感光するその手に触れて

「誕生日なのに雨なのも災難だね」と声をかけると、緑間はその豊かな睫毛をぱちぱちと瞬かせて不思議そうな顔をした。
「何でそんな顔してんの、誕生日でしょ今日。緑間の。16歳おめでとう」
「……」
「えっ待って、もしかして今言われるまで気づいてなかった感じ?」
「……わざわざ覚えているものでもないだろう」

鞄から取り出したスケジュール帳をパラパラとめくって7月のページに視線を落とした緑間が「7月7日か」と呟いてから眼鏡を片手で押し上げフンと鼻を鳴らした。照れ隠しにしては随分と偉そうだ。この男、いちいちお高く止まっている素振りをしないと気が済まないのだろうか。せっかくの七夕、せっかくの誕生日だというのにまったくもって可愛げがない。緑間の膝の上で開かれたままになっている7月のページを後ろから覗き込むと練習予定とその日のラッキーアイテムがびっしりと書き込まれていた。どれどれ、今日の緑間のラッキーアイテムは、っと。

7月2週目の行に目を走らせてみると7月7日のコマにはまだ何も書き込まれていなかった。スケジュール帳に元から印刷されていたらしい『七夕』という赤い文字だけが四角のコマの端の方にちょこんと並んでいる。緑間のことだからてっきり朝イチで書き込んでいるものと思ったのに、時間がなかったんだろうか。もしかすると手に入れるのによっぽど手間取るラッキーアイテムを指定されたおかげで手帳を開いている時間すらもなかったのかもしれない。緑間の周りに何か変わったアイテムはないかと自然に見ている風を装って全身をくまなくチェックしてからスケジュール帳に視線を落としたままの緑間に使って声をかける。
「今日のラッキーアイテム何だったの?」
「傘だ」
「実用的じゃん」

ここのところ毎日のようにバケツの水をひっくり返したかのような雨模様が続いている。おかげでロードワークも満足に出来やしないと先輩達が愚痴を言っているのを昨日も聞いた。私としてはわざわざ蒸し暑い外に出なくても済むから雨はそんなに嫌なものでもないのだけど、せめて七夕の――秀徳が誇るエース様の誕生日の今日くらいは、止む気配を見せてくれたっていいものをと思わなくもない。

そうだ。何と言ったって、今日は我らがエース緑間真太郎の誕生日なのだから。
「誕生日のことなんだけどさ」

何となく話を戻してみると緑間は「まだ話すことがあるのか」とでも言いたげな視線をこちらへと寄越してきた。そんな顔しなくてもいいじゃん、どうせ外がどしゃ降りのうちは部室から出れないんだし。
「高尾に何か言われなかったの? 真っ先に真ちゃん16歳おめでとって言ってきそうじゃんアイツ」
「今日はまだ会っていないのだよ」
「そういや珍しくチャリアカーで来てなかったもんね」
「高尾が別件があると言うのでな。おかげで朝から雨に濡れる羽目になったのだよ」

この雨じゃチャリアカーだったとしても部室来るまでにびしょ濡れになると思うけどな、と思ったことは言葉にしないでおいた。キセキの世代として入学前から有名人だった緑間は、ところ構わずラッキーアイテムを持ち込んだり高尾ばかりにチャリアカーを引かせたり先輩だろうと一切物怖じしない傲岸不遜な態度を取ったりと、バスケの腕はともかくチームメイトとしてはお世辞にも付き合いやすいとは言えない人間だった。しかしそこはキセキの世代ナンバーワンシューター、なんと緑間は監督直々に一日三回までのワガママなら許されている。おかげでテスト期間の今でも特別に体育館で練習をすることを許可されているというわけだ。ただでさえ天才的なセンスと肉体を持ち合わせている男だというのに、人一倍の努力までされたらこちらとしてはたまったもんじゃない。そうして努力する天才である緑間と関わるうちに絆された人間が一人また一人と増えていった結果、親しみを込めて今では「エース様」なんて呼ばれる始末となっている。

そして、今の部室にはそのエース様と私の二人きりだ。高尾はどうもこのままだと一部の科目の成績が危ういらしく先生に呼び出されているらしい。朝練で張り切りすぎて授業中に寝てるからそうなるんだよ、と思ったのはここだけの秘密にしておきたい。それにしても、「悪いけどオレ今日練習行けそうにねーから真ちゃんのこと見てきてくんね?」とメールを寄越してきた高尾は些か過保護すぎるのではないだろうか。高尾曰く「誕生日に一人っつーのも可哀想じゃね?」だそうだけど、案の定本人は気にも留めてなかったみたいだし。祝ってほしいなんて柄なようにも思えない。そもそも私が言うまで気づいてなかったというのも、家で家族の人から何か言われたりしなかったんだろうか。高校生になると男子ってそんなものなのかな。

