呼んでもないのに春が来る

「もしかして先輩って、五条さんか夏油さんと付き合ってるんですか?」

任務終わり、補助監督が運転する車の後部座席の左側。右側に座る後輩からもう何回目かも分からないそんな問いを投げかけられ、私はのっそりと首を振った。



五条悟と夏油傑は、呪術高専東京校の同級生だ。最近京都校に入ってきた一年の女子や、若い補助監督の間ではにわかに人気があるらしい。なんでも、強くて背が高くて格好いいんだそうだ。確かに二人とも身長は日本人の平均よりも頭一つ抜けているし、顔も整っているとは思うけれど、そこまでワーワー騒ぐようなものだろうか。そう思って、ちょうど向かいの席に座っていた五条に向かって声をかける。
「最近さ、女の子たちの間で『五条さんと夏油さんだったらどっちが好き?』ってよく言われてるらしいんだけど知ってる?」
「ハァー? なんだそりゃ」
「あんたらのうちでどっちがタイプかって女の子たちが盛り上がってるみたいだよ。私にはよく分かんないけど」

何もそんな極端な二択にしなくても、とは思うものの、きっとあれだろう。思春期の女子にありがちな、先輩がやたらと大人びて格好良く見えるやつ。先輩って言ったって、実際は一つしか年も変わらないのに。
「ちなみにどっち派? オマエ。俺と傑の」
「えー、どっちもやだ……」

五条の問いかけに顔をしかめながら答える。本心だった。五条のことも夏油のことも好きだけれど、それはもう一人の同期の硝子と等しく仲間としての”好き”だ。三人とも、一緒にいて退屈しないし頼りになるし、一年間この呪術高専で苦楽を共にしてきた同期としてかけがえのない大切な存在だと言える。けれど、それが恋人になり得るかの話となるとまた別だろう。

どっちも嫌だと言った私に、五条は露骨に嫌そうな顔をした。「は?」とサングラス越しに凄んでくる五条を前に、もしかして自分が選ばれるとでも思っていたんだろうかと考える。普段あれだけ傍若無人に振る舞っておいて、一体どこからその自信が来るのだろう。
「オマエここは俺って答えるとこでしょ」
「なんでよ。そもそもその二択しかないのが納得できないんだけど」
「ハァー? 俺みたいなイケメンがそうそう他にいるわけねーじゃん」
「……うん、まあ。それはそうなんだけどさ」
「で? 強いていうならどっちなんだよ」
「だからどっちもやだって言ってんじゃん」
「別にマジで付き合うって話じゃねーんだからいいだろ」

ただの雑談のつもりで話を振ってみただけなのに、何でこんな食い下がってくるわけ。そう思いつつ、五条がそんなに言うならと、考えるだけやってみることにした。とは言っても、簡単に答えは導き出せそうにない、まさに究極の二択だ。
「……うーん。強いていうなら……強いていうならだよ? 五条かな。夏油って何考えてんのか全然分かんないときあるし」
「あ? 俺は分かりやすいって言ってんのかよ」
「夏油よりはね」

笑みを浮かべていても楽しいんだか怒っているんだかよく分からない夏油と違って、五条は分かりやすい。少なくとも、顔を見ると上機嫌かそうでないかくらいは分かる。手に取るようにとまではいかなくとも、そうして表に出してくれるだけでも幾分かは付き合いやすいと言えるだろう。まあ、夏油のことが好きらしい後輩の女の子曰く「夏油先輩はそういうミステリアスなとこがいいんじゃないですか」だそうだけど。私から言わせてもらえば、夏油のあれはミステリアスなんじゃなくて性格が悪いだけだ。
「ふーん。オマエは傑じゃなくて俺みたいなやつがタイプってわけね」
「あえてどっちか選ぶなら、って話だけどね」

聞いているんだか聞いていないんだかよく分からない五条の返事を最後に、この話はおしまいになったような記憶がある。私としては、普段叩き合っている軽口の延長線上、なんてことのない世間話のつもりだった。五条と夏油の二人が女の子からモテるなんて今に始まったことじゃないし、高専で呪術師なんてやっているとろくに浮いた話もないものだから、たまには恋バナをしてみるのもいいかな。それくらいの軽いノリでしたやりとりのつもりだったのに。

