そんなにやさしい声だったっけ

そんなにやさしい声だったっけ。可愛らしいスプーンでアイスティーをかきまぜる十四郎くんの向かいで、同じく可愛らしいスプーンでミルクティをかきまぜながらふとそんなことを思った。一年前の自分に今の状況を説明するとしたら、わたしはどんな言葉を選ぶだろう。十四郎くんは年下の高校生で、わたしはその高校からあまり遠くない大学に通っている。年上と知り合う機会はたくさんあったけれど、こうして年下の男の子と一つのテーブルを挟んで向かい合って座るという機会はなかなかなくて。知り合ったきっかけは至極単純なもので、彼がわたしの行きつけのお店でアルバイトしていただけのこと。常連とは言えただの客と店員という関係だったのが、一週間に数回わたしが使うバスと十四郎くんが使うバスの時刻が同じだということが判明し、そこから急接近…とまではいかないにしろ、わたしと彼の距離はある程度縮まった。同じバスに乗り合わせたときには他愛ない話で盛り上がり、先にバスを降りていく背中を名残惜しく思ったりした。そういうことを繰り返していくうちにわたしはアルバイターとしてではなく学生としての十四郎くんについての様々なことを知って、名前の呼び方も土方くんから十四郎くんに変わったりして。主観的には円満な関係を続けさせてもらって、今日へと至る。


高校がテスト期間だということで、十四郎くんとこうやって会うのは非常に久しぶりな訳で、少し緊張してしまったりしていたのだけれど。十四郎くんがいない行きつけのあの店は今のわたしには何となく味気ないように感じられてしまうのだ。これは良い変化なのか、それとも悪い変化なのか。十四郎くんに会いに行くためにあのお店に通っている訳じゃあないが、何だろうこのむず痒くなるような感覚は。そりゃあわたしが訪れる時間に十四郎くんが働いていると多少嬉しくなったりは、…するのだけれど。何回聞いても彼は自分のシフトを教えようとはしてくれないのである。接客している姿を見られるのが恥ずかしいらしい。アルバイトをしている姿なんて何度も見ているのだから何を今更、とは思うけれど、本人が嫌がっているのにしつこく食いつくのも良くないだろうから結局そのまま聞けず仕舞いとなってしまって。こんなことなら親しくなる前にもうちょっと働いているところを記憶に収めておくべきだったか。いや、でも親しくなる前はせいぜい「この店員さん整った顔してるなあ」ぐらいの認識だったから接客している姿を見たとしても大して気にも留めていなかったかもしれない。てっきり同い年か年上の男性だとばかり思っていたからバスで制服に身を包んでいる姿を見かけたときは驚いた。今時の高校生はこんなにも大人びているものなのだろうか。
「あんた、俺がテスト期間の間もあの店行ったりしてたのか」
「そりゃ常連だからねえ。3日に一回は行ってたよ」

通いつめすぎだろ。そう言って十四郎くんは少し笑って、再びスプーンをいじり始めた。最近発見した嬉しい変化がある。十四郎くんが敬語を使うのをやめて砕けた言葉使いをしてくれるようになったのだ。距離が縮まったのを実感できるみたいで嬉しい。今まではどことなく他人行儀で、やっぱりまだ店員と客の関係の延長線上にいるみたいだったから。本当、この先何が起こるかなんて誰にも分からないもんだ。見た目も勿論のこと、制服に身を包んだ十四郎くんの声は大人びていて、わたしが高校生だった頃、同学年の男子はこんな感じだっただろうかと紅茶に口をつけながら頭をひねった。

彼はあまり饒舌な方ではないから、こうして沈黙に包まれたまま度々わたしは十四郎くんの手やら睫毛やら髪やらを監察したりしているのだが、こうしてまじまじと見つめていると改めて実感させられる。やっぱり格好いい顔してるよなあ。あとどうにも高校生には見えない。大人っぽい。羨ましい。高校生の瑞々しい可愛らしさはもう手に入らないから、せめてわたしももう少し大人っぽくなりたいよ。こうして二人で座っていても、誰もわたしのほうが彼より年上だとは思わないだろう。
「大学生ってもっと忙しいもんかと思ってたけど意外と違うんだな」
「意外と違うって何さ。わたしはめちゃくちゃ忙しいよ」
「3日に一回は同じ店に通うって十分暇人だろ」
「暇なんじゃなくて、十四郎くんのバイト先の売上に貢献してるんだからそこは感謝してもらわないと」

はいはいありがとうございます。適当に流されてしまった。釈然としない。3日に一回あの店に通ってるおかげでわたしの小遣いは減る一方であるというのに。
「わたしもバイト始めようかなあ」
「接客出来るようには見えねえしやめた方がいいんじゃねえか」

出来るし。十四郎くんだって割と目つき悪いし接客出来るようには見えないじゃない。反論しようと口を開く前に頭の上に手が置かれて強制的に下を向かされた。な、何これちょっと十四郎くんどうしたの状況が掴めないんだけども。混乱しているうちに頭から手が離されて、わたしは勢いよく顔をあげた。驚いたことに十四郎くんはさっきまでの飄々とした態度はどこへやら、視線を斜め向こうへ泳がせつつ顔を手で覆ってしまっている。突然の変わりように着いていけないまま、彼の視線が注がれている先に目をやってみる。その先には制服を着た男子高校生が二人いた。あの制服は…十四郎くんと同じ学校の制服じゃなかったか。うん。そうだ。あの子たちとさっきの十四郎くんの態度がうまく結びつかないのだけれど、もしわたしが思った通りなのだとしたら。
「ね、十四郎くん。もしかして照れてる?」

ミルクティを飲み干してにんまり笑うと十四郎くんはあからさまにばつの悪そうな顔をした。うんうん分かるよ、こういうところで知り合いに遭遇すると何か気恥ずかしいもんね。意識しているのはわたしだけじゃなかったのかもしれない。そう思うと少し嬉しくなって、もっと彼のそういう顔が見たいと思ってしまうわたしは大人げない女だろうか。俯いていた彼の瞳がこちらに向けられる。
「彼女と二人でいるとこ見られるのって恥ずかしいだろ」

……ああ、やっぱり。彼の口から発せられた彼女という言葉だけで同じように気恥ずかしくなってしまうわたしもまだまだ子供だ。だけど、ねえ。そんなにやさしい声だったっけ。