blink/kiss/kiss/blink
困ったなぁ。渋谷での任務終わりに立ち寄ったカフェのざわざわとした喧騒の中、向かいで静かにアイスコーヒーを飲んでいる伏黒の跳ねた毛先が揺れる様子を眺めながら、虎杖と野薔薇ちゃん早く来ないかなぁと一人思った。
同級生に禪院家の隠し玉と宿儺の器がいると聞かされたとき、高専の呪術師になったことを早くも後悔した。そして入学した後に真希さんから乙骨先輩の話を聞いて、この人たちと同じ学年でなくてよかったと心から思った。呪術界には、私の理解の及ぶ範疇をゆうに超えた人間が多すぎる。それぐらい、化け物揃いの東京校の中で私は、あまりにも平凡だった。
世間的には”呪いが見える”というだけで十分異端なのだろうけれど、環境が変われば基準も変わる。五条先生や乙骨先輩のような火力はもちろん、虎杖のように人間離れした身体能力があるわけでもなければ、野薔薇ちゃんのように遠隔でも戦える術式を持っているわけでもなく、伏黒のように一家相伝の特別な術式を持っているわけでもない、ただのしがない4級呪術師。それがここでの私に対する評価だった。粒揃いの東京校の生徒たちの中で、通常であれば干されていてもおかしくない立場だけれど、呪術界全体の人材不足がそれを上回っているせいで、そんな平々凡々たる私にもひっきりなしに呪霊討伐の依頼が飛び込んできているのが現状だ。
4級の術師が単独で任務を請け負うことは許可されていないから、基本的に任務のときは自分よりも等級が上の術師に引率してもらうことになっている。引率してくれる人は一人の時もあるし、二人以上で担当する任務に補佐として同行することもあるし、虎杖や野薔薇ちゃんと一緒になって低級呪霊の討伐にあたることもこれまでに何度か経験していた。けれど、東京校の一年で唯一2級呪術師として単独行動が許されている伏黒とはこれまで同じ任務を担当したことがなかったから、今日が初めての合同任務だった。
だからこそ、困っているのだ。ちょうど同じくらいの時刻に任務が終わったという残りの一年二人と合流するのを待っている間に適当に入ったカフェで伏黒と二人きりで暇をつぶしている時間、そのあまりの会話の続かなさに。
朝のテレビの占いコーナーでは最下位ではないものの下から数えた方が早い順位だったこと、朝ごはんに食べようとしたバナナが半分以上黒ずんでいて食べてもいいものか少し躊躇したこと、ここに来るまでに乗ってきた補助監督の車でかかっていた音楽が中学の頃好きだったバンドのお気に入りの曲だったこと。思いつく限りの雑談のネタはもう使い切ってしまった。後はもう、私に出来ることといえば、虎杖や野薔薇ちゃんや五条先生といった共通の知り合いの話題を出して騙し騙しこの場を凌ぐことくらいだ。
「この前さ、虎杖から伏黒とゲーセン行ったって自慢されたんだけど。伏黒もそういうとこ行くんだね」
何気ない雑談のつもりで言った言葉に、伏黒の眉がぴくりと動いたのが見えた。話題選びを間違えてしまっただろうか。恐る恐る顔色を窺ってみるも、その無愛想な表情からは彼が何を考えているのかを読み取ることはできない。
「ゲーセン行ってさ、二人で何やるの? クレーンゲームとか? 前に虎杖と行ったときめちゃくちゃ欲しいぬいぐるみがあったんだけど、私も虎杖も何回やっても取れなくてさ。伏黒そういうの得意だったりしない?」
沈黙の気まずさから抜け出したくて、つい、いつもより饒舌になってしまう。アイスコーヒーを一口飲んだ後、何か言いかけた伏黒の言葉を聞くよりも先に、私のスマートフォンに新しくメッセージが届いたことを知らせる通知音が鳴って二人分の視線がそちらへ向けられる。
「……見なくていいのか」
「いいの?」
「急ぎの用かもしれねぇだろ」
