透き通るまであと少し

かれこれ2年以上、風間さんに付きまとっているボーダー隊員がいるらしい。同じボーダーの仲間とはいえ、けしからん奴もいるもんだ。2年以上ってことは最近入った新人というわけでもないだろうし、A級かB級か、どこのどの隊に所属してる隊員だろう。捕まえてランク戦でとっちめてやる。
「で、諏訪さん。どこの誰ですかそんなけしからん輩は」
「お前だろ」
「え?」
「だからお前だって」
「何がですか?」
「風間に付きまとってるボーダー隊員」
「……?何のことやらさっぱり」
「急に理解力低いフリすんじゃねえよ」

咥えていた煙草を灰皿に押しつけた諏訪さんがわざとらしくため息をついた。やれやれ、という心の声が聞こえてくる。
「お、噂をすれば」
「風間さん!」
「……諏訪とか」

ラウンジへと続く廊下を歩いていた風間さんが足を止めたのを見て、すかさず駆け寄る。
「今日こそ個人戦のお相手お願いします!」
「遠慮しておく」
「いつもそうやって断るじゃないですか!あの玉狛のメガネの子とは模擬戦やったくせに!」
「……三雲とお前は違うだろう」
「何が違うんですか!同じB級じゃないですかあ!」

抗議の声も虚しく風間さんはスタスタとそのまま会議室の方へと歩いていってしまった。…今日こそは相手してもらえると思ったのに。これで断られるのも1週間連続だ。風間さんは自己鍛錬が好きなくせに、私とは全然鍛錬してくれない。A級上位チームの隊長だから遠征や任務や会議で何かと忙しいのは知っている。同い年の諏訪さんはこんなに毎日暇そうなのに、同じ大学生でもえらい違いだ。

風間さんの仕事を少しでも誰かがやってくれれば私との鍛錬の時間も取れそうなものを、優秀な人にはどんどん仕事が集まってきてしまうからどうしようもない。せめて太刀川さんや諏訪さんが風間さんの代わりにちょっとでも働いてくれれば私との鍛錬に時間を割いてくれるかもしれないのに。そうこぼすと「時間があっても断られるだろ」と言う諏訪さんの声がラウンジに響いた。
「お前らってあれだよな。めちゃくちゃしつけえ犬と飼い主っぽい」
「どこが!?」
「全体的に」

椅子に腰掛け煙草を咥えてけたけた笑う諏訪さんを蹴っ飛ばしてやろうと足を伸ばしたけれど避けられた。身のこなしだけはさすがだ。B級の隊長をやってるだけのことはある。

それにしても、犬って。あんまりだ。どっちが犬でどっちが飼い主かなんて分かりきってる。犬……風間さんの忠犬……それはそれでいいような気もするけど……。でもやっぱり私は今世で命ある限りは人間でいたいし、あわよくば男女として風間さんとお近づきになりたい。今のところまったく近づけてはいないのだけど。




玉狛のメガネこと三雲くんが「拐われた人達を全員取り戻しに行く」と大見得を切ったあの記者会見から数日、ボーダーへの入隊志願者数はかつてないほどに膨れ上がっていた。大規模侵攻での被害を目の当たりにして辞めていった隊員の数を補って余りあるほどだ。三雲くんの影響力すごすぎないか。…あの熱のこもった会見は、三雲くんを勝手に風間さんの弟子の座を巡るライバルだと思っている私の心にすらもグッとくるものがあったのは確かだけれど。普段は全くパッとしないくせに、いざとなるとヒーロー然とする彼のああいうところが風間さんの心に響いたんだろうか。

何にせよ、大規模侵攻後のボーダー内部の慌ただしさといったらもう、筆舌に尽くしがたいものがある。エンジニアも戦闘員も事務職員も、どこもかしこも人手不足だ。ぶっちゃけ指導する側の手が足りないということで、B級下位チームの私まで指導担当として駆り出される始末となっている。まあ、そこそこ古株のはずなのにイマイチ成績が振るわなかった私にアタッカーのイロハを叩き込んでくれた荒船直々に頼まれちゃ、断れるはずもないんだけども。
「あ!先輩!今日もよろしくお願いします!」
「……よろしくお願いします」

