電車に乗れない緑間


「何かさあ、緑間って電車乗れなさそうだよね」
「何つう恐ろしいこと言うのお前。真ちゃんにしばかれんぞ」

思ったことを言っただけなのに高尾に怒られた。どうやら私は高尾にとって恐ろしいことを言ってしまったらしい。緑間について思ったこと言ってみただけなのにしばかれるだと?なんて理不尽な。しかし緑間真太郎という男はすべて「理不尽」という言葉で構成されているようなものなので、あながち間違っていない意見だと思った。

何しろ彼のバスケでの得意技はコートの端から反対側のゴールリングまで思いっきりボールを放り投げるという破天荒すぎる技なのだ。凄すぎてもうそれを技と呼べるのかさえも分からない。

緑間は実は電車に乗れないのではないか、というのはここ三ヶ月ほどの私が密かに心の中で感じていた疑問である。乗れないんだと思う。いや多分乗れない。むしろ乗ったことすらないんじゃないかな。
「一応聞くけど、何でお前は真ちゃんが電車乗れないと思ってんの?」
「だって緑間がリアカー以外で移動してるの見たことないじゃん」

そしていつもそのリアカーを引いているのは今私の目の前にいる高尾だということも、私はちゃんと知っている。彼は本当に献身的である。こないだも一生懸命緑間を引いて正門から走り去っていく高尾を見つけた。残念ながら知人だと思われたくなかったので彼らに声はかけられなかったけど。

ぶっちゃけ高尾がリアカーを引く速度より私が歩く速度のほうが速かったのは内緒だ。

出来れば私も一緒にリアカー乗せて引いてくれないかな、と思う。むしろ緑間が降りればいいよ。体力増強のために歩いたり走ったりしたらいいよ。高尾に引っ張ってもらわないで自分で歩けばいいよ、そんでもって自分がどれだけ周囲に甘やかされてるか自覚してみるといい。

ちらりと目線の端で緑間を確認してみた。寝ている。いや寝ているかどうかは分からない。目を閉じている。無駄に長い下睫毛が羨ましい。女の子みたいだな。めちゃくちゃ変人だけど。毎日毎日おは朝のラッキーアイテム学校に持ってきちゃう変人だけど。しかし彼は私がどんなに毎朝化粧を頑張ったとしても手に入れることのできない睫毛を持っているのだ。
「ていうか緑間って自転車すらも乗れなさそうなんだけど」
「電車の次は自転車かよ。お前真ちゃんのこと何だと思ってんの」
「変人」
「否定はしない」
「おは朝のラッキーアイテム電車にならないかなあ」
「どんなアイテムだよ」
「緑間をおびきよせるためのアイテムだよ」
「いくら真ちゃんでもそこまで馬鹿じゃないっしょ」
「どうだかねー」

そこまで話してから高尾と二人で明日のおは朝のラッキーアイテムは何だろうと考えていたところあたりで、話題の人物だった緑間が高尾を連れて教室から出ていってしまった。緑間の目線が一瞬ちらりとこっちを向けられたもんだから「勝手なことを言うな」とか何とかで怒られるのかと思ったけど、何も言わずに出ていっちゃった。殴られるかと思った。何かやたらテストの勘とか当たるし地獄耳っぽいし、もしかしたらさっきの高尾との会話が聞こえていたのではないかと思ったがどうやら助かったようだ。

そしてその翌日、おは朝テレビを見ていると見なれたアナウンサーがこう言った。
「今日の蟹座の方のラッキーアイテムは電車です」
「まじかよ」

さて、緑間真太郎はこの事態を一体どう受けとめるつもりなのだろうか。




「緑間くん。今日のラッキーアイテムは何かな?」
「電車なのだよ」

驚いた。いやむしろ驚きを通り越して呆れた。緑間真太郎という男は常日頃から私の予想と期待の斜め45度上を裸足で通りすぎる強者であったが、ここまで奇想天外なやつだとはさすがに思わなかった。

