優しくない世界なら要らない

我愛羅に初めて会ったとき、私は7歳で、彼はまだたったの5歳だった。
、今日からお前のお友達になる我愛羅様だ。ほら、ちゃんと挨拶しなさい」
「こんにちは」
「…………」
「こんにちは」
「…………」
「ええっと、があら……さま?」
「……我愛羅でいい」

ふさふさとした赤茶色の髪と形の良い瞳を縁取るクマが印象的な、白くて小さい男の子。それが彼の第一印象で、とても里や国を脅かすバケ狸の器だとは思えなかった。
「ねえ我愛羅、なにしてあそぶ?分身の術ごっこ?それとも手裏剣?」
「……えっと、」
「あ!もしかして手裏剣やったことない?」
「…………うん」
「じゃあ他のあそびをしよう!」
「他のあそび?」
「うん。鬼ごっことか、ボール投げとか!みんなでやったら楽しいよ!」
「……いやだ、やりたくない」
「どうして?あ、もしかしておなか痛いの?」
「……ちがうよ、……ぼく、里のみんなに嫌われてるし」
「なんで?私は我愛羅のこと好きだよ!」
「……だって、ぼくはバケモノなのに、」
「バケモノじゃないよ!我愛羅は私の友達だから!」

そうだ、あのとき私たちは確かに友達だった。友達なのだと信じていた。父の言った『友達』が名ばかりだと気づいたのは、下忍になって我愛羅や里の皆と一緒に任務をこなすようになってからだ。

人柱力としての力を制御しきれない我愛羅が暴走するのを恐れ、万が一のときに体を張って彼を止められる人間を里は必要としていた。なるべく刺激しないように、彼を見張っておく必要がある。それには彼と同年代の忍が適任だった。里の大人はみな我愛羅と我愛羅が持つ力を恐れて彼に近寄ろうとしない。当然、我が子にだってそんな危険な目には遭わせたくない。そこで、風影様の側近だった父の娘である私に白羽の矢が立ったのだ。




今夜は月明かりがやけに眩しい。
「眠れないのですか?」
「……分かっていることをいちいち聞くな」

火の国での任務に向かう途中に立ち寄った宿の布団をいつのまにか抜け出していた我愛羅を探して表へ出ると、月明かりに照らされた大きな木の下で腕を組みながら彼が佇んでいた。ほう、と息を一つ吐き出す。今夜はあまり遠くへ行っていなくて良かった。真面目な我愛羅のことだから夜明けまでには必ず帰ってくるのは分かっているけれど、この時期の夜は冷えるし、風邪でも引かれたら困る。万が一にでも彼の身になにかあったら、護衛という名目で任務についてきている私の面目も丸潰れになってしまう。

そんなことを考えながら、サクサクと地面に敷き詰められた木の葉を踏み鳴らして我愛羅に近づいていく。ちらりとこちらを一瞥した我愛羅の瞳の周りには相変わらずくっきりとしたクマが刻まれていた。

守鶴に取り憑かれた者は、その身体の中にいる大狸に人格が乗っ取られてしまうのを恐れ、眠りにつけなくなってしまうらしい。彼の目の周りに濃く刻まれたクマはそのせいだ。生まれたときからずっと、皆が寝静まる夜は彼にとって恐ろしいものでしかない。

木ノ葉隠れの里での中忍試験から帰ってきた我愛羅は誰彼構わず傷つけることがなくなった代わりに、考え込むことが多くなった。木ノ葉のナルトくんという同じ人柱力の忍との出会いに、我愛羅なりに思うところがあったようだ。

木の影に立ってじっと動こうとしない我愛羅の隣に腰を下ろそうとさらに近寄ると、サアッと辺りに漂う砂が音を立てた。下を向いて地面に散らばる木の葉を何も言わずに眺めていた我愛羅が口を開く。
「俺に近寄るな」
「何故ですか?」
「……死にたいのか?」

夜叉丸が死んだあの夜以降、我愛羅を気にかける里の忍はいない。お父上である風影様もいなくなってしまった今となってはもう、ますます人を寄せ付けなくなった彼とこうして同じ任務についているのは、姉のテマリ様と兄のカンクロウ様、そして側近(ということになっている)私ぐらいのものだ。彼の変化に気付く者は少ないだろう。けれど、我愛羅は少しずつ変わり始めている。
「我愛羅様は私を傷つけたりしませんよ」
「……何故そう言い切れる」
「同じ砂隠れの里の仲間ですから」
「……俺が、……仲間だと?」

