Kill me gentry

数あるイタリアンマフィアの中でも最強の名を欲しいままにしているボンゴレファミリーの独立暗殺部隊ーーヴァリアー所属のベルフェゴールといえば、この界隈ではその名を知らぬ者はいなかった。

成功率90%以上の任務でなければ請け負わない、依頼されたが最後そのターゲットは必ず暗殺される。そんな業界でも異例の任務成功率を誇るヴァリアーの面々の中でも飛び抜けた天才と称される彼は、噂だけでもその名を毎日のように耳にした。

身長2メートル超えの大男だとか、「プリンス・ザ・リッパー」の異名にふさわしい絶世の美青年なのだとか、任務前には必ず神にお祈りを捧げるルーティンがあるだとか、愛用しているナイフを買うために足繁く通うお気に入りの店が実はミラノにあるとか。噂はどんどん尾ひれがつき、今やもうベルフェゴールという天才暗殺者の本当の姿を見たものはいない、と言われるまでになった。男なのか女なのか、若者なのか老人なのか、背丈は低いのか高いのか、ベルフェゴールが一体何者であるかを確かめられた者はいない。そしてその噂は嘘ではなく本当だった。彼の姿を見た者はもれなく、この世から葬り去られてしまうからだ。



だから、私が初めてあの少年に会ったとき、にやにやとした笑みを携えてボーダーの服に身を包み私を玄関で出迎えた痩せ細った少年がまさか最強の暗殺部隊たるヴァリアーの幹部の一員であるとはとても認識できなかったことについては「仕方がない」の一言で済ませるべきだと思うのだ。


暗殺者としてのキャリアを着々と積み重ね満を持してヴァリアーへ入隊希望を出し、見事採用と至った1週間後。私はやたらと広いヴァリアー本部の玄関ホールで偶然見かけた金髪の少年に声をかけていた。呼び止められた彼は私の頭から爪先までを見回してからニヤリと口角を上げて言葉を放つ。
「ししし、お姉さんが今日から来るっていう新人の人?」
「うん、そうだけど……あなたは?使用人の人?私まずはボスの部屋に挨拶しに行かないといけないみたいなんだけど、良ければ案内してくれる?」

暗殺家業を営んでいるうちに身についてしまったものの一つに勘というものがある。その勘が逃げろと告げるのに気付いて「しまった」と思ったときにはもう遅い。青筋を立て金色の髪を靡かせた少年の手からは無数のナイフが繰り出されていた。すんでのところで避け「何するの!?」と素っ頓狂な声を上げた私に、彼は「口の利き方がなってねーやつにはお仕置きしないとダメだろ」と口を尖らせながら言う。

初対面の人間に向かって挨拶もなしにお仕置き発言、さらにはナイフを投げてくるなんて、人としての態度がなってないのはどちらなのか。人間業とはとても思えない超難関任務ですらも平然とやってのける天才暗殺集団と聞いていたからヴァリアーへの入隊を志願したってのに、こんな奴がいるなんてまるでならず者の集まりだ。
「口の利き方って……貴方そんなに偉いわけ?使用人じゃないの?それに見た感じ私よりも年下でしょ?」
「ししっ、顔知らねーみたいだし王子は親切だから特別に教えてあげるけど。俺、ベルフェゴール。使用人じゃなくてお前の上司な」

絶望とはこのときのために用意された言葉なのかもしれないと思うほどの衝撃が走る。誰でもいいからこうなる前に教えてほしかった。かの高名なプリンス・ザ・リッパーが2メートル超えの大男などではなく16歳の金髪の少年であることと、そして、これから私の上司となる予定の男であったことを。


◆◆◆


それからの日々といったらもう、「最悪」の一言では片付けられないほどに散々なものだった。

8カ国語を操り書類の処理は完璧、入念な下調べを重ねて綿密に立てた作戦のおかげで任務の成功率は言わずもがな、御用があればハニートラップだってお手の物。きっと私ほどの人材ならば名だたる企業や裏社会の大組織からも引く手数多だろうに、何故私はこんなところ(具体的に言えば任務先だったとある高級ホテルの一室)でベル隊長にナイフを投げつけられているのか。それは私が残念ながらこのボーダー服を華麗に着こなしナイフをまるでおもちゃかのように気まぐれに投げてくる少年の部下のうちの一人で、そしてつい今しがた隊長の機嫌を損ねてしまったからだ。