この日から、五条悟が以前にも増して距離を詰めてきているように感じるのは私の気のせいではないだろう。



他の高校に通ったことがないから確証はないけれど、おそらく呪術高専は他の学校に比べても規則が緩い方だ。“自由な校風”を売りにしているだけあって、学生だけで地方へ出張することや二時間で終わると聞いていた任務が夜中になってようやく終わるなんてこともざらにあるためか門限はほぼないに等しいし、頭髪や服装に関する規定もなければ、異性間の交友が禁じられているわけでもない。禁じられていることといえば、一般人の前で帳もなしに術式を使うことくらい。

その他のことは大体、学生個人の判断に委ねられている。よく言えば自由、悪く言えば放任主義。個の強さを是とする呪術界の学舎としては理にかなっている教育方針だと言えるかもしれない。

何が言いたいかというと、呪術高専にはこれまで通っていた一般の中学のような明文化されたルールは存在しない。存在しないから、未成年で煙草を吸ったり、ボンタンやサングラスなんていう明らかに学生らしくない制服の着方をしていたり、生徒が夜に互いの部屋を行き来したりしていても、誰もそれを咎めない。たとえそれが男女間の話であってもだ。


五条悟か夏油傑、どちらかを恋人として選ばなければならないとすれば、私は五条の方を選ぶ。五条本人の前で言った通り、その言葉に嘘はない。けれどそれはあくまで“恋人として”の基準を照らし合わせればの話で、実際のところ、私が高専でよく話すのは夏油の方だった。御三家の御曹司として持て囃されて生きてきたであろう五条とは違って、同じ一般家庭出身の夏油の方が何かと話が合うことが多いからだ。

地域は違えど小学校や中学校では同時期に同じドラマや映画が流行っていたようだし、読んでいる小説や漫画の趣味も合うし、金銭感覚も似たようなものだから、互いに買った本を貸し借りすることも多い。五条相手ではこうもいかない。本屋で並べられた文庫本の中からどれを買おうかと頭を悩ませているときにも、喫茶店で少しお高めの期間限定のドリンクを選ぶべきかそれよりも数百円安い通常メニューにするべきかを悩んでいるときも、何でもすぐに「気になるんなら全部買えば?」なんて言ってくるからだ。限られた予算の中から欲しいものを吟味して選ぶのもまた楽しみの一つなのだと言っても到底理解できないという顔をされたから、これはもう育ってきた環境の違いなのだろうと思う。一般家庭出の呪術師と、名家出身の呪術師では、その辺りに決定的に埋められない溝がある。

もっとも、高専の呪術師として任務を請け負うからにはもちろんその任務に対する報酬だって支払われているから、中学生の頃のように少ない小遣いの中で必死にやりくりするようなことも、本当は必要ないのだけれど。一度上げた水準はなかなか元に戻せないと聞くし、呪術師の仕事だってこの先どれだけ続けていけるか分からない水物だと思うと、そう簡単に五条のようにはなるわけにはいかない。

そういう経緯もあって、今、私の部屋には夏油が貸してくれた小説本が二冊と、漫画本が五冊ある。借りてからもう一ヶ月は経っているし、さすがにそろそろどれかは返さないといけないだろうと思って一番近くに置いてあった小説本を手に取り、音楽プレイヤーに繋がったイヤホンを両耳に入れたところで、扉を叩く音が聞こえた。続けて扉の向こうから聞こえてきた「寝てんの?」という声は五条のものだ。
「起きてるよ」

イヤホンを付けベッドに寝転がった姿勢で、視線を手元の文庫本に落としつつそう返事をすると、ガチャリとドアが開いて五条が中へ入ってくるのが見えた。仮にも女子の部屋だというのにこの遠慮のなさはさすがというべきだろうか。高専に入った頃はノックもなしにいきなり入ってきていたことを思うと、一年間の夏油の教育の賜物だとも言えるかもしれない。

部屋に入ってくるなりスタスタとこちらに向かって歩いてきた五条が、ベッドの脇に立ってこちらの手元を覗き込んでくる。開いた文庫本のページに大きな影がかかった。
「何読んでんの」
「小説だよ、夏油に貸してもらったやつ。五条も読む?」
「あーなんか傑に聞いたわ。来月映画化するってやつだろ?」
「そうそうそれ。読み終わったら五条にも貸してあげようか」
「……いや、いーわ。俺映画のネタバレとか嫌いなタイプ」
「そうなんだ」

