しみゆく春ののちまでも

出会ってから約3年、好きになってからは2年と少し。決して華々しいとは言えない高校生活の大半を、私は報われるのかも分からない片思いに費やしていた。

日焼けが嫌だから早く過ぎ去ってくれと願っていた夏が過ぎる速度は想像以上に早く、高校三年生の二学期の終わりに差し掛かった私たち陽泉高校三年生に残された高校でのビッグイベントといえばもう大学受験くらいしかないんじゃないか。そう思えるくらいには周りも自分も切羽づまり始めたこの季節に、未だに部活を続けているのなんてバスケットボール部くらいのもので、放課後スポーツバックを背負ってシューズ片手に廊下を歩いていく部員を見つけるのは半年前に比べるとずっとずっと簡単なことになっていた。参考書や電子辞書や単語帳を山ほど詰め込んだプラスチックの鞄を持って皆が駅へと急ぐ中、大きくて角張った鞄を持って歩く姿はよく目立つ。先輩たちが引退して最高学年になり、放課後コートの整備やボールの準備のために一目散に体育館まで駆けていく必要のなくなった私の日課は、自分よりも先に教室を出ていくであろう福井の後ろ姿を追いかけることだった。




周りがどんどんカーディガンやコートを着ていくなか未だに白いシャツ一枚で学校に来る福井はとても寒そうに見える。黒い集団のなかで一際目立つ白を追いかけながら、私はあの白いシャツに包まれた背中を叩くタイミングを推し量ることに専念していた。教室から出て、廊下をまっすぐに進んで、突き当たりの階段を一番下の階まで下る。部活が終わって靴を履き替えに校舎まで戻る手間が面倒だと前にこぼしていた通り、福井はまず校内用のスリッパをローファーに履き替えてから体育館へと向かう人だ。自分よりも出入り口に近い場所の靴箱を使っている福井と同じように、自分の名前が書かれた靴箱に片手を引っ掛けてバランスを取りながら踵を地面に打ち付けローファーを履く。肩から落ちかけた鞄を背負い直して彼の視線がこちらに向けられるのを今か今かと待った。

それから、靴を履き終えて俯いていた顔をあげた福井が「あ」という顔をしてこちらに気づいた素振りを見せるまで、そう時間はかからなかった。
「今日は数学の教科書ありがとね。助かった」

体操服の入ったサブバックを握りしめて福井の隣りで足を進める。話題がなくて置いていかれてしまうことのないようにあらかじめ考えておいた台詞を言った唇が切れてしまわないか心配になるほどに、今日の風の温度は冷たかった。

体育館へ向けて歩く私と福井を何人もの生徒が追い抜いていく。一年生のとき靴を履き替える手間も惜しんでせかせかと歩いていたのが今では遠い昔のことのように、私たちが体育館へと向かうスピードはゆっくりだ。福井が一歩進む度に彼の背中にかかった鞄が弾んで小さく音を立てる。弾む鞄の横であっちこっちに揺れているフェルトで出来たお守りが目に入った。ユニフォームとお揃いの、白と紫。紫のところは洗濯をしたからなのか少し色が薄く、白い部分はフェルトに絡まった細かい毛や小さな汚れで灰色に近い色に変色している。明らかに手作りと分かる、市販のものに比べたらかなり貧相なそのお守りを、福井はかれこれ一年くらいずっとスポーツバックに括り付けたままにしていた。どうしてなのかは聞いたことがないし、聞く勇気はこれからも持てそうになくて結局そのままだ。ただ外すのが面倒だからなのか、愛着でも湧いてしまったからなのか、どうなのか。薄汚れて色が変わってしまった白と紫を見て、何か言うべきだろうかと考えているうちに体育館はすぐそこにまで迫っていた。更衣室へと続く廊下に足を踏み入れた福井がぶるっと肩を震わせて言葉を発する。
「寒いな」
「もうすぐ冬だからね」
「それにしても寒いだろ」
「カーディガン着ないからだよ」

それもそうか。一人で納得したような顔をして福井はさっさと男子更衣室の扉を開けて部屋のなかへと姿を消してしまった。がちゃんと扉の閉まる音を聞き終えてから、女子更衣室の扉のノブをひねる。いつも自分が使っている場所を目指す間に、他の運動部の後輩が脱ぎ散らかしたであろう服がいくつも山を作っているのを見て懐かしい気持ちになった。秋田の冬は寒いからと二重に履いていた靴下の隙間に指を入れ、二枚同時に脱いで鞄の上に放る。裸足になった足の裏にコンクリートの冷たさが直に響いて身震いをした。ここを利用するようになってからもうすぐ3年になろうとしているけれど、未だに一度も暖房のスイッチは入れられたことがない。きっとこの先もないんだろう。