バケモノでも見るかのような怯えた瞳がこちらを捉えた。
「もちろんです」
「……お前もあいつと同じようなことを言うんだな」
「あいつ?」
「…………うずまきナルトだ」

到底理解できない、といった様子で首を横に振った我愛羅がそっと目を閉じて言った。
「俺は、……ずっと一人だった。孤独だ。それはこれからも変わらない」
「そんなことありませんよ」
「……」
「我愛羅様にはテマリ様やカンクロウ様、それに私だっているでしょう?」
「……何故、お前はそこまで俺に、」
「だって私は我愛羅様の『友達』ですから」

友達というのは名ばかりで、持て余していた我愛羅を誰かに体良く押し付けるための理由付けということに、頭の良い彼が気づいていないはずがない。それでも、束の間の夢だったとしても、本当の友にはなれなかったとしても、私は、……私が、彼の心に触れたいと思う気持ちだけは偽りではないということに、どうかあなただけでも気づいてほしい。

額に刻まれた『愛』の文字に手を伸ばす。触れるよりも先に砂が彼の体を覆った。少し前の彼ならば、きっと、ここまで距離を詰めることを私に許しはしなかっただろう。徐々に我愛羅は変わり始めている。ナルトくんのおかげだ。私には出来なかったことも、あの子になら出来るのかもしれない。そう願わずにはいられない。

手に触れた砂がさらさらと地面にこぼれ落ちていく。砂の鎧に覆われていない我愛羅の体温に、いつか誰かが触れられる日は来るのだろうか。今はまだ、叶わない夢だったとしても。いつか彼が大人になったとき、彼を愛してくれる誰かが一人でも多くいればいいと願う。
「我愛羅様、上を見てください。月があんなに大きいですよ」

ほら、と空を指差すと我愛羅の瞳が少しだけ動いた。吹きつける風が柔らかい髪をさらっていく。クマと同じくらいにくっきりと彼の額に刻まれた『愛』の字が目に入った。……今はまだ難しいのだとしても、いつかきっと、下ばかりを見て「孤独だ」と泣いていた彼が額にあるその言葉の意味を理解する日がきますように。




4代目風影様の跡を継ぎ、5代目風影となった我愛羅が何者かに拐われたと知ったとき、全身からサッと血の気が引いていくのを感じた。

行かせるべきではなかった。赤と黒の衣をまとった「暁」と名乗る敵の狙いがおそらく一尾の人柱力の我愛羅であることは、近隣諸国からの報告を受けて知っていたのに。一人で行かせてしまった私の判断ミスだ。どんな術を使ってでも椅子に縛り付けてでも、彼を行かせるべきではなかったのに。

風影となった我愛羅は砂の忍の中でも誰よりも強かった。里中の誰もが思っていたはずだ。我愛羅は強い。誰にも負けるはずがない、と。ずっとそばで彼を見てきた私も、いいや、そばで見てきていたからこそ、そう思い込んでしまっていた。連れ去られた我愛羅を追ってチヨ様と木ノ葉の忍たちが向かったと言われる方角へと走る。心臓も肺も今にも張り裂けてしまいそうだ。うまく酸素が取り込めなくて、呼吸をする度にヒュウヒュウと胸が鳴いている。何が友達だ。……何が側近だ。肝心なときに側にいられないのなら、いくら名前を付けたところで、どれだけの時をともに過ごしたところで、そんな関係に意味はないというのに。

我愛羅、我愛羅、……我愛羅。どうか無事でいてほしい。死なないでほしい。もう一度会えるのなら、私のことを何とも思ってくれなくていい。一番近い忍でなくたっていい。側に置いてくれなくたって構わない。だからどうか、命だけは。その一心で、ただひたすらに拳を握り締めて走った。


