a planet on the dish


「お疲れ。長旅大変だったんじゃない?」
「さすがにもう慣れた」
「そっか」

ゴロゴロと音を立てながら駅のコンコースからの階段を降りてきた飛雄の足元に置かれたスーツケースを車のトランクへと積み込もうとすると、ぬっと手を出してきた彼に「やる」と取り上げられたのを見て心の中で感心した。成長している。レディーファーストのレの字も知らなかったようなこの男が、いつのまにやら著しい成長を見せている。……いや、飛雄がちょっと見ない間にめきめきと成長するのは今に始まったことでもないかもしれない。
「何か飛雄デカくなった気がするんだけどまた背伸びた?」
「伸びてねえよ。188」
「じゃあ気のせいか」
「190まで伸びりゃ良かったけどな」
「贅沢言わないの」

バックドアを閉めた飛雄はぶすっとした表情で助手席のドアを開けてその大きな体を屈め窮屈そうに車へと乗り込んだ。その一部始終を眺めてから運転席のドアを開けて同じように乗り込んでいく。クーラーに冷やされた車内は蒸し暑い外に比べて随分と快適だったけれど、ギアに手をかけながら横目で見た飛雄の表情はとてもじゃないが『快適』とは言い難い。あーあ、拗ねちゃって。この様子だと、少し前の世界選手権で200cmに迫る高身長の選手を幾人も擁しているチームに惜敗したのが未だに堪えているようだ。飛雄だって、海外はともかく日本に帰ってきたら他の人たちより頭一つどころか二つ分は飛び抜けてるんだけどなぁ。何とフォローすべきか迷っているうちに、視界の端に緑の看板が映る。左のウィンカーを出して駐車場へとハンドルを切ると、隣から「コンビニか?」と声が聞こえた。
「うん、暑いから喉渇いちゃって。飛雄も何か買う?」
「ああ」

そう言って車のドアを開けた途端に響いてくる蝉の声が煩わしいのか顔を顰めた飛雄に「日本帰ってきたって感じするでしょ」と声をかけると「そうだな」と返事が返ってくる。その声にもう刺々しさはなかった。これが高校生のときなら一週間は調子が出ずにずっと仏頂面を浮かべることになっていただろうに、これもメンタルトレーニングの成果だろうか。プロってやっぱり凄いんだなぁと顔も名前も知らないメンタルコーチの素晴らしい仕事ぶりに思いを馳せながらドリンクコーナーの前に立ちどれにしようか悩んでいると、「俺はこれにする」アイスコーヒーを持った飛雄にちょうど手に取ったばかりだったペットボトルを持っていかれてしまい、慌ててレジに立っている背中の後ろから彼の手の中の財布を覗き込む。
「大丈夫? 日本円持ってる?」
「空港で両替してきたから持ってる」

そう言って千円札を出した飛雄はやはり、高校時代からは一皮むけた歴とした大人の男になっていた。初めて海外遠征に招集されたときは現地の通貨に両替するのを忘れたどころかクレジットカードさえ持ってなくてレジで慌てたところをチームメイトに助けてもらったりと散々な目に遭ったらしいのに。帰国後に顛末を聞いた月島に思いっきり「バカでしょ」と言われていたときの渋い顔が大人になった今でもやけに印象に残っている。それが今や活動拠点を海外に移すことを視野に入れるようになるまでなるなんて、あのときの月島少年が聞いたらびっくりしちゃうだろうなあ。

プロの世界で活躍するようになってからの飛雄の生活はとても慌ただしいものだった。シーズン中に日本各地で開催されるVリーグの試合に出るのはもちろん、世界中で開催される国際大会に参加するために海外遠征に行く機会が増え、この前見せてもらったパスポートの査証欄にはびっしりとたくさんの国のスタンプが押されていた。そしてその数はきっとこれからも増え続けていくだろう。