体育館から聞こえる足音がだんだんとボリュームを上げていく。鞄のポケットに入れた携帯のボタンを押して時間を確認。ちょうどコートの整備もボールの準備もモップがけも終わったところだろうか。それほどゆっくりしちゃいられないと体操服の上にカーディガンを羽織って更衣室から出る。今日は水筒を持ってくるのを忘れてしまったから、先に買ってから行かないと。そう思って廊下の隅に置いたローファーを履いて踵を鳴らして外に出ると、真っ先に手を繋いで渡り廊下に佇む男女が目に入った。思わず足が止まってしまう。だけど例の男女は二人だけの世界に入りきっているのかこちらには目もくれず、ただひたすらに愛を囁き合っていてどんどん気分が下がっていくのを感じた。通りづらいったらありゃしない。わざわざこの道を通らなくたって自販機には行けるけれど、そちらは遠回りだし何よりローファーに砂がつく。さあどうしようか。別に、通ったって何もないだろうけど、通りづらいものは通りづらい。よくよく見ればうっとりと男を見上げるスカートの短い女の子は隣りのクラスの子だし、男の方はよりにもよって同じクラスだ。勘弁してほしいと思う。

早くどこかへ行ってくれればいいのに。




「あれ、今日はお茶持ってねーの?」
「水筒忘れちゃって」

パスとシュート続けての練習が終わって、5分間の休憩。給水器に群がる一年生に紛れてコップを持った私を目ざとく見つけた紫原が首を傾げて言ったのに愛想笑いを交えて答えると、返ってきたのは「ふうん」という何とも興味なさげな三文字。ちょろちょろと細い筋になって流れる給水器の水を見て、次のメニューが始まったらまた作りにいかなくちゃなと思いながらコップを傾けた。さっき散々迷ったあの道は結局通れずじまいで、私が右往左往しているうちにいよいよ顔を近づけ本格的に密着しだしたカップル二人に耐えきれなくなり私はそそくさとローファーを脱ぎ体育館へ戻るはめになってしまったのだ。もし明日あのクラスメイトと授業中に目でも合ってしまったらどういう顔をしたらいいのかと、心配事が一つ増えてしまった。

学校でいちゃつかずとも帰ってからやってくれればいいのに何故あんな場所を選んだのだろう。きっと二人きりになれる絶好の隠れ場所だとでも思ったんだろうけど、迷惑な話だ。別にあの二人が特別邪魔だったわけでもないけれど、ここ最近はよく目にする光景ではあるけれども。二年生で行った沖縄への修学旅行が終わってからというもの、私たちの学年の生徒の間ではカップルがそこかしこで出来上がっては消え、また一組出来上がっては消えという状態を繰り返している。昨日も廊下で別れ話の最中なのか、気まずそうな顔を浮かべる男女を見かけた。あの二人組も今日のカップルも、別段悪いことをしているわけじゃない。ただ、この学校には受験に追われている今の三年生と同じように、未だに部活に追われている私たちみたいな三年生もいるという話なだけだ。

最終下校時刻が迫っているのにも関わらず呑気に歩いているのなんて私たちぐらいのもので、だらだらと喋りながら進む私と福井を何人もの生徒が追い抜いていった。シューズや水筒や着替えの入った大きな鞄を振り回しながら走っていく影が一年生のときの自分たちと重なる。少し速度を緩めるとあっという間に前を行く福井との距離が開いてしまった。何度隣りを歩いてもこの男は私に歩幅を合わせるなんてことはしないからだ。ローファーの踵を踏みならして速度を速める。ちょうど福井が振り返った。
「暑いな」

そう思ってんのは多分あんただけだと思うよ。風で膨らんだ白いシャツを見つめて出てきた言葉を噛み砕く。あと一ヶ月足らずで今年も終わってしまうというのにシャツ一枚で「暑い」とこぼす福井に、「風邪引いても知らないよ」と返すまでが私の一日だ。それは今日も変わらない。また開き始めた距離に歩幅を広げながら、伸びをする背中に向かって声を出した。
「福井のクラスのさあ、背低くて可愛い子いるじゃん」
「んー?」
「あのスカート短い子。ショートカットの」
「いるなあ」
「その子さ、うちのクラスの男子と付き合ってるみたいで」
「へー」
「部活行こうとしたらいちゃいちゃしてるとこ見つけちゃって焦った」
「だからお前今日体育館来んの遅かったの」
「うん。おかげでお茶買いそびれたし」

