百星巡りの果てに

※親愛ストネタバレ注意


約束はしなかった。そんなものがなくったってきっと、私たちは永遠だと思っていたから。だけど違った。例え400年の月日が経とうともあの日一緒に見た夕焼けをマナエリアでもないのにずっとずっと忘れられないでいると貴方が知れば、「馬鹿だな」とせめて一瞬だけでも笑ってくれるだろうか。

ファウスト様が見つかったとレノックスから連絡を受けたときの私の動揺っぷりたるや、これがオズやファウスト様のような高名な魔法使いであれば即刻伝記として後世に残されていただろう。それくらい、あの日の私の慌てぶりといったらもう、どの書物を漁っても他に類を見ないほどだった。

賢者の魔法使いというものの存在は知っていた。それに毎年選ばれる魔法使いがいるということも、選ばれた限りはその力を持って大いなる厄災と戦わなければならないということも。しかしそんなものは私には一生関係のないものだと思っていた。ーー今年それに選ばれたのが、かつての盟友レノックスとその主君たるファウスト様だと知るまでは。

厄災による影響は年を追うごとに大きくなってきているらしい。昔はここまで騒がれることもなかったような気もするが、今ではあちこちで日夜絶えず妙な出来事が起こっている。そして、そうした出来事の調査をするために賢者の魔法使いたちは東西南北そして中央の国の各地を回っているのだそうだ。

賢者の魔法使いというものはこんな寂れた町にも来てくれるのか、というのが初めの印象だった。中央の国にある魔法舎からわざわざ出向いてきたという彼らは、近頃この町の人間たちの間で流行っている病の調査のためにやってきたらしい。黒っぽい服装に身を包んだ複数の男たちーーきっと彼らが賢者の魔法使いなのだろうーーに囲まれるようにして町の長と話しているのがきっと、異界から来たという賢者様なのだろう。その後ろを守り固めるようにして立っている4人の魔法使いの姿に目を走らせながら、見知ったあの人の顔がないかを探した。

賢者の魔法使いが来ると聞いたときから、期待をしていなかったといえば嘘になる。だが、半信半疑であったのもまた事実だった。400年前のあの日以来忽然と姿を消してしまったあの人が、私がどれだけ探しても一目見ることすら叶わなかったあの人が、こうしてまた人前へ現れることなどあるのだろうかと。もしも本当ならばこの目で一目だけでもいいから確かめたいと、思ってしまうのも無理はないだろう。そうしてやっとこの目で捉えたその青年の姿は、サングラスで隠れているせいかあの頃よりもいくらか憂いを帯びた目をしているように見えるものの、確かに私がかつて仕えた主君ーーファウスト様のものだった。

物陰から一目見るだけで十分だと思っていたことも忘れ、町長と話がついた後に宿の方へと向かおうとする彼らに向かって駆け出していく。走っている途中でたまらず「ファウスト様!」と呼びかけるも、当の彼は聞こえないとでも言わんばかりに脇目もふらずスタスタと町の外れへと歩いていってしまった。それを追いかけるようにして「待ってください!」とさらに声を張り上げると、ファウスト様の隣にいた青っぽい髪色の青年がちらちらとこちらを見ながら彼へと耳打ちしている声が聞こえてくる。
「……なあ、先生。呼ばれてるの先生じゃないのか?」
「さあ。僕にあんな知り合いはいないよ」
「いやでも思いっきりあんたに向かって名前呼びかけてるけど……」
「……」

迷惑そうな顔を隠そうともせず、足を止めてじろりとこちらを一瞥した後ふうと大きく息を吐いたファウスト様が「先に行っててくれ」と声をかけたのに頷いた先程の青年が残り二人の少年を連れて歩いていくのをじっと見ていると、「……なに? 僕は賢者の使いとしてここに来ただけなんだけど」と吐き出された言葉にハッとして視線を戻す。そうして実に400年ぶりに間近で見たファウスト様の姿は、アレク様とともに私たちを導いてくれていたあのときよりも幾らか大人びたように見えるものの、変わらず美しく優美で溜め息が出そうになるものだった。

変わらない姿に安堵しながら「お久しぶりですファウスト様」と頭を下げると、途端に「よしてくれ。……僕はもうきみとは何の関係もないんだから」という彼の棘のある言葉が降ってきてちくりと胸が痛んだ。そのまま頭を上げられずにいると、「……確か、」と呟かれた彼の言葉に俯いていた顔を上げる。
「……きみは今、薬草や魔女のシュガーを人間に売って生計を立てていたはずだけど」
「ご存知だったんですか?」

驚いて目を見開きながら訊ねると、「……この町で妙な病が流行っていると聞いたから、魔法使いの仕業かと思って調べただけだ。結局まだ原因は分からないままだけど、きみのせいではないらしいことだけは分かった」とファウスト様が続けた。明らかに乗り気ではなさそうなその声にはきっと、だからこそこんなところにまで自分たちがわざわざ足を運ぶ羽目になったのだという意味も込められているのだろう。はあ、と溜息をついた彼が忌々しそうにうっすらと夜空に浮かんでいる厄災を見上げた後、地面へ向かってぼそりと呟く。
「……だから、わざわざ会うこともないだろうと思っていたのに。まさかきみの方から来るなんて」
「すみません。……400年も前のことなのに、ファウスト様のお姿を見るとつい昨日のことのように色々なことを思い出してしまって、居ても立っても居られなくって思わず……」