ヴァリアー・クオリティと称される高い任務成功率を誇る我が組織の中でも、隊長の任務の遂行率は90%どころか120%を誇る。何せその日分の任務だけでなく次の日分のターゲットまでまとめて片付けてしまうためだ。

「ちょっと何でターゲット以外にもう一人ここに倒れてるんですか!?」
「思ったより簡単に終わったからあと一人ぐらいサクッと殺しとこうかと思って。どうせ明日になったら殺す予定だったんだし手間省けて最高だろ」
「最高じゃないですよ最悪です。段取りってものが世の中にはあるんですけど隊長知ってます?報告書書くの誰の仕事だと思ってんですか!」
「知らねー。だって俺王子だもん」

王子だから一体なんだというのか。いや、ていうかそもそも王子じゃないし。ヴァリアーの幹部の一人で悲しいかな今は私の上司だし。

暗殺稼業と言うとドラマや映画の主人公のようで聞こえはいいが、その実態は泥臭いものだった。張り込みや聞き込み、潜入など地道な情報収集の末に綿密なシミュレーションを重ねて殺しの算段をつけ、夜闇や人混みに紛れてこっそりとターゲットを襲い、殺した痕跡が残らないように現場を片付け、事の顛末を書き漏らしがないように丁寧に報告書に綴る。そうした地道な積み重ねの上にヴァリアー・クオリティは成り立っているのだ。

なのに、この隊長はその全てをお馴染みのティアラを煌めかせながら華麗にぶっ壊していく。

「ちょっと隊長、聞いてます?」
「聞いてない。お前の話なげーんだもん」
「誰のせいで長くなってると思ってるんですか!これじゃいつまで経っても打合せ終わらないですよ」

もういい加減にしてくださいと思わず声を張り上げると、「うるせー」耳に手を当ててあからさまに嫌そうな顔をした隊長がベッドに寝転んで懐から取り出したナイフを弄び始めた。
「打合せなんかしなくても俺ならいつでもどこでも完璧に殺せるし。だからもうこの話は終わり、解散」
「ダメです。隊長は隙あらばターゲット以外の余計な人まで殺そうとするんですから、ちゃんと任務内容頭に入れといてください。後でボスに怒られても知りませんよ」
「…………」

前髪の奥でじっとりとこちらを睨んでいた瞳がぷいとそっぽを向く。ああもうダメだ、拗ねてしまった。暗殺の腕だけはヴァリアーの中でも群を抜いているというのに、こういうときだけ年相応の少年らしい態度を見せるのは勘弁してほしい。隊長はきっと私のことを口うるさい細かい部下だと思っているだろうけど、私だって好き好んで隊長に苦言を呈しているわけではない。隊長さえ自分の任務を報告書を上げる段階まできちっとやってくれさえすれば、私の仕事は平穏そのものなのに。しかしそんな私の気持ちなどつゆ知らず、隊長はこちらに向かってナイフを投げつけながら「そんなにうるさく言うならもうお前が隊長やればよくね?」と口を尖らせた。
「出来るわけないじゃないですか」
「なんで」
「……ベル隊長は隊長やめる気あるんですか?」
「ないに決まってんじゃん」
「じゃあダメです。これからも隊長として頑張ってください」
「いやだ」
「やだじゃないでしょう」

てこでも動こうとしない様はまるで小さい子供のようだ。うーん、としばらく考えるような仕草をしていた隊長が、ひらめいたとでも言いたげな顔をしてガバリとベッドから起き上がる。
「しししっ、じゃあさ、お前隊長代理ってことで王子の代わりに書類片付けといて。そしたらお前は書類ちゃんとボスに出せるし、俺も面倒なことしなくていいし、お互いにウィンウィン。名案だろ?」
「いや全然名案じゃないしどさくさに紛れてどこ行こうとしてるんですか!?」
「散歩。じゃ、あとはよろしく」
「ちょ、ちょっと隊長!待ってください隊長ー!」