大袈裟に肩を落とした私を見て「それはお前が焦りすぎなだけ」と言って福井が笑う。
「いやでも、実際目の前にしちゃったら焦るって。マジで。冷や汗かいた」
「そういうのって知り合いだと余計気まずいよな」
「そうそう、しかもさあ、」

あんなとこでキスまでしてたんだよ。言いかけた台詞を頭の中反芻して慌てて揉み消すと、不思議そうな顔をした福井が振り返って首を傾げた。
「や、なんでもない。学校でいちゃつくのって勇気いるよね」
「俺なら絶対ムリだな」
「私も」
「そもそも相手いないだろお前」
「福井もじゃん」
「まあな」

今年のクリスマスもサミシマスだなんだとシャレを言いながら、なるほど福井は学校ではああいうことはしたくない人間なんだと一人勝手に心の中でメモをした。

分かれ道に差し掛かる。私は右で、福井は左。どちらからともなくお互い別々の方向に足を向けて歩き出した。少し遠ざかった距離に向かって「明日部活何時からだっけ」と言えば、「9時。遅刻すんなよ」また声が返ってくる。鞄と背中の間で皺になった白いシャツが街灯の下で光っているのを見届けて、もう一度足を進めた。9時か。あんまりゆっくり寝てられないなあ。ずんずん進みながら、福井と歩いているときに比べて、一人で歩くときの歩幅はうんと大きく歩くスピードは倍以上の速度になっているのに気づいて笑いそうになった。こんなところまで名残惜しく思わなくたっていいのに。




あのカップルが人目に隠れるようにしてキスをしていたことを福井に伝えるのは、なんだか告げ口をしているかのような気持ちがして薄暗い心地がした。それに、それを聞いたあとの福井の反応がどうにも想像つかなくて、言えなくなってしまった。きっとどんな反応をされても私は困ってしまうんだろう。

たとえば、福井はキスという単語一つで赤面してしまうような、そんな男子なんだろうか。それとも、普通に「今日のご飯はハンバーグだよ」程度の台詞として受け取るんだろうか。それを聞いて、恥ずかしくなったりはしないんだろうか。私はきっと、耐えられない。福井の口からそういったことを聞くことも、福井の前で口にするのも、どちらも恥ずかしく思ってしまうに決まってる。だから、言わなくて良かったんだ。これで良かった。よくやったとあのときの自分の判断を褒めてあげたい。

福井に好きな女の子がいるらしいと誰が言い出したのかも分からない噂を耳にしたのは、二年生の秋になってからのことだった。あのときの私はバスケ部のマネージャーという毎日とは言わなくともほとんど毎日一番近くで福井を見ていられるポジションに優越感を覚え、さらにその上に胡座をかき、言い訳に言い訳を重ねて気持ちを悟られないようにするのに必死だった。だって、もし仮に好きだと知られてしまったらどうする。もし、知られてしまって、そして福井が同じ気持ちでないとしたら?振られるのも無かったことにされるのも辛いのだから、本人に知られないようにするのが一番だ。

そう思うようになってから1年が経ったけれど、私と福井とバスケ部の関係は何も変わらないまま、とうとうここまで来てしまった。例の福井の好きな子と福井がどうにかなったという話も聞かないし、もちろん私と福井がどうにかなるなんてこともなく、あと少しすればウィンターカップがやってくる。ウィンターカップが終わるということはすなわち私や福井がバスケ部を引退するということで、そうすればもうきっと放課後一緒になって体育館に行くことや最終下校時刻まで学校に残ることもないだろう。受験なんかより、待ち受けているであろう大学生活よりも、今がずっとずっと楽しくて大切で、うんと先まで続いてくれたらと思う。だけどそう思えば思うほどに、月日の流れは早く感じられた。




岡村と福井を中心とした三年生を囲んで円形に並ぶ部員の目が赤く腫れ上がっていてやるせない気持ちになる。勝っても負けてもこれで最後だと覚悟はしておいたはずなのに、実際に負けてみると心にぽっかり空洞が出来てしまったかのような虚無感に襲われてばかりで泣くに泣けなくて困った。あのときああしておけば良かったんじゃないかとか、本当に私は全力でバスケ部のマネージャーをすることが出来たんだろうかとか、そういうことばかり浮かんでくるのに肝心の涙が出てこない。おかしいな、絶対泣くと思ってたのに。