「じゃあ、……ちょっとだけ」
伏黒の視線を感じながら、スマートフォンの画面をタップしてメッセージを確認する。送り主は私も伏黒もよく知っている人物だった。
「何だった」
「えっと、野薔薇ちゃんから。今虎杖と一緒にいるんだけど、補助監督の車が渋滞にハマっちゃってて全然こっち来れないって。どうしよう」
画面に表示されているメッセージの文面からも、補助監督の運転する車の中で苛立ちを抑えられないでいるのであろう野薔薇ちゃんの姿が容易く想像できる。
「せっかく待ってたけど二人とも来れそうにないっぽいし……。伏黒はどうする? 高専帰る?」
「……オマエはどうするんだ」
「私は、うーん……。どうしようかな。せっかくこっちの方まで出てきたから、ゲーセンとか買い物とか行ってから戻ろうかなと思ってるけど」
ちょうど手元のドリンクを飲み切ってしまいそうで二杯目を頼むべきか迷っていたタイミングだったから、野薔薇ちゃんからの連絡があって助かった。野薔薇ちゃんと合流したら行く予定だったアパレルショップとゲームセンターの場所をマップアプリで確認しながらカフェモカのストローを啜っていると、一足先にコーヒーを飲み切っていた伏黒が不意に口を開いて言う。
「行ってもいいけど」
「え?」
「ゲーセン、行ってもいいけど。今から」
「一緒にってこと?」
「……それ以外に何があんだよ」
眉間に皺を寄せながらそう答えた伏黒に「じゃあこれ飲んだら行く?」と訊ね、その言葉に彼が無言で頷いたのを確認してからもう残り少なくなったカフェモカが入ったグラスをストローでかき混ぜ中身を一気に飲み干した。
渋谷や原宿辺りの都会の方へ出てくる任務の際には、必ずと言っていいほど野薔薇ちゃんと二人で話題のカフェやスイーツ巡りをしにいくことにしていた。今日もそうやって過ごす予定だったし、行きたいお店も予めいくつかSNSで探してピックアップしてある。虎杖とは、二人で任務に出かけたときにはカラオケで数曲歌ってから寮に戻ることが多い。どちらも示し合わせたわけではないけれど、何度か任務を一緒にこなすうちに自然とそうなっていた。
伏黒とはこれまであまり一緒に任務に当たったことがなかったから、二人だけで任務終わりにどこかへ出かけたり、ゆっくりと話をした覚えはない。何せ伏黒は私よりも等級が高い呪術師だから、任務で何かあったとしても自分ですぐに解決してしまうことも多いために増援として呼ばれることもなかったし、先輩たちと合同で訓練をしているときにも自分に課されたメニューが終わったらさっさと寮の部屋に帰ってしまうイメージがあったから、今日みたいに二人での任務が入っていたとしても伏黒を寄り道に誘おうとは思えなかった。そういう馴れ合いを嫌って、一刻も早く寮に帰って寝たいタイプなのかと思っていたからだ。
「意外だな。伏黒ってこうやって放課後に遊んだりするの、あんまり楽しくないのかと思ってた」
「楽しくなかったらわざわざ来ねえだろ」
「えっ……あ、うん。それもそうだね」
聞くだけ野暮だということは分かっている。それでも、今の伏黒の言葉を聞いて、いつも仏頂面で何を考えているのかいまいちよく分からない同級生の男の子という印象だった彼にも、私たちと一緒にいて”楽しい”と思うことがあるんだと確かめたい気持ちになってしまった。
伏黒との間に流れる沈黙に気まずさを覚えたのは初めだけだった。虎杖や野薔薇ちゃんと比べて口数は少ないし、話しかけても大きく反応が返ってくるわけではないものの、嫌々着いてきてくれているわけではないということは、先程の彼の言葉に加えてその言動の端々からも読み取ることが出来たからだ。