電車は電車でも君が持っているのはプラモデルの模型なのだよ。
「何であいつ学校にプラモデル持ってきてんの全然意味分かんない」

絶望した。誰かにこのやるせない気持ちを受け止めてほしかった。話し相手も特にいなかったから高尾に緑間のことを報告したら「緑間ってそういうやつじゃん」と返された。緑間といい高尾といい、つまらないやつらである。バスケ以外でも私を楽しませてはくれないのか。あんたらの頭の中はバスケばっかりか。高尾に関してはつまらない+使えないのダブルパンチで頼りにならないことこの上な「誰がダブルパンチだって?」あれ心で呟いてたはずなのにおかしいな、どうやら漏れてしまっていたらしい。私としたことが。
「問題はさ、ラッキーアイテムが電車だって言われてんのにどうしてプラモデルに甘んじようとするのかってことなんだよね」

真剣に呟いた私に高尾が呆れ顔を見せながらやれやれという仕草をした。何となく苛ついたからさっき緑間からこっそり奪ったプラモデルで刺しておいた。プラモデルはプラモデルでも新幹線で刺したもんだからかなり痛そうだが、そこは高尾なので我慢してくれとしか言い様がない。
「あーもう、ほんっと何なのお前!俺にどうしてほしいんだよ!」

そんなことを考えているうちにとうとう高尾が壊れてしまったようだ。

高尾が叫んだせいで周囲からの訝しげな視線が一斉に集まるのを感じる。こういうことになるから叫んだりするのは正直やめてほしい。今のは私が悪かったかもなあ、とはぼんやり思ったがそれと注目を浴びるのを避けたいというのはまた別の問題である。まあ普段から高尾が叫ばなくても緑間のせいで注目浴びまくってるんだけど。
「何を騒いでいるのだよ高尾」

騒ぎを聞きつけたのか、私と高尾の前に噂の緑間真太郎が現れた。それはそれは長い下睫毛に指先に巻いたテーピング、それだけでも充分すぎるほど他人の注目を集めるというのに今日はラッキーアイテムとして電車のプラモデルときた。際どすぎる。見た目からして際どすぎる。これはもう変人、もしくは……変人としか言い様がなくね。
「オレのプラモデルがなくなったと思って来てみたのだが……やはりお前だったか」

どうやら彼は私にこっそり奪われた新幹線の存在に気づき取り返しに来たらしい。意地悪のつもりで自分史上最大級に高いところまでプラモデルを持ち上げてみた。易々と奪われた。奪われたときの緑間の素早さが尋常じゃなくてちょっと引いた。どんだけラッキーアイテムへの執着強いんだあんた。
「で?二人して何を騒いでいたのだよ」
「緑間のラッキーアイテムについてだよ」
「オレの話か」

緑間が人差し指でクイッと眼鏡を上げた。いや話してたのは緑間のラッキーアイテムについてであって、決して緑間単体についてじゃないんだけどね。そういや私から奪われたプラモデルはどこに収納されたのかと思いきや緑間の肩の上に収まっていた。マジでか。そんなところに乗せてペットのつもりか。無表情な顔で冷ややかにこちらを見つめてきてるけど全然クールじゃない。ミスマッチすぎて笑える。あれだよね、何か緑間って日々のラッキーアイテムにいちいち名前つけてそうだよね。
「ちなみに今日緑間は何で学校来たの」
「リアカーだ」
「またリアカーかよ」
「真ちゃんいい加減にたまにはオレと漕ぐの替われよ」
「うるさい高尾、お前が負け続けるのが悪い」
「分かりきってたことだけど真ちゃん酷え!」

何だろう、聞いてて高尾が可哀想になってきた。「でもさあ」と口を挟むと鬱陶しそうな緑間の目がこちらに向けられる。
「やっぱりプラモデルだけじゃなくて本物にも触れるべきだと思うんだよね」
「……何が言いたい」
「折角なんだしラッキーアイテムの電車に乗らないと意味なんじゃないってこと」