三年生全員の挨拶が終わって監督が解散の合図を出しても、皆すぐには帰らずに試合の余韻に浸っている。一足先に鞄を背負ってどこかへ行ってしまった福井の姿を探すと、体育館外のベンチに一人で腰掛けているうちのジャージを着た選手の姿が目に入った。なんとなくだけど、福井だろうなと直感してアスファルトを踏みしめる。もし泣いていたらどうしよう、と不安になりながら覗き込んだ顔は泣いているどころかいつも通りで拍子抜けした。
「どうしたんだよ」
「あ、いや、……一人で泣いてんのかと思って」
「そんな岡村みたいなことしねえよ」
「なにそれ岡村泣いてんの」
「さっき後輩に慰められてた」
「へえ。あいつも最後の最後まで変わんないね」
「ほんとにな」

会話が途切れて静寂が訪れる。今更になって、どうして今回に限って何の話題も考えて来てないんだと自分を責めた。福井の「ほんとにな」に続いても不自然じゃないようなフレーズを頭の中でぐるぐる探していく。「皆きっと寂しいんだよ。私も寂しいけど」「福井は泣かないんだね」「三年間色んなことがあったね」だめだどれも違う気がする。
「……そこ、立ってないで座れよ」

突っ立ったままあれこれと考えを巡らせる私に福井が自分の隣りを顎でしゃくって座るように促した。素直にそれに従って、福井の隣りに腰を下ろす。座ったのはいいものの、さて今から何を話そうか。何か話をしようにも、福井は私とは反対側の会場をあとにする他校の選手ばかりを眺めていて話しかけられる雰囲気ではないし、かと言って座った手前すぐに帰るのも悪い印象を与えそうで出来ればしたくないし、なにより、今日を逃してしまったらもう二度とこうやって福井と二人きりで話す機会なんて訪れないかもしれないと思うと動くに動けなくなってしまう。

そっぽを向いてしまった福井の代わりに、薄汚れてグレーと紫になってしまったユニフォーム型のお守りがこちらを向いている。私と福井を隔てている彼のスポーツバックには、2年前から変わらずに不格好なフェルトで出来たそれが括り付けられていた。指で引っ張ると簡単に千切れてしまいそうなくらいに古ぼけたそのお守りも、明日からは出番が無くなってしまう。きっと、福井はもうスポーツバックを背負わなくなるだろう。そうなると、惰性で付けたままにしていたそのお守りもようやくお役御免になるというわけだ。まだまだ先は長いと思っていたのに、終わってしまえば一瞬のことのように感じられたなあとしみじみ思いながら、やっとこっちに目線を戻した福井に向かってスポーツバックを指差して言う。お守りに負けず劣らず、一年生のときはあんなにピカピカだったスポーツバックはぼろぼろになっていた。
「外さないのそれ」
「それって?」
「鞄についてるそれ。お守り。だいぶ汚れてるけど」

一つでも多くの試合に勝てるようにと一年のときの私が作ったお守りを、一番目立つ場所に真っ先につけたのはこの男だった。そして、そういうところを好きになった。引っ張ったらすぐにでも千切れてしまいそうなくらいよれよれになった綿の入ったそのお守りを、丁寧に鞄から外すと手のひらで感触を確かめるようにして握った福井が「ぼろぼろになったなあ」と感慨深そうに言うものだから何だか泣きそうになってしまう。
「結局2年くらい付けっぱなしにしてたな」
「結構効果あったでしょ」
「おう」

ぼろぼろになるくらいに、一緒にいたんだと。結局最後まで何もなかったけど、フェルトの白が灰色になってしまうくらいには同じ年月を過ごしてきたんだ、と。思わぬところで実感する羽目になってしまった。

お守りを握った手を閉じたり開いたりしていた福井がふうと息をつく。毛羽立ったフェルトの表面の繊維が福井の手のひらから離れていくのをなんともいえない気持ちで眺めていると、手のひらからつまみ上げられたお守りがまた元の場所に戻っていくのを見て目を見張った。また同じ場所に括り付けようとする福井に向かって、呟く。
「まだつけるのそれ」
「つけるけど」
「……何で?」
「何でって、捨てるのも勿体ないだろ」
「捨てていいよ。せめて外すとかして」
「何で?」
「……何でって、もう試合することもないんだし」