入隊志願者のほとんどは中学生から高校生だ。トリオン器官もまだまだすくすく成長中で、三門市の安寧をこの手で守らんとキラキラ輝くその瞳はとてつもなく可愛い。でもその輝きが私にはちょっぴりつらい。

中でも特に今私の目の前にいるこのアタッカー志望の少年。アタッカーで凄い人なら村上とか小波先輩とか生駒先輩、年の近い緑川くん、太刀川さんや風間さん、迅さんまで選り取りみどりだというのに、何故か私が「師匠」と慕われている。

確かに最初に彼を指導したのは私だったけれど、かといって弟子にした覚えもない。たまたまその日の担当が私だったというだけだ。入ったばかりのC級の子だからまだボーダー内で誰が強くて誰がそうでもないのかが分かってないのかと思いきや「オレA級1位の太刀川さんが憧れなんですよね」なんて言ってくるし。せっかく憧れの人なんだから太刀川さんに指導してもらいたくないの?と聞くと「憧れの人に教えてもらうなんて緊張して出来ないっすよ」と返された。そんなもんなの?私は憧れも師匠も恋人も、出来ることなら全部風間さんがいいのに。最近の中学生はそんな風には思わないんだろうか。5歳も離れていないのに、もうジェネレーションギャップを感じてしまいそうになる。


今日の指導は実戦訓練を3回と、10本勝負一回で終わり。教えるっていってもほとんど荒船の受け売りなんだけど、こんなんで良いんだろうか。そこそこボーダーで過ごしているくせに後輩の指導なんてほとんどしたことがないから詳しいことはあまり分からないけれど、彼は飲み込みが早いと思う。玉狛の白い子や緑川くんほどではなくとも戦闘訓練のタイムも良かったし、順調にポイントを稼いでいるようだし、この調子でいけばすぐにボーダーの戦力になるだろう。その頃には私が教えられることもなくなっているはずだ。…きっと、個人ランク戦のポイントもすぐに師匠(仮)の私を追い抜いていく。
先輩ありがとうございました!またよろしくお願いします!あ、バスの時間に遅れるんでこれで!」

時計を確認して慌ただしく駆けていく後ろ姿に手を振って見送った後、自販機で買ったミルクティーを手にラウンジの椅子に腰掛ける。
「入ってきた頃のお前にそっくりだな」

一口飲んだ後、聞き慣れた声がして後ろを振り向くとすぐそこに風間さんが立っていた。びっくりしすぎてギャア!とおよそ女子高生とは思えない声が出た。……か、風間さんがいる。風間隊は今、長期で出張中じゃなかったか。あと2週間は帰らないと聞いていたのに、どうしてここにいるんだろう。それに、お前にそっくりって。……あの子が私に?
「私あんなキャピキャピした感じでしたか?」
「ああ。アイツよりもっと元気だった」
「……すみません」
「何で謝るんだ」
「何となくです」

諏訪さんが冗談まじりに言った「犬」という言葉を思い出す。そう言われて悪いような気はしていなかったけれど、あれは、もっと違う意味があったんじゃないのか。2年以上も事あるごとに付きまとってくる後輩に、風間さんは何を思っていたんだろう。隣をちらりと盗み見ても、風間さんの表情からは何も読みとれそうにない。
「あの子、筋がいいですよ。多分B級上がるまでもうすぐですね」
「教え方が上手いんじゃないか?」
「いや、荒船のメソッドと彼の才能が凄いだけです」

どんなに熱心に教えたって自己鍛錬を重ねたって、人には向き不向きがあるということを私は身をもって知っている。同い年の荒船や影浦はもうB級上位チームの隊長だし、風間さんは相変わらず無敵の強さを誇っているし、優秀な後輩はどんどん入ってくるし、他の同期もメキメキと頭角を現している。年下の子でもA級チームに属している子がたくさん増えてきた。みんなもう、私にはとても追いつけないところまで走っていってしまっている。
「今日はランク戦の相手をしろとは言わないのか?」
「これ以上ポイント取られちゃうと困るんで」
「そうか」

