かくいうわたしも

明日は今季一番の寒波の影響により、広い地域で大雪となるでしょう。お目当てのバラエティ番組が終わった後も付けっぱなしにしていたテレビから聞こえてきた気象予報士の言葉に思いっきり顔をしかめた。大雪で喜べる年なんてとうに追い越してしまったこと、それを心のどこかで少し残念に思いながら。



次の日、いつもより1時間早く起きて窓の外を見るとそこは一面の銀世界となっており、驚きや感嘆よりもまず最初に「バス動いてるかな」という不安が頭をよぎってもう一度自分の現実主義者ぶりに顔をしかめた。大雪でバスが埋まったら休みなんて校則は生徒手帳のどこを探しても書いてなくて、休校の連絡が来る気配もないし、やっぱり今日学校行かなあかんのかなと憂鬱な気分になりながら手持ちの中で一番分厚いマフラーをぐるぐるに巻いて玄関のドアを開ける。途端にびゅうと吹いた風に身体の芯まで冷えていくような心地がしてびくりと肩を跳ねさせた。

誰もいないバスに揺られて学校へと向かう。いつもより3本は早いバスに乗ったせいか途中で同じ制服を着た生徒と誰ともすれ違わなくて、バス停を一つ一つ追い越していく度に不安ばかりが募った。私が気付いてないだけで、実はもう学校休みになってたりしたらどうしよう。せっかくこんな凍えるような思いをしてほとんど始発に近いバスに揺られてまでやってきたってのに骨折り損にも程がある。そわそわと1分おきくらいの頻度で手に持った携帯を覗き込んでみるも誰も何の連絡も寄越してくる気配がなくて、「今日学校来るよな?」と友達に送ったメールも読まれた形跡はなかった。まだ寝てるんかな。もうすぐ学校着きそうやけど、教室で学校来てるの私一人だけとかやったらめちゃくちゃ嫌やなぁ。

だらだらといつもの半分くらいにペースを落として歩いてみてもバス停から教室までの距離なんてたかが知れてて、覗いてみた教室にまだ電気がついていないのを見てやっぱりなとため息をつく。帰りたいなあ。学校着いてしまったもんはもうしゃーないし、今更ここで帰ったりはせんけども。もう既に帰りたい気持ちを何とか誤魔化すべく教室の中をうろうろとしていると、しんと静まりかえっている廊下からぺたぺたと上履きを履いた誰かの足音が聞こえてきて、目線の先にひょっこりとクラスメイトの北が現れたのを見てああよかったと胸を撫で下ろす。今日やっぱり学校あるみたい。やっぱりそうやんなぁ。「おはよう」と声をかけてきた北におはよ、と短く言葉を返して教室へ入ってこようとする姿を目線で追うと、マフラーを外した北が「寒いな」も独り言のように呟いた。
「北学校来るのめっちゃ早くない?」
「雪で電車止まったらあかんと思って2本早いやつ乗ってきてん」

さすがは北、ちゃんとしてる。北の家って確か結構遠くの方やった気がするのに2本早いダイヤのやつ乗ってきたって。朝得意なんかな、北が遅刻してきたのとか見たことないしきっと得意なんやろうな。何も特別なことじゃない、さも当然と言わんばかりの態度に感心しながら北の耳にはめられたイヤーマフへと視線を移して「それいいなあ」と思ったままのことを言ってみる。
「耳めっちゃあったかそう」
「バァちゃんに昨日もろてん。明日雪降るから寒いやろって」
「私も今日お母さんから手袋もらった。雪触って手冷たなったらあかんからって言うて防水のやつ」

ほら、と机のそばに置いていたリュックから手袋を取り出して目の前にかざしてやるとそれを見た北が「子供みたいやな」と言って笑う。そうかな、普通やと思うけど。北が落ち着きすぎなだけとちゃうかな。前に尾白と二人でおるところがあんまりにも落ち着きすぎててクラスの人らに「熟年夫婦やんけ!」って言われてたし。尾白で思い出したけど北がこんな時間に教室おるのめちゃくちゃ珍しいな。バレー部の人、いつも一番遅く教室来て一番早くに教室出ていくイメージやのに。
「なあ北」

自分の席に座ってちょうどイヤーマフを外そうとしていたところの北に向かって声をかけてみる。
「今日朝練は?」
「休み。さすがに雪降りすぎやって言うて双子が駄々こねよったから」

「こんな寒い中でボール触ったら指千切れてまう! とか侑がやかまし言いよるし、休みにしてよかったと思うわ」と至極真面目な口ぶりで言った北の言い草がおかしくて吹き出してしまう。指千切れるって、部活の話してるはずやのに物騒すぎん? 二人だけの教室にはゆっくりと息をしている北とけらけらと笑う私の声だけが響いていて、もう少しだけ他のクラスメイトが来ない時間が続けばいいのにな、とがたがた壊れそうな音を立てている窓に目線をやりながら思った。



「北」
「お疲れ」

結局どれだけ雪が降りしきろうと学校も授業もなくなることはなくて、きっちり終業時間の後の委員会が終わる時間まで学校にいるはめになってしまった私は一人地面に積もった雪を蹴飛ばすようにして歩いていた。この時間にちょうど来るバスは出ていないから、こうやって駅の方へと歩いていくしかない。まだまだ冬を感じる肌を刺してくる空気の冷たさに負けないようにマフラーにほとんど顔を埋めるようにして歩いていると、ちょうど部活も終わったのかすすっと音もなく寄ってきた北が「そんなんやってたら転けても知らんで」と声をかけてきた。今日は北によく会う日やなと思いながら「そんなアホみたいなことせえへんよ」と答えると、「どうやろなあ」と振り返った北が笑う。その耳には朝と同じように真っ白なイヤーマフがはめられていた。

