は何の興味も示さないに違いないのだ。休みの日でも寮に帰れば荒北の顔を見ることが出来る福富や新開が羨ましい。ここで家に帰ったら、次に荒北に会えるのは二日後だ。そう考えると帰るのが名残惜しくなってわざとゆっくり歩いているといつの間にか先頭とかなりの距離が開いてしまっていた。まずい。このままでは本当に置いていかれる。ていうか最後尾の人誰でもいいから一回ぐらいちゃんと着いてきてるかどうか後ろ振り返るとかしてくれてもいいんじゃないか、そう思いながら荷物を抱え直した。ここから走ればまだ追いつくことの出来る距離だし、先頭はもう見えないけど最後尾くらいならかろうじて見えるし、まだ大丈夫だろう。そう思って少し足を速めたときだった。

木の影になってよく見えないけれど誰かが立っていた。着ているジャージみたいなものは箱学のそれによく似ていて、そして、背格好は荒北と同じくらい細長くて黒っぽい髪もよく似ていた。最初は荒北によく似た下級生の誰かかと思ったけれど、近づけば近づくほどその人は荒北のように見えた。荒北のように見える、というよりもきっとあれは荒北だ。四六時中荒北のことを考えてどうしようもない私の目にそう映るんだからほぼ間違いない。荒北がそこにいる。多分、一人で。
「荒北?」
「……おっせェんだよボケナス」

不機嫌そうに吊り上がる口元に、もう何度言われたか分からないボケナスという言葉に、細長い手足。間違いなく荒北靖友だ。木に背を預けるようにして立っていた荒北は、片手で持ったベプシをもう片方の手に持ちかえながら、「ったく、歩くの遅すぎんじゃねーのォ?」と言ってため息をついた。ベブシにはたくさんの水滴がついていて、そこから滴る水を見ながら突然の荒北の登場にまだ着いていけてない頭をフル回転させる。だけどどうやったってもしかするとここで私が来るのを待っててくれたんじゃないかという思考に行き着いて仕方がなかった。都合のいい解釈って分かってるけど、でも、これは、期待しちゃうじゃないか。とりあえず荒北の隣りに腰を下ろそうと近寄ると思いっきり睨まれた。え、なんで睨むの待っててくれたんじゃないの?
「なにしてんの荒北」
「べっつにィ」
「荒北も置いてかれた?」
「んなわけあっかよバーカ」
「じゃあ何でここにいんの」
「おっせーから探しにきたんだヨ」
「えっ」
「オメーじゃねェよバカ、東堂だ東堂」

迎えにきてくれたのかもしれない、なんて淡い期待を抱いた私が馬鹿だった。東堂だって。そういや東堂も巻ちゃんに電話するとかなんとかで遅くまでロッカールームに残ってた気がする。ああ、そういうことか。ようやく荒北も少しは丸くなってくれたのかもしれないなんて、思った私が自惚れてた。偶然とはいえ二人きりになれて嬉しいとか、そんなに嫌われてもいないのかもしれないなんて、思っちゃいけなかったんだ。
「あっそう、東堂ね東堂」

情けないことに少し声が震えた。目頭も熱いし、ああ、やばい泣きそう。いきなり泣き出す女とか迷惑に違いないのに、ただでさえタイプじゃないらしい私がこれ以上荒北に嫌われる原因を作ってどうする。泣き止まなくちゃ。そう思ってもどんどん熱くなる目頭は冷やしようがなくて、耐えきれなくなって荒北に背を向けた。もうやだ、荒北絶対びっくりしてる。
「は?何泣いてンのお前」
「うるさい、泣いてない」
「顔ぐしゃぐしゃになってっけど」
「荒北に言われたくない」
「あァ?」
「もういい、あっち行ってよ」
「だから東堂待ってんだっつの」

動く気配がない荒北に痺れを切らして、私は歩き出した。当然のことだけど荒北は追いかけてこなければ何にも慰める言葉をかけてきたりもしない。これはいよいよ終わったかもしれない。もういい、いっそ泣いて全部スッキリさせてしまおう。そうしたら明日から、いや、次に荒北に会うときからは普通にしていられる。普通のマネージャーとして、普通に荒北に接していけるはずだから、だから、今は一刻も早く荒北の視界から消えてしまいたい一心で早足で歩いた。ほとんど走っているみたいなものだ。やっぱり荒北靖友は難しくて、無愛想で、そして私は可愛げがない。分かりきっていたことが今更ちゃちな恋心に刺さって痛みだした。本当にバカみたいだ。
「おいチビ」