フッと微笑んだ(ように私には見える)風間さんの顔を見つめながら、これまでの風間さんとの2年間のあれこれを思い出す。思えば私は、風間さんの都合も考えずに個別指導をしてくれだのランク戦をしてくれだのと、弟子でもないのに付きまとってばかりだった。

「弟子にしてくれ」と正面きってお願いしたこともあったけれど、「太刀川に教えてもらえばいいだろう」と一蹴されて終了。……太刀川さんが個人ランク1位で、風間さんが3位ってことはもちろん知ってる。風間隊は菊地原くんのサイドエフェクトとカメレオンを使ったコンセプト部隊で、私はもちろんのこと、誰も風間さんの戦い方を真似しても同じくらい強くはなれないってことも、ちゃんと分かってる。それでもやっぱり私は教わるのなら風間さんがいいと、風間さん以外考えられないと、これまでの2年間ずっと思い続けてきた。……思うだけにしておけば良かったのに、憧れを超えて恋になってしまったものはどうにも止められなくて、こうして忠犬呼ばわりまでされるようになってしまったのだ。
「風間さんは優しいですね」
「……何だ急に」
「どれだけ付きまとっても私のこと嫌だって言わないじゃないですか」
「嫌じゃないからな」
「本当に?」
「そうでないとわざわざこちらから話しかけたりしないだろう」

俺がそんな暇そうに見えるか?と問われて首を横に振る。風間さんはおそらくボーダーの中でも一二を争うくらいには忙しい人だ。そしてきっと誰よりも優しい。
「後輩に好かれるのも、悪いものじゃない」
「……それが才能のないポンコツでも?」
「ダメなやつほど可愛いとも言うだろう」

それならば何故風間隊には出来る奴しかいないんだと聞きたくなったけれど辞めた。好いてくる後輩を実力度外視で情だけで自分のチームに引き入れるほど、ボーダーと風間さんが甘くないのを私は知っているからだ。
「じゃあ風間さん、私のことダメな奴だけど可愛いって思ってたんですか?」
「今も思ってるぞ」
「え!じゃあ何で弟子にするの嫌って言ったんですか!」
「……それとこれとはまた別の話だ」

ここまで思わせぶりなことを言っておいてやっぱり弟子にはしてくれないなんて、風間さんの中では可愛い後輩=可愛い弟子とはならないらしい。どうしてなんだ。分からない。私と風間さんは全然違う人間だから分からなくて当たり前なのだろうけど。

自分よりも凄い人なんてごまんといるこの世の中で、「天才」と呼ばれる彼らにはどうしたって追いつけなくて、生まれ持ったトリオン量とセンスがモノを言うこの世界で、ボーダーに私の居場所なんてもうないんだと思っていた。トリオン器官の成長も、隊員として残された時間も、きっと私にはもう僅かだ。

それでもまだ最前線を、風間さんの隣を諦められない自分がいる。風間さんにはっきり「嫌だ」と言われるまで、お前はボーダーに必要ないと言われるその日までは、例えどれだけ優秀な人材が入ってこようとも、追いつけやしなくとも、その後ろをずっと走ってやる。手に持ったミルクティーの残りを一気に飲み干した。そうだ、私には、落ち込んでいる暇なんかない。
「風間さん!やる気出てきたんで個人戦一本どうです?」
「ポイントが減ると困ると言っていただろう」
「取り返すので大丈夫です!」

珍しく断らない風間さんを引っ張ってランク戦ブースに入る。2年以上かけてここまでやってきたのだ。ポンコツで何もできない可愛い後輩で終わるつもりなんてない。憧れも師匠も恋人も、出来ることなら全部風間さんがいい。

ボーダーの中でも一二を争うくらいに忙しく、優しくて、そして鋭い彼にはきっと私が考えていることなんて言わなくても分かっているのだろうけど、自信を持って風間さんの横に並び立てたいつかのその日には、可愛い後輩だけじゃないこの胸の内を伝えられたらいい。