いつか目が醒めますように

言峰綺礼を一言で表すのなら、『勿体ない男』だろう。とても本人を前にしては言えないが、私は常々そう思っている。


綺礼さんの部屋にはあまり物がない。あるのはテレビとテーブルとソファとベッドに冷蔵庫、そして仕事に使う道具少しくらいだ。

初めて教会の奥のこの部屋に足を踏み入れたとき物の少なさに驚いたものだが、それと同時にテレビがあることに驚いた。聖職者というからには酒も飲まず、女子供も持たず、俗物に興味も示さず、ただひたすらに神に祈りを捧げるような禁欲的な生活をしているのかと思っていたから。しかし実際の言峰綺礼は禁欲的どころか、冷蔵庫には常にお酒(外国製の高そうなやつ。ワインが多い)が冷やしてあるし、女には興味を示さないけれど既婚歴もあるという。およそ聖職者とは思えぬ彼も信仰心だけは本物らしいけれど、それが真実かどうかは私には分からない。聖職者でも、ましてや魔術師でも何でもない私には。
「綺礼さんでもテレビ観たりするんですね」
「……明日の天気が分からんと困ることも多いだろう」

綺礼さんの言葉を聞いて、この人でも明日の天気がどうなるのか気にしたりするのか、と妙に感心したことを覚えている。実際、この部屋に足を踏み入れるとき、テレビからは天気予報ばかりが流れている。さすがに飽きるので適当なバラエティやドラマにチャンネルを変えたりするけれど、綺礼さんは決して勝手なことをするなとは言わない。おそらくこうしたものには関心がないのだろう。バラエティを見て一人で笑う姿なんて想像も出来ないし。

今日もテレビは天気予報を流している。コンビニで買ってきたサンドイッチをかじりながら、流暢に読み上げられる言葉たちを聞き流していると、ふと「今晩は流星群が見られるでしょう」という言葉が耳に入った。
「綺礼さん、聞きました?今日は流星群だそうですよ」

身支度を整え、教会へ赴く準備を終えた綺礼さんへ声をかける。綺礼さんは「ほう」とだけ返すと、さっさと部屋を出て行ってしまった。何もない部屋に1人取り残された私は、何か面白い番組はないかとテレビのリモコンに手を伸ばす。…さすがにニュース番組しかやってないか。つまんないの、と呟いてテレビを消した。何もない部屋に静寂が流れる。

空っぽだ、この部屋も綺礼さんも。

言峰綺礼は破綻者だ。聖なる道を歩むべくして生まれた彼の性質は聖人とはとても言い難く、されど根っからの悪とは言えない。特定の女性はいらない(面と向かって言われたことがある)らしいけれど、教会を越え、こうして部屋に上り込む私を拒むこともしない。だけど、拒みこそしないけれど、どれだけ足繁く通おうと言峰綺礼が私に心を開くことはありやしないのだ。


今日は流星群の夜らしい。せっかくだから外に見にいきましょうと誘ってはみたけれど、やはり綺礼さんは現れなかった。丘の上の教会は、冬木の中心地の喧騒が嘘のように静かだ。屋根に登らなくても、見上げるだけで星が見える。初めてこの教会が丘の上に立っていて良かったと思った。

魔術師の中には星を読む人がいるらしいけれど、魔術師ではない私が空を見上げてもただ綺麗だとしか感じない。綺礼さんはどうなのだろう。あの人の職業は聖職者だけれど、少し魔術を嗜んでいたこともあるらしい。あの人にも、空を見上げて何かを思うときがあるのだろうか。そのとき一体彼は何を思うのだろう。私のように、星が美しいと思うことはあるんだろうか。
「……来ると思いませんでした」
「誘ったのは君だろう」

それはそうなのだけれど。草を踏みしめ、言峰綺礼が丘の上に姿を現した。…来るとは思わなかった。それは本当だ。まさか、あの綺礼さんが星を見るなんて。どういう風の吹き回しだろう。それともただの気まぐれだろうか。…この人にそんな気があるとは思えないけれど。

綺礼さんは、星を見るでもなく体の後ろで手を組み佇んでいる。その姿をみていると、胃の底から順に冷えていくような心地がして、振り切るように丘の上から空に向かって腕を伸ばした。ああ、なんだか不思議な気分だ。あの星にさえ手が届きそうな気がしてしまう。
「綺礼さんは、星に手が届きそうだと思ったことありますか?」

私の問いかけに綺礼さんは空を見やる。冬木の空には、無数の星がちらちらと瞬いていた。しかしこの空を見ても、綺礼さんは眉一つ動かさない。

彼は一体何者なのだろう。星を読む者、星を求める者、星を落とす者、星を掬う者、そして、星を壊す者。その一体どれに言峰綺礼はなるのだろう。考えても分からないけれど、きっと、彼は星を美しいとは思わないであろうことだけは分かる。

勿体ない人だとつくづく思う。せっかく美しい佇まいをしているのに、こんなにも綺麗な星空なのに、何ともないような顔をして、ただそこに立っているだけなんて。まるでガラス細工のように冷たく美しい綺礼さんのことをもっと知りたいと思うけれど、知らないままでいたいとも思ってしまう。彼のことを深く知っても、果たして私は彼を美しいと思えるのだろうか。彼が美しいと思うものを、同じように愛せるのだろうか。その自信が欲しくて、どうにかして手に入れたくて、私は星へ手を伸ばした。

冬木の夜は澄み渡っている。まるでサーヴァントとそのマスターが日夜繰り広げる聖杯戦争のことなど何も知らないような顔をして、この街はただそこにある。ほうと長い息を吐き、白んだそれが消えていく様を見つめながら隣に立つ綺礼さんの手に指を絡める。ガラス細工のように冷たいのかと思っていた言峰綺礼の体温は、思いのほか温かかった。