もう一度はあと大きく息を吐き出した彼が何の気なしに言った「そういうところは変わらないな」という言葉に胸がどきりとした。……覚えていてくれたんだ、私のことを。400年も時が経っているというのに、あの日と変わらない彼の誠実な瞳と無愛想なように見えて私たち部下一人一人のことを慮ってくれるその姿にそれだけで胸がいっぱいになってしまい何も言えないでいると、「賢者やネロに後で聞かれても面倒だし、先に聞いておくけど。人間たちの流行り病に心当たりはある?」と尋ねられ、はてどうだろうと首を捻った。革命軍が解散した直後は当て所なくふらふらと彷徨ううちに行動を共にしていた魔法使いも何人かいたが、今となってはみな他の場所へと拠点と移したか石になってしまったかで、私の他にはもう誰も残っていない。
「この辺りを縄張りにしている魔法使いというのはここ数百年の間は見かけたことはありませんが……。やはり魔法使いの仕業なのでしょうか?」
「それが分かったら苦労しないよ」
「そうですよね。すみません」

賢者の魔法使いというのもなかなか骨が折れる仕事のようだ。明日から町の人たちへ聞き込みをしないといけないと心底面倒そうに漏らした彼に向かって何か助言できることはないかと頭を巡らせていると、サングラス越しにこちらを見た彼の紫の瞳にじっと見据えられ途端に心臓が躍り出す。
「きみは昔から薬学や病理についてはさっぱりだったから、あまり期待はしていなかったけど。……初めて会ったとき、僕に惚れ薬を作ってくれと無茶な願い事をしてきたときがあっただろう」
「そっ、そんなこといい加減に忘れてください。もう何百年も前の話ですよ」
「ついこの間のようだと先に言ったのはきみの方なのに?」

そう言われてしまうとぐうの音も出ない。ぐっと押し黙ってしまった私を見たファウスト様の口元が少しだけ緩められたように見えるのは、夕日に照らされている彼の姿があまりにも美しいせいで見てしまった幻覚なのだろうか。……これがある種の魔法だというのなら一生かけられたままでいいのにと、そんなことを考えてしまう。私たちが共にいたあの日々に戻れることはもう、一生分の呪いをかけたって有り得ないことだと分かっているのに。
「ファウスト様」
「……その呼び方はやめてくれと言ったはずだけど」
「すみません。……でも、これで最後にしますから」

約束はしなかった。そんなものがなくったってきっと、私たちは永遠だと思っていたから。そして400年前のあの日、永遠なんてものはないのだと知った。人は変わる。街も変わる。国だって変わる。変わらないのは魔法使いぐらいのものだ。……それでもまだ、きっとどこかにはあるのだろう永遠などという不確かなものを信じたくなってしまうのはきっと、私がずっと秘めてきたこの想いこそが、私たちを導いてくれた英雄へと向けるこの気持ちこそが永遠だったのだと、他の誰でもない貴方に伝えたくなってしまったからだろう。
「お元気なようで安心しました。……この400年の間、一度も貴方たちのことを忘れたことはなかったです」

私が言った言葉に眉を釣り上げた彼から発せられた「口では何とでも言えるさ。……もう、僕のこともアレクのことも、忘れた方がきみのためだと思うけど」という言葉が本心でなければいいと願った。忘れられるはずがないというのに、何と酷なことを言うのだろう。忘れられた方が自分のためだと、一体どの口が言うのだろうか。結局この人はどこまでも、他人のことを考え慮ってばかりで自身へ向けられる感情のことなど気にすることもない。ーーたとえ革命が成されることがなかったとしても、あんな形で終わりを迎えることなど誰も望んではいなかったとしても、それでも私の主君は生涯貴方ただ一人だけで、それだけはこれからと変わらないと、面と向かって駄々をこねるにはもう随分と私も彼とは違う歳月を過ごしてきてしまったらしい。
「努力はするようにしますが、……約束はできません。こう見えても私も魔法使いですから」
「……ああ、そうだったな」

約束はできない、と繰り返した彼に向かって「ええ」と頷きながら笑いかけると、「……きみも元気そうでよかった」と小さく続けられた言葉に目頭がカッと熱くなる。……ああそうだ。永遠なんて本当はいらなかった。そんなものがなくたって、私はきっとこの人のことが好きで、そしてただずっと、夢を手にしたその暁にはその手で強く抱きしめてほしいとそう願っていただけなのだ。

終ぞ叶うことはなくなってしまいそうな願いを胸元へと仕舞い込み、いつの間にかとっぷりと日が暮れてしまった空を見上げる。あの日と同じ濃い藍色色をした夜空には、決して交わることのない私たちを嘲笑うかのように、あの大きな厄災だけがただぽっかりと浮かんでいた。