ちなみに私は全く気にしないタイプだ。同じストーリーラインをなぞっていても、映画と小説ではそこに至るまでの展開や演出が異なるし、声や動きがつくだけで全く別物、その違いを楽しむこともメディアミックスの醍醐味だと思っている。
「どうしたの? 何か用だった?」
「いや、用は特にねーけど」

そう言うと五条はベッドに寝転がっている私に壁側の方へとずれるようにジェスチャーで指示をした。面倒臭いなぁ、と思いながら身体を奥側へずらすと、空いたスペースに五条がどっかりと腰を下ろす。

今日は夏油が地方への出張で不在、硝子はどこかへ出かけているようで朝から姿を見かけないから、同じ学年で高専の寮にいるのは私と五条の二人だけ。要するに五条も暇なんだな、と勝手に解釈をして、文庫本の続きのページをめくる。すると、右耳に付けていたイヤホンがするりと抜けていく気配がした。
「貸して」

そう言うと、私の返事も聞かないままベッドに寝転がった五条が手に持ったイヤホンを右耳にはめた。その拍子に左耳に付けていたもう片方のイヤホンがぐんと引っ張られていきそうになるのを慌てて掴む。耳からほとんど外れかけていたイヤホンをもう一度奥の方へ押し込むと、そこから流れる曲はもう最後のサビに近づいていた。

小説や漫画といった物語の趣味が合うのは夏油だけれど、音楽の趣味が合うのは五条の方だ。趣味が合うというか、いつも五条が私の聴いている音楽プレーヤーのイヤホンをこうして奪うような形で自分の耳に入れては好き勝手に曲の感想を言ってくるだけだけれど。五条曰く、自分から好みのアーティストを開拓する気はまったくないが、人がどんな音楽を聴いているのかは気になるらしい。

位置が合わないのか、右耳に押し込んだイヤホンを耳から外したり入れたりを繰り返している五条が音楽プレーヤーから伸びるコードを指差して言う。
「オマエこれコード短くね?」
「長いと邪魔になっちゃうじゃん」

しまったな。今に始まったことじゃないし、貸すのは別にいいんだけど、反対の方を貸してあげれば良かった。イヤホンのコードの長さなんてこれまで気にしたことがなかったけれど、二人で一つずつ耳にはめるとなると気にせざるを得ない。コードが短ければ短いほど、互いに顔を近づけなければいけなくなってしまうからだ。
「ちょっと。狭いんだけど」
「仕方ねーじゃん。こうしねーと聞こえねーし」

“パーソナルスペース”という概念がある。他者が自分に近づいても不快に感じない心理的な縄張りの領域――要するに”どこまで他人に近づかれても平気か”という尺度のことで、おそらく五条はそれがものすごく狭いんだろうなということには、薄々勘付いてはいた。

高専の授業中にやたらとちょっかいをかけてくるし、平気で人の飲み物を奪って飲むし、何かにつけてすぐこちらの頭を肘置きにしてくるし、話すときにはガラス玉みたいな瞳にこちらの顔が映っているのが分かるくらいの距離まで顔を近づけてくるし、任務の送迎で補助監督の車に乗せてもらうときには必ずと言っていいほど助手席ではなく隣に座ってきて、肘やら膝やらが当たるのも気にせず狭い後部座席に窮屈そうに収まっている。同性同士の夏油相手にならともかく、異性の私相手にまでこの調子。それはそれだけ五条がこちらに気を許してくれているということなのだろうけれど、それにしたって限度があるんじゃない?と、最近の私は思うわけだ。

御三家の当代当主のお坊ちゃん、現代呪術師の中でも指折りの実力者――入学前に聞いていた五条悟の情報から想像していた彼の人物像は、実際の五条とはかけ離れていた。馴れ合いを嫌って、誰ともつるむことなく、冷酷で、五条家以外の人間はすべて見下しの対象であり、信じるものは自分の術式だけ。ただひたすらに己の技を磨き上げ、この世の呪霊を一つ残らず屠っていく――そんな孤高の呪術師の姿を想像していたのに、狭い狭いと文句を言いながら高専の部屋のシングルベッドに寝転がって、私のイヤホンを半分耳につけた状態でこちらを見ている五条の姿は、孤高とは最も対極の場所に位置しているように思える。
「五条ってさ」
「おう」
「硝子にもよくこういうことしてるの?」
「こういうことって?」
「その……、夜に部屋行ったりとか、一緒にイヤホン使ったりとか、こうやってベッドで寝たりとか」
「何で硝子にんなことしなきゃいけねーんだよ」
「だって私にしてくるから、硝子とか夏油とか、誰にでもそうなのかと思って……」
「やめろやめろ。あいつら二人にとか、想像するだけで気持ち悪い」