行ってしまった。ちくしょう何であの人はこうもわがまま放題やりたい放題なんだ。やってられるかとペンを投げると勢いよく宙に放られたペンが壁に突き刺さったのを見てため息をつく。もういい、こうなったら依頼された任務も片っ端から隊長の名前で受けてやる。どうせベル隊長は息するみたいに今日も誰かを殺してくるんだし、それなら任務ということにしてやった方がヴァリアーのためにもなるだろうし。


◆◆◆


敵対ファミリーに潜入し幹部の一人を暗殺、ついでに先日ボンゴレの下っ端が奪われたらしい拳銃を取り返す。難易度で言えばそれほど難しいものではなかった。ベル隊長の代理で引き受けたうちの一つにあったこの任務、ターゲットが色好みということで適当な理由をつけて街中で声をかけアジトの場所を割り当て、隙を見て毒を盛るかナイフで心臓を一突きする。何度も繰り返してきたお決まりの流れだ。私の綿密な計画と下調べの前では失敗する要素など一つもない。そう、そのはずだったんだけど、何故私は今ターゲットであるはずのこの男と一緒に手錠をつけられ部屋に閉じ込められているのか。首を捻っても全く心当たりが出てこない。

私と同じく手錠で部屋の柱と繋がれガタガタと震えているターゲットだったはずの男に声をかける。
「貴方、ここのファミリーの人なんじゃないの?どうして私と一緒に閉じ込められてるわけ?まさか裏切り?」
「ちっ、違う、俺はこのファミリーの人間なんかじゃない、ただ、いい仕事があるって誘われたから言われた通りあの男のふりをしてただけで……っ」

青白い顔をした男の言葉にサアッと全身から血の気が引いていく。やはり、この男は狙っていた敵対ファミリーの人間じゃない。じゃあ、私のターゲットになるはずだった男は一体どこに?まさか鍵をかけたのはその男だというのか。でも目の前の男の顔は任務依頼書に載っていた顔とそっくりだし、この男が言葉通り甘い誘いに釣られてのこのことやってきた一般人だとするならば、最初から本来のターゲットの幹部の男はこの男とは別人で、私はまんまとヴァリアーの人間を始末するための計画におびき寄せられてしまったということか。やられた。業界最強と名高いがクセの強い隊員ばかりなせいで同業からも恨みを買いがちな集団であることをすっかり忘れていた。隊長ならばこんなヘマしなかっただろうに、やはり私には代理といえど隊長など荷が重すぎたのだ。


ここから先の展開は説明されずとも分かる。嫌というほど目にしてきた光景だ。ここで部屋もろとも爆発するのに巻き込まれて殺されるか、助け出されたとしても拷問か、ボンゴレの情報を聞き出すための交渉材料として使われるか。ボスがそんな交渉に応じるかどうかは分からない(きっと応じないだろう)けど、マフィアのトップをやるにしては冷徹さが足りないと専ら噂の次期十代目の彼はどうだろうか。万が一にも敵の交渉に応じるようなことがあってはならない。そんな風にヴァリアーを脅かす材料として使われるくらいならば舌を噛み切って死んだ方がマシだ。

チッチッチッチッと爆発までのカウントダウンが進んでいくのが聞こえる。表示された時間は残りあと1分、私と壁の柱を繋いでいるやたらと頑丈な手錠が外れる気配はない。あーあ、ここが年貢の納め時か。観念して目を閉じる。こういう情けない最期を迎えるのだと分かっていたら、せめて暗殺者としてもう少し違う人生を生きていただろうに。例えばベル隊長のように多少は任務内容を無視してでも自分のやりたい殺しをやるとか。

まあでも、暗殺者らしいといえば暗殺者らしい最期だろう。この世界に身体一つで飛び込んでから幾年、そこそこ華々しいキャリアを築けていた気がする。一つだけ気がかりがあるとすれば、私がいなくなった後ベル隊長の尻を叩いて報告書を書かせる人材がヴァリアーにいるのかどうか、いや、そもそもこの大失敗に終わりそうな任務の始末書は誰が書くのだろうかということぐらいだけどーーーー