ゲームセンターへ行ったときには私がお目当てだったぬいぐるみのクレーンゲームに何度か挑戦している間に両替を済ませてきてくれていたし、パスケースを新調したいと言った私が売り場で色で悩んだ挙句に「赤と青だったらどっちがいいと思う?」と意見を求めたときには「どっちでもいい」と面倒そうに口では言いつつも最後には「……こっち」と青い方を薦めてくれたし、途中で立ち寄った本屋では話題の本コーナーに陳列されていた本のうちの一冊を指差して今ちょうどこれを読んでいるところなのだと教えてくれたりもした。
その様子を見ている限りでは、どこにいても何をしていても大抵の場合はスンと澄ました顔をしているものの、どうやら本人の言う通り、心の底から楽しくないというわけでもないらしい。それが知れたのが、ここ最近では一番の収穫だったように思う。
それからも、伏黒とは何度か任務終わりに遊びに出かけた。相変わらず伏黒はどこへ行こうにもあまり乗り気じゃなさそうな顔をして、私が行きたいと言った場所に渋々ながらも付き合ってやっているというポーズを取っていたけれど、あちこち連れ回されるのもあれやこれやと話しかけられるのも、表面上は面倒くさそうにしているものの内心ではそこまで嫌というわけでもないようだから気にしないことにした。向こうから誘ってくることはなくともこちらが誘えば毎回着いてきてくれるのだから、それがなんだか嬉しいような気恥ずかしいような、くすぐったい気持ちを覚えてしまう。
伏黒と一緒にいるときの空間は静かで、和やかとでもいうべきか、他の人といるときよりもゆったりとした時間が流れているように感じる。虎杖と一緒にいるときは笑っているか怒っているか呆れているかで感情が忙しなく動いていて、穏やかな気分になったことなんてないに等しいけれど、伏黒といるときは長い沈黙も嫌じゃないと思えるのだから不思議だ。男友達というのはこういうものなのだろうか。一般的な異性の友達に二人を当てはめようとしてみても、如何せんサンプルが二つしかないせいでよく分からない。でも、こうして伏黒と二人で過ごす時間は好ましく思う。
思ったままにそう伝えると、伏黒は何とも言えない複雑そうな顔をした。そしてふいっと目を逸らし、それからしばらく何も話してくれなくなってしまったものだから、何か余計なことを言ってしまったかと焦って弁解しようとするも取り付く島もなくて困った。
「ごめん。怒ってる?」
「……怒ってねえ」
「でもここのところにすっごいシワ入ってるけど」
「元からこんな顔だろ」
「ええー……」
今日は伏黒が大型書店に行くつもりだと言ったから、私にも読めそうな本がないかと探しにきているところだった。任務が予想以上に早く終わったときや他の呪術師と合流するのを待っているとき、スマートフォンの画面ばかりを眺めて時間をつぶすのにも飽きてきていたところだったから、いつでも携帯出来て手軽に読める文庫本でもあればいいなと思ったのだ。カフェやファミレスで注文したものが届くのを待っている間に、ソーシャルゲームの類をプレイして退屈しのぎをするのではなく本を読んで過ごしている伏黒に多少の影響を受けている節もある。
試しに初めの数ページだけをパラパラと読んでみて、これだと思ったものを手に取ると、それを横から覗き込んできた伏黒がポップに書かれている売り文句と私が持っている本を交互に見ながら意外そうに呟いた。
「ミステリー系の小説好きなのか」
「特別好きっていうわけじゃないけど……この前、虎杖がこれが原作の映画観て面白かったって言ってたから。読んでみようかなと思って」
「……へえ」
そちらの方から聞いてきたくせに、伏黒は関心の薄そうな返事をして自分が好んで読んでいるというノンフィクション系の本が集められたコーナーの方へ行ってしまった。その反応を見て、もしやまだ機嫌を損ねてしまったままなのかと思ったけれど、ぐるりとコーナーを一周してから「特に何もなかった」と言って戻ってきた後もずっと伏黒はそんな風な調子だったから、ただ本当に、これが彼の素の状態というだけのようだ。