バカみたいだって思ってるのに、やっぱり声が聞こえると立ち止まってしまう私の体は自分の欲求に対してひどく素直だった。潤んだ視界を片手でぐっと拭って、出来る限りのきりっとした顔を作って振り向いた。木に背中を預けるのをやめたらしい荒北は、これまただるそうに立ちながら今度は片手じゃなくて両方の手にベブシを持っていた。
「なにしてんの」

さっきと全く同じ質問を投げてみても荒北は答えない。代わりにベブシを投げて寄越すと「泣き顔ブッサイク」と言って携帯を耳に当てながら私を追い越してさっさと歩いて行ってしまった。東堂を待っていたんじゃなかったのか、っていうかこのベブシなに、ブサイクって言われたんだけどどんな顔してるのか分かんないし、ちょっと、え、何が起こったのか全然分かんない。しばらく放心したのち、また置いていかれそうになっていることに気づいて慌てて細長い背中を追いかけた。ペットボトルの中でしゅわしゅわ泡立っているベブシがやけに冷たい。


やっと先頭集団に追いついたときにはもう解散する寸前のところになっていて、私はベブシを振り回しながら荒北の姿を探した。細長い腕、白い肌、短い黒髪、どれを探しても見つからない。代わりに呼んでもいないのに東堂がひょっこり現れて、「迷子にならなくてよかったな」と言ってきた。荒北と合流したことはなんとなく言いづらくて、「うん」とだけ返しておく。すると東堂は、これまた聞いてもいないのにべらべらと喋り出した。この東堂の演説じみた話し口には慣れっこになっているから聞き流していたのだけど、途中で自分の名前が出てきたもんだから思わず反応を返してしまった。
「そういえば、のことを探していたぞ」
「誰が?」
「荒北が」
「いつ?」
「さっきだな。迎えにきたんだろう?」
「きたけど」
「わざわざお前を呼びに行ったんだ」
「うっそだぁ、オメーじゃなくて東堂待ってるんだから早く帰れボケナスって言ってたもんアイツ」
「嘘ではないぞ、証拠だってある」
「証拠?」

これでどうだ、と胸を張って誇らしげに東堂がかざした携帯の画面に表示されているのはLINE。私がどれだけ送っても延々と無視され続けていた憎っくきLINEのアプリには、荒北靖友と表示されていた。私には全然返さないくせに東堂とはめちゃくちゃやりとりしてるじゃないか、どんだけ嫌われてるんだよもう、と思いながらも画面を覗き込む。するとそこにちらほら見かける私の名前。え、なに、どういうこと?
「どうだ、中々に気に入られていると思わないか?」

呆然と画面を見つめる私に東堂は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。なにがなんだか分からない。分からないけれど、確かに画面に表示されている相手の名前は荒北靖友で、そこには『見なかったか?』『見ていないな。まだ会場にいるのではないか?』『呼んでくる』なんてやりとりが表示されていて、なんだその、つまり、さっきあそこに荒北がいたのは東堂を探しにきたんじゃなくて、私を探しにきてくれたってことで、あのとき言った東堂を待ってるって言葉は嘘ってことになる。自惚れじゃなくて、本当に私を待っててくれたってことで、じゃあこの手に持ってるベブシもわざわざ買っててくれたってことになるし、じゃあそれって、あの荒北が私に優しくしてくれてるってことじゃないのか。もし、本当に自惚れの境地でしかないけれど、嫌われてるんじゃなくて、東堂が言うように荒北に気に入られてるとしたら?そしたら、……本当にそうだったら。
「と、東堂、どうしよう私死にそう」
「死んだらイカンな!」
「私どうしたらいいの」

東堂は元々上がっていた口角をさらに上げてにんまりとほくそ笑みながら「それはが一番分かっているだろう」なんて言うから、耐えきれなくなって私はもう四六時中いやというほど見つめ続けて見飽きたぐらいの背中めがけて走り出した。 さっき封を開けたばかりのベブシがペットボトルの中でしゅわしゅわ音を立てる。薄くて肩甲骨の浮き出た白い背中が目に映った。
「荒北!」

息を弾ませながら名前を呼んだ私の口から彼へと次に吐き出される言葉はきっと、今まで何度も送ってきたどの「お疲れさま」の言葉より可愛らしいに違いない。