我ながらいささか強引すぎるとは思ったけど緑間の後ろから高尾がジェスチャー付きで応援してくるもんだからこのまま押しまくることにした。全ては緑間真太郎は電車に乗れない説の真偽を確かめるためだ。緑間の眼鏡の奥の瞳がひそめられていて、何かを考えているように見える。これはもしかするといけるんじゃないのか。

しばらく黙りこんだ後で緑間がこう言い放った。
「高尾、今日はリアカーではなく電車で帰るのだよ」

緑間を電車に誘導作戦、大成功である。




緑間真太郎がやらかした。この場合はやらかしたというより自爆したというべきなのかもしれない。場所は学校の最寄り駅の切符売り場手前、緑間真太郎は窮地に立たされていた。人ごみの中に紛れこんでも3秒もあれば易々と見つけられる彼の凛と立つ姿を見つめる。
「あれ絶対困ってるよね」
「困ってるな」
「何したらいいのか分からずにきょろきょろしてるね」
「珍しい光景じゃん」
「この状況高尾の目にはどう見える」
「別にどうも」
「私には緑間が切符を買うのに手こずってるように見える」

ついでに行き交う人の波に戸惑っているようにも見えた。

朝の通勤ラッシュ時と同じくらい駅が混雑するこの時間。わざわざその時間に緑間と高尾を引っ張ってきたのは私だ。そしてそれに嫌だ嫌だと言って駄々をこねていたのが高尾。緑間は何も言わなかった。この時間の駅の混雑はさながら地獄絵図だということを知らなかったんだと思う。それはつまり、この時間帯の電車に乗るのを彼は経験したことがないということで。
「分からないのだよ」
「は?」
「切符の買い方が分からないのだよ」
「何だそれ」
「緑間の真似」

ここからじゃ緑間の後ろ姿しか見えないから彼が今どんな顔をしているのかは分からないけれど、想像に難くない。きっと険しい顔をしているんだろう。ひょっとすると料金表を睨みつけているのかも知れない。
「電話かけてみようか」

アドレス帳から緑間の名前を探して高尾が返事するのを聞くことなく通話ボタンを押した。ちなみに緑間には私と高尾は定期を持ってるから切符を買う必要がないので先に改札を通っておく、と言ってある。もちろん定期を持ってるなんてのは真っ赤な嘘で、気づかれないように緑間を観察するための口実なんだけども。あ、電話繋がった。
「……もしもし」
「もしもし緑間ー?」
「何の用だ」
「何の用、ってあんたがなかなか来ないからわざわざ電話かけたんだけど」
「そうか」

我ながら白々しすぎる嘘だと思う。隣でやり取りを聞いている高尾が「よく言うよ面白がってるくせに」とかなんとか言ってるけど無視を決め込んで更に緑間に質問をぶつけた。
「ねえ何してんの?」
「特に何もしていないが」

嘘つけ、何十分そこに立ってたら気がすむんだあんた。いい加減待ちくたびれたんだよこっちは。
「実はさー緑間のこと影から見てたんだよね」
「!」

やばいキョロキョロしてる緑間めっちゃ面白いウケる。私同様見たことない緑間の姿に思いの外ウケたらしく隣りの高尾が大きな声を出して笑う。その声が辺り一面に響いたせいで緑間に見つかってしまった。何してくれてんの高尾、これからがいいとこだったのに。緑間が無表情のまま近づいてくる。
「何をしているのだよ」

しかもめちゃくちゃ怒ってらっしゃる。
「み、緑間観察……的な?」
「…………」
「…………」
「やめて私が悪かった。私が悪かったから沈黙しないで二人とも」
「言っとくけど俺はこいつに付き合わされただけだからな」
「ふざけんな高尾、あんただって面白がってたでしょうが」
「それはお前が俺を巻き込んだからだろーが!」
「うるさいぞ二人とも。どちらにしろ同じことだ」
「すいませんでした」