本屋を出た後、同じビルに入っているアパレルショップに立ち寄って冷やかし程度にウインドウショッピングを楽しんで、ついでに靴を一足買ってから高専へと戻る。別れ際、私の部屋の前まで送ると言って着いてきた伏黒がドアの前に立つなり黙って身を屈めると、そっと唇にキスをした。驚いて固まる私に、「……じゃあな」と言い残して伏黒は去っていく。その後ろ頭で跳ねる黒い髪の毛先を呆然と見つめながら、確かめるように唇を触ってみても、いつまでも重ねられた唇の感触が消えないような気がして困ってしまった。
◆
「野薔薇ちゃんってさ、友達だと思ってた人と、……その、キスしたこととかある?」
伏黒とは頻繁に出かける機会があった一方で、野薔薇ちゃんとは任務や怪我の治療やその他諸々の事情によってなかなか互いのスケジュールを合わせられなかったから、表参道のおしゃれなカフェで二人でお茶を嗜みつつお喋りするのも久しぶりだった。虎杖や伏黒や五条先生を交えて皆で賑やかに盛り上がるのもいいけれど、時には女子だけでゆっくりと話したいことだってあるものだ。
ここ最近野薔薇ちゃんがゲットしたという戦利品や、地方へ任務に行ったときに食べて美味しかったもの、少し面倒な先輩と組まされてしまったときの任務の愚痴、つい昨日虎杖が披露していたというくだらないジョーク。温めていた話のネタを一通り話し終わった後で、言うなら今だとばかりにそう切り出すと、野薔薇ちゃんは眉間に皺を寄せて「何それ。アンタ誰かにキスされたわけ?」と訝しげな目線をこちらに向けた。
「いや、そういうわけじゃないんだけど……。えっと、なんというか。そういうのって、世間一般でよくあることなのかなと思って」
「あるかないかで言ったら、まあ、ないでしょうね。普通は友達だと思ってる相手にキスなんかしないし」
「やっぱりそうだよね」
「そうよ。で、誰にされたわけ? その感じだと虎杖か伏黒のどっちかってとこだろうけど」
伏黒の名前が出た途端、飲んでいたカフェモカを吹き出しそうになってしまった。私のその反応を見て相手を確信したらしい野薔薇ちゃんが、自分の分のキャラメルラテを一口飲んでにやりと口角を上げる。その表情を見て、もう誤魔化しきれないであろうことを悟った私は、野薔薇ちゃんに一部始終を洗いざらい白状することにした。
だって、いくら頭を悩ませたところで何も分からないばかりか、たった一度のキスの感触を反芻しては一人悶々とする日々を過ごす羽目になっていることに、これ以上耐えられそうになかったからだ。
いつも野薔薇ちゃんとする恋バナといえば、せいぜい中学のときに憧れていた先輩のSNSアカウントを見つけただとか、芸能人だと誰がタイプだとか、結婚するならどんな相手が理想かということぐらいで、実際に身に起こったことを話すことは皆無に等しい。だから、これから話すことになる話題の生々しさにこちらがどぎまぎしてしまう。
事の次第を説明し終えた後、黙って私の話を聞いていた野薔薇ちゃんが頬杖をついて意外そうな表情で言った。
「へえ、あの伏黒がね……。やるじゃんアイツ」
「やるじゃんって」
「というかアンタたち、付き合ってなかったのね。とっくに付き合ってるもんだと思ってたわ」
ここ最近はいつも一緒にいるし、と付け加えられた野薔薇ちゃんの言葉に、他の人からはそう見えてたんだ……と改めて最近の伏黒とのあれこれを思い返してみても、特に思い当たる節はなくて困ってしまった。虎杖も伏黒も野薔薇ちゃんも、数少ない高専の同級生として同じように接しているつもりだったのに、一体何が違ったのだろう。