本当は、飛雄の出る試合には全部ついていきたいのが本音だ。けれど、さすがに国内はまだしも海外にまで活動拠点を拡大しつつある飛雄の全部に着いていくことは出来ないからこうして大きな荷物を抱えて羽田へと向かう背中を最寄り駅で見送って、そしてへとへとになって帰ってくるであろう彼を労うべく車をロータリーに停めてコンコースから降りてくるのを待ち構えるのが恒例となっている。コンビニを出てから受け取ったペットボトルの蓋を開けてドリンクホルダーにセットしてからエンジンをかけ、アイスコーヒーを飲んでいる飛雄に向かって言った。
「お腹すいたしなんか食べよっか。今日の飛行機って機内食出てたんだっけ?」
「出たけど朝飯だけだったぞ」
「じゃあお昼まだだよね、何食べたい? 奢ってあげるから飛雄の好きなのでいいよ」
「カレー」
「言うと思った」

海外遠征から帰ってきた飛雄に食べたいものを聞いたとき、リクエストされるのは大体カレーだ。こういうときって、普通は味噌汁とかおにぎりとか食べたくなるもんじゃないの?と思ったりもするけれど、飛雄にとっての日本の味はポークカレーらしい。カーナビを操作して予め登録してある地点を呼び出している最中、助手席に座っている飛雄の方へ一度目線を向けてからまたカーナビへと向き直る。お、出た出た。ここから一番近いところだと、この辺りのお店とかいいかなぁ。
「……なんだその顔」
「もう一回聞くけど、いいの? 本当に。お寿司とか天ぷらとかじゃなくて」
「おう」
「せっかく私の奢りだってのに欲がないねえ」
「お前だって好きだろ。カレー」
「まあそうだけど」

好きじゃなきゃ毎度毎度帰国するなりカレーが食べたいと言う飛雄に付き合ったりもしないし、カーナビに彼のウケが良かったお店を地点登録していたりもしない。ちなみに飛雄と違って私の大好物はカレーではないのだが、それをあえてこの男の前で口にしたことはなかった。私が好きなのはカレーではなくそれを美味しそうに食べる飛雄の横顔なのだということは、この際だから墓場まで黙っておくことにしよう。
「いつ聞いてもカレー食べたいって言うからちょっと面白くなっちゃってさ。毎回食べてて飽きたりしない?」
「……好きなもんってそういうもんじゃねえのか?」
「そういうもんって?」
「飽きるとか飽きねえとかの話じゃねえっつーか」

上手い言葉を探すのに手間取っているらしい飛雄は、窓の外と私の座る運転席とに交互に視線を送っている。バレーボール以外で自分の気持ちを表現するのが苦手なところは変わらないようだ。信号で止まった拍子に顔を覗き込んでやると、前髪の向こうの大きな瞳と目線が合った。
「それってさぁ」
「なんだよ」

ダメだ、まだ運転中だというのにふと浮かんできた考えについ口元がニヤニヤとしてしまう。飛雄は一歩コートの外に出ればどんなときでも澄まし顔をしているというのに。ただ単に表情筋をあまり使わないタイプなだけなんじゃ?と最近は思い始めたりもしているけれど、今はそんなことよりも確かめたいことがある。
「私も一緒だって考えちゃっていいの?」
「何が?」
「好きだからどれだけ繰り返してても飽きないってやつ」
「……さあ、どうだろうな」

出会った頃のような不敵で可愛げのない笑みを浮かべた飛雄が窓の外へと再び視線を戻したのを見てアクセルを踏む足に力を込める。初めての出会いは何年も前で、あの時の私たちはまだ高校生で、それからたくさんの時間が過ぎて、変わったこともたくさんあって。だけど、変わらないものだってたくさんあるはずだ。飛雄は相も変わらず温泉卵を乗せたポークカレーが好きだし、空港から寄り道もせずに真っ直ぐに帰ってくるし、表情筋はあんまり動く気配を見せないし、そして私も、そんな飛雄を見ているのは一生かけても飽きないような気がしてしまう。

だから、この先にたとえ何が起ころうと、たとえば飛雄がずっとずっと遠くへ行ってしまったって、私たちは大丈夫だ。私と彼と世界をつなぐ、バレーボールがある限り。

Twitterで募集した819の日リクエストより、あっかんべーの双葉さんへ

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