暁に連れ去られ守鶴を抜かれた我愛羅をその身を挺して守ってくれたのはチヨ様だった。墓参りを済ませた後、テマリ様やカンクロウ様と四人でナルトくんたちを見送って、風影室へと戻る我愛羅の後ろをついて歩く。扉を開けて中へ入るように促しながら「少し話がある」と口を開いた彼に、体が勝手に身構えた。

……やっぱり来たか。側近を名乗りながらも風影の我愛羅を守りきれなかった罪は重い。減給か降格か、はたまた他の忍がやりたがらないような危険な任務か。いずれにせよ、どんな罰でも受ける覚悟は出来ている。
「……そんなに身構えなくていい」

キリキリと張り詰めたような私の思いを察してか、扉を閉めた我愛羅が振り返りながら言った。「ですが、私を処罰なさるのでしょう?」と答えると驚いたような顔をした我愛羅が首を横に振る。
「そんなつもりはない。安心して座ってくれ」

それじゃあ、わざわざテマリ様やカンクロウ様とは別に私だけがここに呼び出されたのは一体何のためだというのだろう。意図が分からず戸惑っていると、我愛羅が私の向かい側のソファに腰を下ろした。指を組みゆっくりと言葉を探すようにしていた彼が口を開いたのを見て、一言も聞き漏らすまいと向き直る。
「知っていると思うが……俺はもう人柱力ではない」
「はい」
「もう、お前が四六時中そばにいる必要はない」
「……」
「……それに、守鶴を抜かれて一度死んだ今、前のようには戦えないかもしれない」
「そんなことは、……」

ないとは言い切れなかった。尾獣を抜かれた人柱力は死ぬ。そこに例外はない。生まれてからずっと人柱力だった我愛羅が人柱力ではなくなった今、その力がどう変わるのかは誰にも見当がつかないのだ。
「我愛羅様、」
「……死ぬ前に、里の皆や、テマリやカンクロウのことを思い出した。……それに、お前のことも」
「…………」
「俺を見張るのがお前の役割だというのに、……心配をかけてすまなかったな」

目頭がカッと熱を持つ。やはり我愛羅は知っていたのだ。私が単純な友愛の情から彼の側にいた訳ではないということを。知りながらも側に置いてくれていた。心配するのがせめてもの私の役割だというのに、それさえも労ってくれる我愛羅は優しい。サラサラと小さく音を立てた砂が潤んだ視界に集まってくる。目尻からこぼれた滴を砂が拭った。
「俺はまだ風影として未熟だ。これからもお前にそんな顔をさせてしまうかもしれない。……それでも、俺の近くにいてくれるか?」
「我愛羅様がお望みなら、……私は、一生あなたにお供しますよ」

その覚悟はとうの昔から出来ています。そう答えると我愛羅が安心したように微笑んだ。……そうやって、他の皆と同じように笑えるようになったあなたが死ななくてよかった。生きててよかった。そう伝えたいのに、堰を切ったように目から溢れ出してくる涙のせいで声が出ない。たまらず目の前の細い体にしがみつくと、我愛羅がそっと抱き返してくれた。……私、今なら不敬罪で死んだっていい。




「ナルトに恋人ができたらしい」
「ええっ!?」

あのナルトくんに恋人!?木ノ葉からの手紙を読んでいた我愛羅が顔を上げて言った言葉に思わず大きな声を出してしまった。

我愛羅が読み終わった後の手紙を覗き込んで文面を目でなぞる。たった一行二行読んだだけでも、幸せなのがこちらにまで伝わってくるようだ。思わず顔がほころんだ。

ナルトくんは今や忍世界の英雄だ。近い将来きっと火影となって風影の我愛羅とともにこの忍の世界をさらに良くしていくだろう。そんな夢みたいな日が来ることなんて、ほんの3年前は想像もつかなかったけれど、この世界は確実に良い方向へと変わり始めている。
「風影様は恋人は作られないんですか?」
「……ああ」
「里も安定してきていますし、そろそろご自身の幸せも考えてみる頃ですよ」
「…………」
「実はぜひ一度風影様とお会いしたいとの申し出が水の国から来ておりまして。返事はどうされますか?写真を見ましたが美人な方ですよ」
「断っておいてくれ」

目を通し終わった書類を傍に置いた我愛羅の瞳がこちらを捉える。じっと見つめられて心臓が跳ねた。
「お前はどうなんだ」
「何がです?」
「……3日前に木ノ葉から縁談が来ていただろう」