「ちなみに野薔薇ちゃんも、えっと、伏黒とキスしたこととか――」
「あるわけないでしょ。そんなことしようもんなら虎杖だろうが伏黒だろうがぶっ飛ばすわよ」
「だよね」
ということは、だ。野薔薇ちゃんと話をした内容を総合した限りでは、どうやら伏黒が少し仲良くなった女子相手なら誰彼構わずキスをするチャラついた男というわけでもないらしい。それじゃあ尚のこと、あのキスは一体何だったというのだろう。
頭を抱える私に「そういう雰囲気になったんじゃないの」と面白がっているような声色で野薔薇ちゃんが言う。慌てて首を左右に振って否定するも、「どうだか」と野薔薇ちゃんは全然信じてくれていないようだった。本当のことなのに。
こうして改めて振り返ってみても、あの日の私たちのやりとりに、特別なものは何もなかったと言い切れる。ただ任務終わりにお腹が空いたから二人でご飯を食べに行って、その後は特に予定がなかったから伏黒が行く予定だと言う大型書店に着いていって話題のミステリー小説を買い、ついでに同じ商業ビルに入っていた靴屋で少し前の任務で駄目にしてしまっていた私の靴を新調して、高専に帰ってきて解散。思い出せることはそれだけだった。何の変哲もない、いつもの放課後と変わらない流れだったはずだ。
道中の会話でも特に変わったところはなかったし、もちろん「好きだ」と言ったり言われたりしたこともないし、キスの”キ”の字さえも出なかったというのに、本当に、どうして伏黒はあんなことをしたのだろう。
いくら考えたところで、謎は深まるばかりだった。
今伏黒と会ってしまうのは何となく気まずい、という私の心情を誰かが察知してくれたのか、それともただの偶然かは分からないけれど、あのキス以来任務でも高専でも伏黒の姿を見かけることはなく、内心ずっとどぎまぎしていた私はほっと胸を撫で下ろした。
そしてそれから一週間が経った頃、皆の任務が落ち着いたタイミングで交流会ぶりに二年の先輩たちに稽古をつけてもらうことになり、気まずさから一切のコンタクトを取ることが出来ていなかった伏黒とも数日ぶりに顔を合わせることになったのだった。
二人きりで話せそうなタイミングがあれば、あのキスのことを聞いてみよう。そう決心したのはいいものの、伏黒とはなかなか二人になる機会がないばかりか、彼が虎杖や真希さんとずっと稽古をしているせいで話しかけることさえもままならなくて困った。伏黒も伏黒で、私にキスをしたことなんてすっかり忘れてしまったかのような通常運転ぶりだ。
もしかしなくても、気にしてるのは私だけだった?
そう思ってまた一人悶々としていると、虎杖と伏黒を二人まとめて吹っ飛ばした真希さんが「喉渇いたな。ジュース買ってこい」と言った。誰がパシリになるのかを公平に決めるべく一年全員でじゃんけんをした結果、皆が出した手はパーが三つとグーが一つで見事な私の一人負けで、「えー……」と文句を言いながらがっくりと肩を落とすも「早く行ってこい」と一蹴されただけに終わった。
自販機のある場所、ここから地味に遠くて行くの嫌なんだよなぁ。暑いし。高専の敷地って無駄にめちゃくちゃ広いし。そう不満をこぼしながらのろのろとした足取りで自販機の方へと向かうと、半分ほど進んだところで「おい」後ろからぶっきらぼうに声をかけられる。振り向くと、伏黒がむすっとした顔をして一人そこに立っていた。
「あれ、伏黒……じゃんけん勝ったんじゃなかったっけ」
「オマエ袋持ってきたのか」
「え? 持ってないけど」
「それじゃあ全員分持てねーだろ。一緒に行く」
「……いいの? 暑いのに」
「暑いのはどこにいても一緒だろ」