机の上に広げられたスケジュール帳に再び視線を戻す。ちょうど緑間が角ばった字で『傘』と書き込んでいるところだった。公式では部活はテスト期間で休みだから、部活の予定は書き込まないらしい。『傘』と『七夕』が並んだきり、それ以外は相変わらずぽっかりとスペースが空いてしまっている。その空白を見ているとふと一つの考えが浮かんできてボールペンを筆箱にしまおうとしていた緑間に「ペン貸して」と言うと怪訝そうな瞳と目が合った。
「そんな嫌そうな顔しなくても落書きとかしないよ」
「信用ならないのだよ」
「高尾じゃないんだから」

お調子者のやりそうなことだろう、と眦を釣り上げながらも渋々といった様子でこちらの近くへ置かれたペンを握って少し前へと身を乗り出す。どうやら緑間の中では私と高尾は同じカテゴリーで括られているらしい。心外だなあ。高尾と違って私はお調子者じゃないし、こんな風に男子と気安く喋るのも実は緑間ぐらいなものだったりするんだけど。

借りたペンの頭をノックしてカチカチと音を立てながら書き込む位置の大体のアタリをつけていく。空いているとはいってもそこまで広いスペースでもないし、なるべく短く書いた方がいいだろう。意を決してペンを走らせると、スケジュール帳には三つ目の文字が並んだ。『緑間の誕生日』だ。

よし、我ながら結構綺麗な字で書けた。満足してスケジュール帳を返すと「何なのだよこれは」きっちりと整えられた眉を思いっきり顰めている緑間の顔が目に入った。
「せっかくだから誕生日って書いといた」
「余計なことをするな」
「いいじゃん嘘書いてるんじゃないんだし」
「自分の誕生日を手帳に書くやつがどこにいるのだよ」
「ここ」

わざと緑間に向かって指を差してやるとぐっと唇を噛んで押し黙ってしまった姿を見て、くつくつと笑いが込み上げてきた。これじゃまるで高尾と同じだ。さっきは心外だと思ったけど、案外本当に私って高尾と似たもの同士なのかもしれない。緑間のこういう顔を見るのが好きなところとか、変人だと最初は思ってた緑間のからかい甲斐のあるところが意外と気に入ってるのとか。
「私さぁ、高尾の誕生日知らないんだよね」
「話を逸らすな」
「緑間高尾の誕生日いつか知ってる?」
「11月21日だろう」
「そうだっけ。緑間のしかちゃんと覚えてないからなあ」

秀徳バスケ部の選手層は厚い。入部した当初は先輩たちや同期たちの誕生日が来るたびにささやかながらもお祝いしようとしたこともあったけれど、毎月毎月訪れる誰かの誕生日に『これはキリがない』と気がついて個別でお祝いすることは早々に諦めた。何かするとしてもせいぜい「おめでとう」と声をかけることぐらいだ。それだって別に、わざわざ会いに行ったりとかメールしたりはしない。声がかけられそうなタイミングがあるときだけ。だから、こうやってテスト期間なのにわざわざ体育館まで顔見に来て祝いの言葉をかけてあげるのとか、実は鞄の奥にプレゼントを潜ませているのとか、全部全部他でもない緑間だけのためなんだけど、果たしてこの我らのエース様がそれに気付くのはいつになるのだろう。
「ね、何で緑間の誕生日だけ覚えてられると思う?」
「七夕だからだろう」
「それだけじゃないんだけどなあ」

私の遠回しな物言いが気に障ったのか、向かいに座る緑間がさらに眉間のシワを深くしているのが見えた。いい気味だ。いつもワガママで振り回されている分、たまにはやり返したってバチは当たらないだろう。緑間がスケジュール帳を鞄にしまって帰る素振りを見せたのを受けて窓の方へと視線を移す。叩きつけるように降っていた雨はいつのまにか随分と弱まっていた。渡すなら今がラストチャンスだ。椅子の背にかけていたジャケットを羽織ってから、鞄の中に隠しておいた包みを取り出して緑間の前にずいと差し出してやる。
「何なのだよ」
「誕生日プレゼントだよ。まさかラッキーアイテムと被るとは思わなかったけどねぇ」
「……傘か」
「なるべく邪魔にならないように折り畳みにしたんだけど。よく考えたら緑間でかいから肩入りきらないかも」
「余計な気を使わなくていい。……バカめ」

バカとはなんだ、今日のラッキーアイテムが傘って聞いたときの私の落胆ぶりも知らないで。ありがとうの一言だけでもあればまだ可愛いと思えるのに、可愛さのカケラもないこんな男のどこがいいんだか。そんなの私が聞きたいくらいだ。

だけど、わざわざ部室を出るときに持ってきた傘は置いて折り畳みの方を使ってくれたりだとか、やっぱり傘の幅が足りなくて右肩がめちゃくちゃ濡れる羽目になってるのとか、雨に濡れるのにうんざりしたのか「明日は高尾にリアカーを引かせるのだよ」って聞いてもないのに宣言してきたりとか、そういうところはちょっとだけ、可愛いなって思ったりもするよ。

0707 HAPPY BIRTHDAY Shintaro Midorima

Titled by 草臥れた愛で良ければ