どうしてそれを。思わず口をついて出た言葉に「砂の事情には俺が一番詳しい」と答えた我愛羅の言葉にそれもそうか、と一人で納得する。……任務以外でも里の者のことを気にかけてくれるなんて、本当に、我愛羅は里長として立派にその務めを果たしている。初めて会ったときはあんなに小さかったのに、時の流れは早いものだ。しみじみと感じ入っていると、少し不機嫌そうに眉を吊り上げた我愛羅が続けて問うた。
「……受けるのか?」
「まさか。一度お食事でもご一緒させて頂いて、それから角が立たないようにお断りしようと思っていますよ」
「…………」

席に座ったまま押し黙ってしまった我愛羅にどうかしましたか、と声をかける。相変わらず眉は不機嫌そうに吊り上げられたままだ。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。普段ほとんど感情を表に出さない我愛羅の珍しい姿に戸惑っていると、俯いて難しい顔をした彼が口を開く。
「お前は俺から離れないと言っただろう」
「…………」
「俺が望むなら生涯共にいると」
「……そんなことも言いましたね」
「なら離れようとするな」
「何があっても私はあなたの部下ですよ。それはこれまでもずっとお伝えしていたでしょう?」
「ああ」
「風影様を一人にしたりしません」
「……違う、俺が言いたいのは風影とかそういうことではなくて、」

話すのが苦手な彼が、私に何かを伝えようとしている。だんだん小さくなっていく言葉を聞き逃さないように席に座る彼に近寄ると、下を向いていた彼が上を向いてこちらを向き直った。
「お前が好きだ」
「光栄です。私も里の皆と同じように風影様が大好きですよ」
「……友や仲間としてじゃなく、好きなんだ。友達ではなく恋人になりたい」

…………えっ。驚きのあまり後ずさると、それよりも先に彼の砂が私を捉えた。
「風影様、」
「……今は風影と呼ばなくていい」
「でも、」

我愛羅の周りを漂っていた砂が私の腕を掴んでくる。決して強い力ではないのに振り払えないのは、彼が私よりもうんと強い忍だからなのか、それとも。
「わ、私は我愛羅様より2つ年上で、特別強いわけでもないですし、里の中でも美人というわけでもないですし、何よりあなたとは立場が全然違います。無理です」
「……」
「とにかく、あなたは風影なんですから、私よりもっと相応しい方が」
「……以上に好きになれる女などいない」

立ち上がってさらに距離を詰めてこようとする彼にヒッ、と息が詰まった。広い風影室の酸素が、急に薄くなったような心地がする。何とかしてこの場から逃げなければ。そう思うのに、砂に掴まれた腕を振り払うことができない。
「もう何年も我慢してきた。……俺と恋人になるのは嫌か?」

今度は砂ではなく我愛羅の手が直接肩に触れて心臓がばくばくと暴れ出した。形の良い瞳にじっと見つめられて、あまりのことに言葉が出なくなる。でも、我愛羅に、風影にまで登り詰めた彼に、面と向かってこう言われて嫌だと言えるくノ一が砂隠れにいるだろうか。そんなこと言えるわけない。だってずっと好きだったんだから。数秒見つめあったあと根負けして首を振ると、我愛羅が表情を緩めたのが目に入った。

そのまま彼の腕の中へと引き込まれ、信じられない心地で瞬きをする。まさかまだ私だけ、あの無限月読から覚めていないとでもいうのだろうか。叶わない願いに心を砕くあまり、都合のいい夢をみているのか。だって、彼が自分から私に触れてくるなんて。どれだけ願っても叶わないと、そうずっと思っていたのに。……思わせておいてほしかったのに。
「我愛羅」

久方ぶりに敬称をつけずに呼んだ名前に、少し体を離した彼が満足そうに目を細める。額の愛の字に指を伸ばした。黙って撫でられている目の前の彼が愛しい。こうして触れられる日が来るなんて思いもしなかった。……砂隠れの里に、一人ぼっちで孤独だと泣いていたあの小さな男の子はもういない。

20200720 ナルト再燃記念
読み返したらまんまとハマりました