折角緑間の弱点を見つけられたというのに私たちは弱かった。身長が高いということだけで既に溢れんばかりの威圧感を放っている緑間が今じゃ余計に大きくみえる。めちゃくちゃ怒ってらっしゃる。どうしようこれ、緑間の機嫌次第で明日にでも「お前をボール代わりにリングに投げ込んでやるのだよ」とか言われそうなんだけど怖い。緑間の身長が高すぎてずるずると引きずられるようにして歩いていると、高尾に肩を叩かれた。「じゃーな」ちょ、待って高尾はいストップ「じゃーな」って何。あんた私を緑間に売り飛ばして一人で逃げるつもり。

「真ちゃんと頑張れよ」ええええええ何あいつ、逃げやがったんだけど。信じらんない。頑張れって何を頑張れっていうのさ!あ、そうこうしているうちに目の前に切符売り場が……「定期と言っていたのは嘘だったようだな」と非難するような目を向けてくる緑間を無視して家の最寄り駅までの切符を買った。後ろから覗きこむようにして見てくる緑間の視線がめちゃくちゃ気になる。

切符だ。切符の買いかたが分かんないんだ!
「まずはここにお金入れて」
「……ここか?」
「そうそう」

ここまで他人の言うことを素直に聞く緑間というのも珍しい。普段からもうちょっとこういう素直さを前面に出していけば周りとの関係も少しは変わりそうなのに。バスケ部の先輩って緑間と喋る度に青筋増やしてるんだよどんだけ先輩のこと苛々させてんの。気持ちは分からなくもないけどさ。万年反抗期かっつーの。緑間の手に持たれていたお札が券売機に吸い込まれていく。そしてウィーン、という機械音がしてすぐにそれは彼の手に戻った。
「吐き出されたのだよ」
「吐き出されたのだよ、じゃないよ!何で五千円札入れてんのどこまで行くつもり!?」
「違うのか」
「違うに決まってるでしょ!」

緑間が住んでるところまで行くのには確か300円くらいで十分だったはずだ。5000円ってあんた、帰り道にいくらかける気なんだ。違う県に住んでる人とかにも会いに行けちゃうじゃんか。
「買えたぞ」

何でちょっとどや顔してんの何も誇れないよ。隣りに並んでたお婆さんにくすくす笑われてたのに気づいてないのかこの男は。もしここに高尾がいたら思いっきり笑い飛ばされてるよ、高尾じゃなくたって盛大に笑い飛ばされること請け合いだと思うよ。

ぶつぶつ心の中で文句を言いながら改札を通りすぎる。一瞬緑間が挟まれたりしないだろうかと期待したけどそれは叶わなかった。ほっとしたような残念なような微妙な気持ちを抱いたまま緑間に手を振る。彼は知らないかも知れないが、私が乗るのは彼とは反対側の車線なのだ。
「じゃあね緑間」
「どこに行くのだよ」
「私の家にだよ」
「オレはどこにいけばいいんだ」
「あっち」

反対側の車線を指差すと「オレに一人で電車に乗れとでも?」と緑間が不機嫌そうに言った。ああもうこの発言によって緑間イコール電車に乗れないってのは決定されたね、明日高尾に胸を張って報告できるね本当にありがとうございました。

あ、あれ私が乗らなきゃいけない電車だ。
「じゃあね」
「待て」

今度は何だ、切符でもなくしたのか。そんなん言われても責任取れないよ私は。そう思っていると緑間がこちらに向かって勢いよく歩いてきた。え、ちょ、何してんの緑間が乗る電車はあっちなんじゃ、ていうか危ないよ挟まるってばあんた、

バァン。車内に嫌な沈黙が流れる。しかし彼はそんなことも気にせずにこう言った。
「お前が降りる駅まで送ってやろう」

緑間が電車に挟まれたことに加えてこの台詞にうっかりときめいてしまったことも高尾に報告するべきなのか悩ましい所である。