もう福井が陽泉高校の選手としてユニフォームに袖を通す機会は訪れないんだから、ユニフォーム型のお守りだってもう何の願いを込める必要もないはずで。そもそもそんな不格好なものを引退の今日までずっと付け続けてくれるとは思わなかったし、思ってたらもっと綺麗なやつ作ってただろうし、受験のお守りにするならもっとちゃんとした神社に行って買ったりとか、他にも色々あるだろう。わざわざそんなの付けなくたって、他にいくらでも方法はあるのに。

またお守りが揺れるようになったスポーツバックを軽く叩いて「そんなに外してほしいのか」と不思議そうに言う福井に言葉が詰まった。たとえ外すのが面倒くさいからとか、惰性でなんとなくだとか、そういう理由からだったとしてもつけてくれるのは嬉しい。確かにそう思っていたのは事実だけれど、惰性でもなんでもない今、こうして改めて鞄につけられた白と紫を見ると、嬉しいだけの感情じゃ済まされなくなる。
「外してほしいってわけじゃないけどさ」

福井がそれを付け続ける限り私はずっと福井を諦められなくなってしまいそうな気がして、いっそ目の前で捨ててくれたらすっきりするのにとさえ思えるようになっていた。だって、もう私たちには受験しか残されてないっていうのに、どうしてそんなに平気そうな顔して話してるの。もう今日が終わったらこうして話すこともなくなっちゃうかもしれないのに、福井はこれっぽっちも寂しくないっていうの。部活がなくなったこれからも、部活があった今までも、なんにも変わらないっていうの。

そんなのって、あんまりだ。

その次の言葉なんて言えそうになくて、煮え切らない言葉を返した私に福井は一瞬眉を潜めるとスポーツバックをばんと叩いて考える仕草をした。そして閃いたとでも言いたげな顔で振り向くと口の端を釣り上げて笑う。名案だって言いたげな顔だ。
「じゃあ、お前がまた新しいの作ってくれたら外す。ご利益ありそうだし」
「……ご利益って、何の」
「受験とか?」

まるで引退しても、部活がなくなってもなにも変わらないと言いたげな態度に涙が出そうになった。こういうところが福井と私の違いを表している。私には区切りが必要だ。
「そんなの好きな子に作ってもらえばいいじゃん」

マネージャーの私じゃなくたって、その役目は果たせるものだ。私がほとんど独り占めしてしまったような福井の三年間はもう少しで終わる。そこから先の未来で、薄着で外出する福井に笑いながら注意をする女の子はたくさん出てくるはずだ。だから、私の役目はここで終わらせなくちゃいけない。

てっきり、動揺するかと思っていた。好きな子がいるということ、それを私に知られているということに、慌てて言葉を濁したりとか、視線を泳がせたりとか、そういう態度が返ってくると思っていた。だけど福井は顔色を変えることなく瞬きを繰り返すと、すっくと立ち上がってまっすぐにこちらを見て言った。
「お前のだから欲しいんだよ」

言われた言葉を噛み砕くのに、普通の倍の時間を要した。ぱちぱちと効果音がつきそうなくらいに瞬きをしても、目の前の福井は消えない。どうしよう。動揺するのは福井じゃなくて、私の方だったみたいだ。
「帰るぞ」

福井の腕に乱暴に持ち上げられたスポーツバックの上で括り付けられたお守りが跳ねる。制服と同じ白いジャージをはためかせて前を歩く福井を慌てて追いかける。こんなときになったって、福井がこちらに歩幅を合わせてくれる気配はない。だけどもう腹は立たなかった。同じくらいのスピードで歩いていけるのはあと少しかもしれない。だけど、もしかしたらこの先もずっと、同じように歩いていけるのかもしれない。鞄の横で揺れる白と紫がさっきよりもずっとずっと綺麗な色に見えた。

やっとのことで福井の隣りに並ぶと「言い忘れてたんだけど」と頬を掻きながら少しだけ頬を染めた福井が言う。
「お前が持ってた赤本の大学、あそこ俺も受けるから」

お守り、二つ作れよ。お前の分と俺の分。早口で言い切ってそれきり何も喋らなくなってしまった福井に向かって頷く。こっそり前を行くスポーツバックの端っこを掴んでみると驚いたような顔のあと、ふいっと顔を逸らされた。こういうとき真っ赤になってくれると可愛げがあるのに、そうはいかないみたい。でも、さっきまでの、泣きそうだった気持ちが嘘みたいに晴れやかだ。今まで歩いたどの帰り道よりも口数は少ないけれど、どれよりも気分がいい。隣りを歩くこの人に向かって「好き」の言葉を伝えられるのも、そう遠くない未来のことのような気がした。