ファースト・キッスはきっと甘い

好きな人の誕生日。それだけで何の変哲もない日が桃色のリボンでぐるぐるに巻かれた一日に変わるんだから、恋する女の子って不思議だ。皆は紫原くんの誕生日に手作りのお菓子をあげるんだーって言ってたけれど、わたしは塾が忙しくて準備できなかった。おかげで気分は少し落ち込んでしまっている。バレンタインデーでもないのに甘い匂いが立ちこめる教室に入ってきたとき、紫原くんはわたしじゃないたくさんの女の子に囲まれて「ありがとう」って笑うんだろうか。それは、なんだかすこし嫌だなあ、って思うんだよ。やっぱり我がままなのかなあ。


今日はやけにお菓子を貰える日だなあと思っていたらクラスの子たちに言われて気がついた。今日ってオレの誕生日なんだったっけ。誕生日。オレにとっては特別でもなんでもない10月9日は、女の子たちにとっては特別な日らしかった。よく分かんねーけど。お菓子もらえれば後はどうだっていいし。誕生日だからってバスケの練習が楽しくなる訳でもないし。室ちんたちがおめでとうって言いながらお菓子くれたけど別に今日じゃなくたってくれるし、特別な訳じゃない。なのに何で皆馬鹿みたいにおめでとうって言ってくるのかな。悪い気はしてないけど。純粋に疑問に思ってるだけー。


紫原くんの誕生日とあって教室は甘い匂いでいっぱいだった。ここにいるだけでお腹がすいてきてしまいそうなくらい、女の子たちが持っているお菓子は甘い。机の横にかけて紙バッグがかさりと音を立てた。中身はもちろん紫原くんにあげる予定のお菓子だ。だけど、ねえ、紫原くんあんなにお菓子貰って食べきれるのかな。はりきってお菓子買い込んじゃったよ。お金があんまりなくて安いやつしか買えなかったけど、駄菓子ばかり買ってしまったせいでかばんの中で嵩張って仕方がない。どうしよう。たくさんのケーキとシュークリームと女の子に囲まれてる紫原くんにこの駄菓子たちを渡すタイミングが、見つからない。見つかる気がしないと言った方が正しいのかも。


シュークリームにエクレア、マカロンにチョコレート。たくさんのフルーツとクリームで彩られたケーキにはそれぞれロウソクが差してあった。ケーキの種類を数えはじめたらきりがない。ロールケーキに苺ショート、チョコレートにチーズケーキ、モンブランにフルーツタルト。女の子たちは嬉しそうにオレがお菓子を食べるのを見てる。本当に見てるだけ。オレってそんなに甘いもの好きそうに見える?実際好きだから食べるんだけどさ、あんまり食べすぎるとまさ子ちんに怒られんだよね。太ると動きが悪くなるから、とか言って。動きが悪くなろうが良くなろうがどっちだっていいけどまさ子ちんに怒られるのはあんまり好きじゃない。竹刀って痛そうだし。オレ別にマゾじゃねーし。甘いものばっかり食べすぎてしょっぱいの欲しくなってきた。あー。まいう棒食べたい。


浮かれすぎた。コンビニを何軒も回ってまいう棒を全種類コンプリートしたのはいいけれど渡すタイミングを完全に見失ってしまった。机の上でかったるそうにしている紫原くんをちらりと盗み見る。今日は紫原君の誕生日なのに、特別な日のはずなのに、主役の紫原くんはいまいち楽しそうじゃない。あんまり嬉しくなかったのかな。だとしたら。どうしたら、紫原くんに喜んでもらえるんだろう。わたしは頭をひねった。


お菓子くれるのは女の子だけじゃなくて男も同じだったみたいだ。さっきから廊下ですれ違っただけの人とか全然話したことないクラスのやつとかまで「誕生日おめでとう」とか言いながらオレにお菓子を渡してくる状況が続いている。何なのこれ本当に意味わかんない。オレにお菓子あげるのが流行ってんの?とりあえず貰ったものを確認するとまいう棒だった。これはあれだ。コンビニ限定のやつ。しかも貰ったまいう棒にはかわいらしくリボンが巻かれていて、こんなことをあの名前も知らない見知らぬ男がオレに渡すためにわざわざやってくれたのかと思うと不思議でたまらなかった。オレあの人に何かしてあげたっけ。分からなくって頭をひねる。ひねっても何も出てこなかった。……変なの。


む、紫原くんを廊下で見かけたけれど声かけられなかった…!自分の意気地のなさにため息が出る。机の横にかけたままの袋から覗くまいう棒がかさりと音を立てた。さっきと違うのは、そのまいう棒たちに紫のリボンが巻かれていること。休み時間にいそいそ作っておいたのだ。紫原くんに喜んでもらうために。だけど勇気が出なくて、おめでとうの言葉すらまだ言えちゃいない。誕生日おめでとうって、実はずっと前から好きだったのって、言いたいなあ。紫原くんの周りにいる女の子はみんな可愛らしいケーキみたいに、綺麗に咲いたお花みたいに、きらきらして見える。いいなあ。わたしもあんな風に紫原くんとお話してみたいや。