あんなにも迷惑ばかりをかけられ続けていたというのに、一度顔を思い浮かべると次から次へと隊長との決して華々しいとは言えない日々のあれこれが頭の中を駆け巡り、ああこれが噂に聞く走馬灯かと思いながらはたと気付く。さっきアラームを見たときからもうとっくに1分は過ぎているだろうに、私の体が爆発でバラバラになる気配はない。おかしい。まさか幻覚でも見せられているのだろうか。相手のファミリーにそんな術を使える人間がいるという情報はなかったはずだけど。辺りの様子を確認しようと閉じていた瞼をうっすら開けると、視界いっぱいに金色が広がっていて驚きのあまり後ろに仰反る。金色の中で揺らめくティアラの光が目に入った。

ぱちぱちと瞬きをしても一向に消えない視界の中で、「00:00:16」と表示された止まっているアラーム付きの爆弾を手に私の顔を覗き込んだベル隊長が笑っていた。

「何やってんの」
「……囚われの身の深窓の令嬢、ってところですかね」
「しししっ、似合わねー」

動き出す気配がない爆弾を部屋の隅の方へ放り投げ、代わりに手に持ったナイフをくるくると弄びながら、ベル隊長は私を見下ろすようにして部屋の中に立っている。
「助けに来てくれたんですか?」
「はあ?」
「はあ?って。爆弾止めに来てくれたんですよね?」
「んなわけねーじゃん。殺しに来たついでに敵のアジト物色してたらチッチッチッチッうるせーから止めてやっただけ」
「じゃあやっぱり隊長が助けてくれたんじゃないですか」
「まあそういうことにしとけば」

どっちにしろお前任務失敗してるし後で始末書な、まあ標的らしい男はさっき俺が殺しちゃったけど。悪びれる様子もなくさらりとそう言った隊長に目を見開く。……ちゃんと任務指示書読んでたんだ。
「隊長が来るのがあと少し遅かったら私、舌噛み切って死ぬところでした」
「ししっ、そうなるともう一生王子とチュー出来ないと思うけど、いいわけ?」

よくない全然よくない。ぶんぶんと首を横に振ると、厚い前髪の奥で瞳を光らせた隊長がにやにやと笑みをたたえながらナイフを振るった。私がどれだけ暴れようとびくともしなかった手錠がカシャリと音を立てて床に落ちるのを見て、心の中で天晴れと拍手を送る。いくら人格に問題があれど、やはり彼は暗殺者としては紛れもなく天才なのだ。


どうやら今いる所属員のほとんどはベル隊長に倒されてしまったらしい。……ターゲットは幹部の一人だけだったはずだけど、敵対しているファミリーだったしむしろこれはお手柄だろう。物音一つ聞こえない敵アジトを二人で後にしながら、前を歩く隊長が振り返って指を二本立てながら心底楽しいといった様子で私に向かって声をかけてくる。
「始末書、今日中に書いて提出な。まあ標的自体は殺してるし20枚くらいで許してもらえると思うけど、しししっ」
「……そうですね」

久しぶりに空気を取り込んだ肺がきゅうと鳴いた。ベル隊長は私が思った通りの反応をしなかったのが不思議だったのか「変な顔」と呟いた後、何も言わずに本部へと向かう車の中へ乗り込んでいく。車のドアを開け運転席へ足を乗せながら、ざらざらと乾いている自分の舌の感触をこっそりと確かめる。助手席でナイフについた血を拭っている隊長は相変わらず悪魔のような笑みを浮かべているけれど、不思議と腹が立ちはしなかった。舌を噛み切る覚悟を決めたばかりの私に投げかけられた彼の言葉を思い出す。……隊長とキスする予定は今のところないけれど、いつか来るかもしれないその日までこの舌は取っておかなければ。

課せられた任務が失敗してしまったというのに何故だか無性に気分が良い。鼻歌でも歌い出してしまいそうだ。「ぼーっとしてねーで早く出せって、王子めちゃくちゃ働いたから腹減ったんだけど?」と急かす隊長を一瞥してから「はいはい、すみませんでした」と彼に気づかれないようにこっそりと舌を出す。風を切るように走り出した車の中で金髪から跳ね返ってくる日の光を浴びながら、私はまず今日ボスに提出予定の20枚の始末書に一体何から書くべきかと頭を巡らせていた。

Twitter企画「夢女あきの里帰り企画」様へ参加する用に書いたものです。素敵な企画をありがとうございました!