王座の陥落

中学生男子バレーボール界にとんでもない奴がいる。それを知ったのは中学三年の春、引退を数ヶ月後に控えているときだった。彼はセッターでありながらエースになれそうなほどの長身であり、強烈なサーブを打ち、パス回しは驚くほど正確で、全ての中学生バレーボールプレーヤーを感心させるほどバレーボールが上手かった。きっとああいうのを天才と言うのだろう。彼が横暴で高圧的な性格だろうということは安易に想像できた。眉間のしわがそれを物語っている。確かな才能とたゆまぬ努力に裏付けされた彼の実力は、そうやすやすと凌げるものではない。ついたあだ名はコート上の王様。誰がつけたのかは知らないけれど、彼にぴったりだと思った。

ここまでが中学の話。受験シーズンになると私はすっぱりとバレーをやめ、受験勉強に打ち込み、烏野高校に入学した。高校生になり再会した王様は相変わらず眉間にしわを刻んでいた。

王様は名を影山飛雄といった。バレーボールをするために生まれてきたかのような名前だと思った。 王様は『王様』と呼ばれるのを嫌い、何かと跳ねる小さな男の子と行動を共にしているのをよく見かけた。ユニフォームではなく制服を身につけた彼の雰囲気は刺々しく近寄りがたかった以前のものよりも和らいでいるようにも見える。聞けば、王様は中学の決勝でチームからの拒絶を受けたそうだった。チームのゲームを左右するトス回しの要、横暴で高圧的な独裁者。そんな皮肉を込めた『コート上の王様』という言葉は気づけば私の耳に入らなくなっていた。それが何を意味するのか、分からないほど私は馬鹿ではない。

影山は相変わらずとんでもなく上手いセッターであったが、私が思い描いていた王様像とは少し違って、バレーボールに対して真摯に向き合い抜けたことを言う面白い奴だった。たまに完全なる悪役顔で笑ったりもする。少し怖い。
「影山ってさ、ずっと仏頂面なのかと思ってたらたまーに笑うよね。怖い顔しながらだけど」
「は?」
「だから、影山ってたまに笑うよねって話」
「笑ってるわけねぇだろ」
「笑ってるよ」
「いつ」
「今とか?」

!。漫画ならそんな感嘆符がつきそうな速度で顔を背けた影山が面白くて私はけらけら笑う。「冗談だよ」笑いながらそう告げると怒られた。だけど耳が少し桃色に染まった影山は、コートに君臨しているときと比べても全然怖くない。むしろ少し可愛い。
「影山かわいい」
「サーブぶつけるぞ」
「ぶつけられるわけないくせによく言うよ」

あ、また顔を背けた。

コート上の王様は平民である私の友人となり、そして恋人となった。玉の輿もいいところである。甘い言葉の一つもかけちゃくれないが、たまに笑った顔を見せてくれる。本人にそういう意識があるのかは不明だけれど私がそう思っている方が世界は平和に回るのだ。王様だっていっぱしの高校一年生男子なんだなあ、と思えるような発見もたくさん出来たので今のところ私は満足している。少し赤くなった耳を未だに背けたままの影山にキスをねだろうと思って、やめた。今はこれくらいの距離感が丁度いいのだ。彼が王座を捨てて私と同じところまで降りてきてくれる、その日までは。