クラスの女の子が紫のリボンを巻いたまいう棒を配っている現場を目撃してしまった。名前は確か、ちんっていう子。仲良くも仲悪くもないと思う、普通の女の子。向こうはオレに気づいてないみたいだったけど、オレには話してる内容まで聞こえてきてしまった。オレ目立つんだし普通気づくでしょ。だけどちんは気づかない。しばらくするとその女の子から貰ったまいう棒がオレのところに届けられた。やっぱり。持ってきたのはあのときちんと一緒にいた女の子で、オレはあんまり知らない子だったけど、貰ったものはちゃんと食べたいから「ありがとう」って今日はやけにお菓子を貰える日だなあと思っていたらクラスの子たちに言われて気がついた。今日ってオレの誕生日なんだったっけ。誕生日。オレにとっては特別でもなんでもない10月9日は、女の子たちにとっては特別な日らしかった。よく分かんねーけど。お菓子もらえれば後はどうだっていいし。誕生日だからってバスケの練習が楽しくなる訳でもないし。室ちんたちがおめでとうって言いながらお菓子くれたけど別言っといた。あの子は何でこんな面倒くさくて回りくどいことをするんだろうと思って教室の後ろのほうに座ってるちんの方に顔を向けたけれど、視線がぶつかることはなかった。……やっぱり変なのー。


自分で渡すにもどうにも渡せなくて、いよいよ困ってしまった。どうしよう。どうしようもない。切羽つまったわたしはとりあえずまいう棒だけでも紫原くんに届けたいと思って、クラスの女の子と男の子たちにまいう棒を紫原くんに渡してほしいとお願いしてみた。「自分で渡したほうが紫原くんも喜ぶよ」って言われたけど、きっと、本人目の前にしたら渡すどころじゃなくなっちゃうよ。


結局授業が終わって、掃除の時間が終わるまでオレにまいう棒を渡しにくる人は後をたたなかった。ちん、まいう棒どんだけ買ったんだろう。ちょうどケーキとエクレアとその他の甘いものを食べ続けたおかげで少ししょっぱいものが食べたかったオレはぺろりと食べてしまったんだけど、コンビニでしか売ってないやつとかも混ざってて貰ったとき嬉しく思ったり。でも肝心のちんはこんな変なことしてる犯人のくせに全然オレに話しかけてこなくて、本当に何がしたいんだろうって不思議に思ったりもした。


結局全部のまいう棒を配るのに放課後までかかってしまった。紫原くんは、もうすぐ部活に行ってしまう。おめでとうの言葉は、まだ言えてない。せっかくのすきな人の誕生日なのに。いつもゆっくり部活の準備をする紫原くんの陰にこっそり隠れて、わたしももたもた準備をした。その間に仲良しの友達はどんどん先に帰っちゃって、残ったのは男子数人とわたしと紫原くんだけ。皆忙しいんだなあ。このまま帰りたくないや。


急かされるのってあんまり好きじゃない。でもあんまり遅くなるとバスケ部にうるさく言われんだよねー面倒くせー。準備が終わってさあ部活に行かないと、と思ったところでちんを発見した。いつもなら気にも留めないけど、今日は何となく話しかけてみようって気になった。……本当に、早く行かないとオレ怒られんのに。
ちん、帰んないのー?」
「か、かえっ……、帰るよ」
「いつもよりゆっくりしてんね」
「うん、まあ……ね」

机に座ったままでいると大きな影が近づいてきて、それが紫原くんだって気づいたときには話しかけられていた。平常心を心がけようとしても声が上擦ってしまって恥ずかしい。うわあ。
「あの、紫原、くん」
「なにー?」
「えーと、その……わたし、紫原くんに言いたいことがあって……」
「うん」
「あのね、本当はもっと早くに言いたかったんだけどなかなか言えなくて、その……誕生日おめでとう」

ああ、この子もだ。今日オレに話しかけてくるやつは皆こうやって言葉の最後におめでとうを挟み込んでくる。まるで流行りの言葉みたいに、紫原くん誕生日おめでとうって言ってくるんだ。
「あのさ、皆どうしてそんなにオレの誕生日祝ってくれんの?」
「み、みんな紫原くんが好きだからだよ」
ちんも?」

しばらくわたしの顔をじっと見つめていた紫原くんは、心底不思議そうな顔をしながら問いを投げかけた。紫原くんは、たまにこうやって、何にも知らないこどもみたいな顔をして答えにくい質問をしてくるから、どうしていいか分からなくて困ってしまう。はっきり返事をするのは恥ずかしくて、ひとまず頷いておいた。嘘は言ってない。わたしは、紫原くんのこと、本当に本当にすきなんだよ。

「じゃあ、あのケーキくれた女の子たちも、まいう棒くれた男たちもオレのこと好きってことー?オレ、別に男に好かれても嬉しくないんだけど」
「あ、多分男の子たちがまいう棒あげたのはね、そんなんじゃなくて、」
ちんが頼んだからでしょ?」
「へっ、あ、……うん」

ちんが言う前にずばり言い当ててやると何で知ってるのって顔をしながらちんが頷いた。変な顔ー。この子は、もしかしたら本当にオレのこと好きなのかもしれない。何となくだけど。顔真っ赤だし。リンゴみたい。
ちんはさー、たとえばオレのどんなとこが好きなの?」
「えっ」
「皆オレのこと好きだから誕生日祝ってくれるんだよってさっき言ったじゃん。じゃあさ、ちんはオレのどんなとこが好きだから祝ってくれたの?」
「どんなとこ、って言われても……急には出てこないけど、……わたしは、紫原くんのこと、あの、本当にすきで、それで、」

言うなら今しかない。自分よりもうんと背の高い紫原くんの顔を見上げて、口を開いた。
「独占したいな、って思っちゃったの」

そう言ってリンゴみたいな頬っぺたで笑うちんがかわいくて、おいしそうで、思わず抱きしめてしまった。

20121009 Happy Birthday for Atsushi