……教室に二人でおったときは正面向いて話してたから気付かんかったけど、北って頭の形めっちゃ丸いなあ。イヤーマフ似合うのいいな。白くてもふもふのイヤーマフがめちゃくちゃあったかそう。会ったことないけど北のおばあちゃん可愛いセンスしてはる。……なんか、北の後頭部ばっかり雪見だいふく食べたくなってきた。北を見てたら食べたくなったって言ったらさすがにちょっと怒られるかな、と内心どきまぎしながらちょうど通りがけの道にあったコンビニを指差して声に出してみる。
「私コンビニ寄って帰ろかな」
「寄り道?」
「うん。寄り道」
「俺も行く」
「うそやん」
「一人で行かしたら危ないから」
「ええ? 別に危なくはないと思うけど……まだそんな暗い時間ちゃうし」
「暗ないけど雪で滑って転けたら誰かが助けたらなあかんやろ」
「いやちょっと待って何で私が転ける前提なん?」

北には私が雪に足を取られてすってんころりとずっこける未来がまざまざと見えているらしく、「誰もおらんとこで一人で転けたら可哀想やからな」と言って私の背中を追いかけるようにしてコンビニへと入ってきた。さも優しいことを言った風な顔しとるけど、ちゃうやん。笑う要員ってことやんそれ。転けるのはもう確定してるみたいに言わんといてほしいなと思いながらアイスが並んでいる棚へ寄っていくと、そのまま着いてきた北が「何買うん?」と後ろから声をかけてくる。
「雪見だいふく」

正気か? みたいな顔をした北にまじまじと顔を覗き込まれてその目力に少しだけたじろいでしまった。いや、だって、これはさぁ。北が雪見だいふくみたいな頭してるのにもちょっと原因あるやんなぁ。そんなん言ったら怒られそうやから言わんけど、とにかく、もう完全に私の口の中は雪見だいふくモードに入ってしまっている。それはいくら北に信じられないようなものを前にしたような目で見られたところで簡単には覆ることはない。

北の分も買ってあげたらよかったかな、と思ったのはお会計を済ませた後に奥の方にあったイートインスペースに二人で腰掛けてアイスの蓋を捲った後のことだった。……半分こするにはちょっと一口が大きすぎる気がするけど、あげた方がいいんかな。でもこんな寒いのにこいつ正気か? みたいな顔してさっき見てこられたしなあ。いつのまに買っていたのか北は北で美味しそうにホットほうじ茶飲んでるし、別にいいかと思い直してピックに突き刺した大きな白い塊を口へと運ぶ。
「めっちゃ冷たい」
「だから言うたやん」

それでもどうしても食べたかったんです、誰かさんがふわふわのイヤーマフ付けとるせいで。そんなことを言おうものなら「人のせいにするもんちゃうやろ」とか正論パンチされそうなのは分かってるから言わんとくけど。冷たい冷たいと言いながら私がアイスを平らげるのを眺めていた北がふっと思い立ったかのようにレジまで戻っていって、「これ結構美味かったで」と言いながら渡されたホットほうじ茶の温かさが歯とお腹の下の方へとじんわり広がっていく。食べ終わって空になった容器に視線を移して、まだ帰りたくないなぁとぼんやり思ったけれど、「あと10分で電車出るわ」と時計を見ながら言った北に続くようにしてイートインスペースの椅子から立った。空になった容器をごみ箱に捨てて、出口のドアへと手をかける。ちょうどそのとき後ろから私の名前を呼んだ北に呼び止められて、財布でも忘れたかなと思いながら振り返ると、目の前に差し出されたのは北の耳から外されたあの白いイヤーマフだった。
「……これ」
「使ってええよ。寒いやろ」
「え、でも」
「また一緒に帰るときに返してくれたらええから」

また一緒に帰るときって、またこうやって私と一緒にコンビニ寄ったりしてくれるってこと? 完全に想定外のことを言われた身体が寒さも相まって強ばったのを悟られないように引ったくるようにして北の手からイヤーマフを受け取って慌ててドアの外へと足を踏み出したのがいけなかったのか、あ、と思ったときには視界は反転していて、お尻のあたりに鈍い痛みが走った。予定調和すぎる。

コンビニの出入口で呆然と尻餅をつく私を見て「やから俺がおった方がええでって言うたやろ」とうっすら笑いながら言った北が手を差し伸べてきて、ぐっと引っ張られた手はきっと私と同じくらいに熱かったはずなのに、雪対策ではめていた手袋のせいでそれが分からなくて心底残念に思った。

スカートについた雪を手で払ってから、「電車間に合うんかな」と呟いた北に「間に合わせよ」と頷いて二人で駅へと向かう。貸してもらったイヤーマフを耳に当てて歩き出した途端に次の雪の日が待ち遠しくなってしまう私って、なんて夢見がちな女なんやろう。次に雪が降った日には、手袋は付けずに学校に行こう。そしたら今度は滑って転んだりせんでも手握ってもらえるかも。憂鬱でしかなかった大雪も、乙女の手にかかれば恋を盛り上がらせるスパイスになりうる。そして何でもないような顔をして北の隣をイヤーマフに温められながら颯爽と歩いているかくいう私も、そんな夢見がちな乙女のうちの一人だったりして、なんちゃって。

Twitterに上げたものを加筆修正しました。

titled by 凱旋