スタンドアッププリンセス


「ユッキー」
「ユッキーって呼ぶな」
「ゆきりん」
「女子か」
「…ゆーくん」
「誰だよ」
「まっつぁん」
「普通に笠松って呼べ」

わたしと笠松は学校の図書室で試験勉強をしていた。真面目に問題を解いていく笠松と対照的にシャーペンを放り出して笠松に話しかけては悉く無視されてそこらへんにあった人形で寂しく遊んでいるわたし。さっきまで勉強してたけど飽きた。つまらん。人いなさすぎてつまらん。試験一週間前なのに図書室はわたしと笠松の二人きりだった。みんな自分の家で勉強してるのかな。

本当は勉強なんてしたくなかったけど笠松に『どうせお前家帰っても勉強しねーだろ』とか言って無理やり連れてこられてしまったから仕方なく教科書を広げて読んでみたけどさっぱり分からなかった。どうしてこうも大人ってやつはわざわざ難しい言葉で難しいことばかり語りたがるんだろう。
「笠松バスケばっかのくせによく授業ついていけてるよね」
「一応授業は聞いてるからな」
「わたし日本史とか起きてたことのほうが少ないよ」
「卒業出来ないんじゃねーのお前」

さらりと恐ろしいことを言った笠松に抱きしめてたペンギンのぬいぐるみを投げつけると簡単に避けられた。忌々しい反射神経め…!卒業出来ないんじゃねーの、なんて一日中バスケに明け暮れてる正真正銘バスケ馬鹿の笠松には言われたくない。
「卒業出来なくてもわたしはバスケやってる笠松が見れたらそれでいいよ」
「………勝手に言ってろ」

意地を張ってみたけどあっさり流されてちょっと悔しかった。半分本気だったのにな。何だろうこの適当にあしらわれたみたいなやるせない感じ。笠松部活ばっかりで全然休みないからこうやって二人で話すのも久しぶりなのに浮かれてるわたしが馬鹿みたいだ。こうなったら森山くんに教えてもらったあの方法で笠松をギャフンと言わせてやる。
「ねー笠松やっぱりテスト勉強しよ」
「だから今やってるだろ」
「保健体育の」
「は?」

シャーペンを走らせていた笠松の手が止まった。まあわたしが笠松の手握ってるからなんだけど。「笠松」ちょっとだけ顔を近づけると笠松が顔をしかめた。仮にも恋人である彼女に迫られて顔しかめる彼氏ってどうなの。
「……森山に変な入れ知恵されたな」
「ご名答」
「あいつ何て言ってた」
「『いくら笠松と言えどここまでされちゃあ鉄壁の理性も崩壊するに違いない』」
「アホか」
「あいたっ!」

案外冷静にわたしを引き剥がした笠松に拳骨をくらったわたしは椅子に座ったまましばらく悶えていた。森山くんの読みじゃあここで笠松が狼に大変身するところだったんだけどな。変身どころかいつも通りすぎて笑える。作戦敗れたり。

まあ元からそんなに期待はしてなかったよ何てったってバスケ馬鹿の笠松だし。ていうかこんだけやっても動じないって笠松ホントにわたしのこと彼女だと思ってんのかなー都合のいい暇潰しぐらいにしか思ってなさそう。
「……もう笠松なんか知らん」

拗ねてやる。どんどん卑屈な方向に考えが暴走しはじめたわたしは膝を抱えてとうとう一人でいじけることとなった。格好悪い。格好悪いけど、勉強する目的で図書室に来たんだから本当は勉強しなきゃいけないんだけど、久しぶりに二人で過ごせたんだからもうちょっとこう…さあ!こういうときぐらい優しくしてくれたってさあ!バチは当たらないと思うんだよね!別に笠松がいつも優しくないって訳じゃないけどむしろ優しいのは十分知ってるくらいだけど!
「オイ」

もの凄い力で背中を向けていた笠松の方に体を引っ張られた。遠心力も加わってちょっとだけバランスを崩した体が倒れそうになったけれど何とか耐え抜くと真剣な顔をしてこちらを見つめる笠松の姿が。
「面倒くさいことしてんじゃねーよ」
「…………」
「言わなきゃ分かんねーだろ」
「………だって」
「何だよ」
「寂しいんだもん……」

面倒くさい女だと思われたくなくて今まで必死に隠してたのにこんな形でバレるだなんて最悪にも程がある。とうとう本格的に泣きたくなってきてしまった。嫌だ絶対笠松呆れてるもうこっち見ないでほしい。

泣きそうになるのを我慢して俯いてると隣にいた笠松が立ち上がった。愛想つかされちゃったかな。だから面倒くさい女にはなりたくなかったのに。

そのまま笠松は図書室のドアに向かって歩き出し……たと思ったら何と座ったままでいたわたしの上に覆い被さってきた。

…………は!?
「ゆ、ゆゆゆ、ユッキー!」
「このタイミングでユッキーって言うな」
「じゃあゆきりん」
「しばくぞ」

やばいしばかれる。わたしあの派手なピアスの黄色い男の子みたいにボコボコにされる。殴られる覚悟を決めぎゅっと目をつぶった。だけどいつまで経っても拳骨は落ちてこない。代わりに落ちてきたのは唇だった。え。………え?
「ちょ、笠松ストップ……!」
「無理」
「無理じゃない笠松ならいける!」
「焚き付けたのはお前だろ」

焚き付けてねーよ!

その心の叫びは酸素と一緒に飲み込まれてしまった。なされるがままのわたしはもう何度も繰り返される熱に今にも意識が朦朧としてきてしまいそうだ。ゆっくりと笠松が離れていった。「寂しい思いさせてごめんな」どうやらわたしは自分で思ってたよりも随分と愛されていたらしい。机の上に広げられたままの教科書の内容なんて一切頭に入らなくなってしまった。