それは確かにそうだ。都市部よりも太陽に近い山間に位置している高専は、昼間はとんでもない暑さになる。そのくせ朝晩の冷え込みは都会以上のものだから、体温調節に苦労するのだ。身体を冷やすために冷たい飲み物を求めるのも致し方ないことだろう。
自販機の前に立って、ラインナップを確認し、皆はどれがいいだろうと考える。希望があるか聞くのをすっかり忘れてしまっていた。適当に冷たいやつを何本か買っていけばいいだろうか。飲めないやつがあっても最悪虎杖に全部押し付けちゃえばいいし。
千円札を入れ、炭酸ジュースとフルーツジュースのボタンを順番に押していく。ガラガラと音を立てて自販機から吐き出された缶を一個一個拾い上げた後、後ろでじっと立っている伏黒を振り返って聞いた。
「伏黒はどれがいい? 特別に選ばせてあげるよ」
「コーヒー」
「いつもコーヒーだよね。飽きない?」
「飽きない」
「じゃあ伏黒のはこれで。私は……うーん。どうしようかな」
「これじゃねぇのか。いつも飲んでるだろ」
そう言って後ろから伸びてきた伏黒の手が示したのは、私が三日に一度は飲んでいるアイスカフェモカだった。
「よく知ってるね」
そう言いながら振り返ろうとしたけれど、それは出来なかった。すぐ後ろにいた伏黒がこちらの身体越しに自販機のボタンへと手を伸ばしてきていたせいで、今、私の背中と伏黒の腹はくっついてしまいそうなほど近くの距離に位置している。そのことに気が付いてしまったからだ。
「伏黒」
首だけを後ろに向けて、少し後ろに退いてもらおうと口を開いた瞬間、目が合った伏黒が身を屈めてさらに顔を近づけてきた。またもやキス出来そうな距離にまで近づいてきた伏黒の顔に、「ストップ!」と慌てて大声を上げながらその口元を手で覆ってやると、片手では持ちきれなかったジュースの缶が鈍い音を立ててゴロゴロと周囲に転がっていく。
上擦った声を出す私とは対照的に、伏黒は至って冷静だった。口元を覆っていた私の手を振り払うと、眉根を寄せながらもいつも通りの落ち着いた声色で「何すんだよ」と不満を口にする。
「だって、二回目だから……」
「は?」
「キスするの」
「わざわざ数えてんのか」
「そりゃ数えるでしょ」
「別にいいだろ、何回目だって」
いいわけがないと反論しようとした言葉は、懲りずに近づいてきた彼に唇を塞がれてしまったせいで言えなくなってしまった。この前のときも、そして今だって、まったく”そういう雰囲気”じゃなかったはずなのに、一体全体どこで伏黒は乗り気になったというのだろう。
もしかして伏黒は、私のことが好きなのだろうか。友達だと思っていたのは私だけだった? もしも私のことが好きだというのなら、それはいつからの話? 野薔薇ちゃんは「アイツとなんてするわけないでしょ」って言っていたから、伏黒がこんな風にするのは私だけだってこと?
確かめたいことは色々あるというのに、一回目よりもうんと長い時間重ねられている唇のせいで、それを言葉にすることは出来なかった。
ずっと口を塞がれているせいで呼吸がうまく出来なくて、小さく身じろぎをした拍子に爪先がこつんと地面に転がったままのジュースの缶に当たって音を立てる。こうなったらもう、落としてダメにしてしまったジュースの責任は後でまとめて伏黒に取らせよう。そう決心して片手で持っていた残りのジュースの缶も地面に落とし、一度唇を離して至近距離でこちらをじっと見下ろしていた伏黒の制服の裾をきゅっと握る。それに少しの動揺を見せた伏黒は、「これで三回目だな」と小さく呟いてから、もう一度、今度は噛み付くようなキスを落とした。
お題:学生している伏黒恵
本編とじゅじゅさんぽを見て何だかんだ言いつつカラオケもファミレスも旅館も毎回ちゃんとついてきている伏黒ってかわいいよねの気持ちで書きました