オェー、と吐くふりをしている五条に「人の部屋で下品なことしないでよ」と嗜めつつ、考える。

――じゃあ、私はいいの? 硝子と夏油はダメなのに? 私とあの二人は何が違うの?

聞きたくてたまらないのに答えを聞くのが怖いような気がして、言い出せずにいると五条の青い瞳がこちらを覗き込んで言う。
「オマエにしかしねーっての」

追い討ちをかけるような彼の台詞に、一気に顔が熱くなったのが分かった。イヤホン越しのバンドマンの声はもうほとんど聞こえなくて、すぐ近くの距離で話している五条の声だけがやたらとはっきり聞こえてくる。

――相手は五条なのに、何で私、こんなにドキドキしてるんだろう。

この雰囲気はまずい。流されるとろくなことにならない気がする。曲の演奏が終わったタイミングで耳にはめていたイヤホンを抜いて起き上がると、寝っ転がったまま頬杖をついてこちらを見上げている五条と目が合った。
「も、もうおしまい。帰って」
「来たばっかじゃん」
「寝る時間だから」
「嘘つけ。いつも夜中まで起きてんだろ」
「何で知ってんの」

そう言いながらベッドの半分以上のスペースを占めている五条の身体を腕で力一杯押してみても、びくともしなかった。こうして身体に触れられるということは、今、この男は無下限呪術を使っていないということになる。その必要性を特に感じていないからだろう。私が五条に対して危害を加える気がないことはおろか、今だって、本気で部屋から叩き出そうとしているわけではないことを――心の底から抵抗しているつもりではないことを、見透かされているような気持ちになる。
「五条」

そう呼びかけるのを遮るようにして、「なあ、悟って呼んでよ」と言った五条が耳から垂れ下がったイヤホンのコードを煩わしそうに引っ張って外す様に、まるでスローモーションで見ているかのように釘付けになる。身体を起こした五条が私の身体を腕を取って、指と指を絡めながらいつもより甘ったるい声色の五条が私を呼んでもう一度「聞いてる?

名前で呼んでって言ってんだけど」と強請るように繰り返した。その声色と、不思議な色の瞳に絆されてしまいそうな自分が嫌だった。精一杯の低い声で「……何で?」と問うと、真っ直ぐ射抜くような目線をこちらへ寄越していた五条の瞳がゆっくりと細められる。随分と優しい目をしたその表情は、高専で五条に出会ってから今までで初めて見る類いのものだった。
「呼んでほしいから。オマエに」
「だから、何でって」
「言わなきゃ分かんねぇの?」

分かりたくないから、分かってしまうと明日からどんな顔をして会えばいいのか分からなくなってしまいそうだから、帰りを急かしているのが分からないのだろうか。
「分かってるから、……聞きたくないって言ったらどうするわけ」
「んー? それはまぁ、このあとのお楽しみかな」

そう言って指を絡めている手により一層力を込めてくる五条は、愉快そうにくつくつと喉を鳴らして笑っている。こうした彼の姿を見ていると、やっぱり五条悟は”孤高”なんてものとは無縁の存在であるかのように見える。――初めて会ったときはそんな風には感じなかった。なら、この男をこんな風にしたのはきっと、高専で出会った私たちだ。

いくら五条と夏油が道行く女子に騒がれていようと、たとえ世界中の男の人が彼らだけになってしまったとしても、この二人のうちのどちらかとなんてまっぴらごめんだと思っていたはずなのに。

甘い雰囲気に流されて、今にも彼の下の名前が口をついてでてきそうになる私は、存外、意志が弱い人間らしかった。

お題:五条悟からの矢印が大きい話

五条悟は一度相手に心を開くとそこから距離詰めてくるのがめちゃくちゃ早いタイプであってほしい