チェリーピンクと揺れて

死体が転がってると思ったらまだ生きてる人間だった。暖を取るのにちょうどいいと思って火をつけたら燃え出した途端に「ギャア!」と騒いで死体がゴロゴロ地面を転がりだしたものだから、新手の魔法かと思ってしばらく眺めていると転がる勢いでせっかくつけた火が鎮火してしまった。あーあ、もう少しだったのに。辺りをきょろきょろと見回して「何!?火事!?どこ!?」と混乱した様子の彼女へと一歩ずつ足を進める。
「こんなところで何してるの?」
「木の実を取っていたら、急に空から稲妻が落ちてきて……衝撃で吹っ飛ばされて気がついたらここに。出口が分からなくて彷徨っていたら寒いわお腹が空いたわでいつの間にか気絶していたみたいで……」

助けてくださりありがとうございました、と深々と頭を下げられ瞬きをする。人間を助ける?僕が?……どこまでおめでたい頭をしてるんだろう。暖を取るための種火にされるところだったことに気づいていないらしい目の前の人間をじっと見つめる。見たところ、騎士様と同じくらいの年だろうか。さっきこの子が言っていた空から降ってきた稲妻というのは、多分オズの稲妻だ。何度も何度も殺されてきたんだから間違うはずがない。オズの稲妻に吹き飛ばされて死なずに北の国まで来るなんて、この人間も、運がいいんだか悪いんだか。
「オズの稲妻に当たったら痛いよ」
「やっぱりそうなんですか?」
「うん。手足と身体がバラバラになって、内臓もぐちゃぐちゃで、人間なら目玉も飛び出すかもね」
「当たらなくて良かった……」

ほっとした表情を浮かべた彼女は吐く息が白いことに気付いて不安そうな顔に変わった後、きょろきょろと辺りを見回した。
「ここってどこなんでしょう?気候的に南の国ではなさそうですし、中央の国にしては寒い、というか寒すぎるような……」
「あはは。きみ、分からないで歩いてたの?ここは北の国だよ」

そう、その顔。そうやって絶望に打ちひしがれた人間の顔を見るのが僕は大好きなんだ。
「いいこと教えてあげる。北の国はね、人間が住むようには出来てないんだ。寒すぎてすぐに心臓まで凍ってしまうから」
「ええっ!?」
「今は僕がそうならないように魔法をかけてるから平気だけど、解いたらどうなると思う?」
「し、死んでしまいますね……」
「うん、そうだよ。どうせ死ぬなら一思いにここで殺してあげようか」

僕は北の魔法使いだから、殺すのは大の得意なんだ。そう言葉を結んで足元に置いていたトランクを拾い上げて地面に座り込んでいる彼女にも見えるようにゆっくりとかざしてやると、みるみるうちにさっきまで能天気な表情を浮かべていた顔が青ざめていく。
「ねえ、どうやって殺してほしい?」
「……あ、あの、私は、」
「さっきも言ったけど、ここは北の国だからね。放っておいてもそのうち死ぬだろうけど、特別に選ばせてあげる」

せめて死に方ぐらいは選ばせてあげようというのに目の前の人間は口をぱくぱくと動かすばかりで一向に言葉を発そうとしない。恐ろしすぎて言葉も出ない、といったところだろうか。この調子じゃここで死ななくてもそのうち他の魔法使いに殺されてしまうだろう。人間なんて殺したところでマナ石も生み出さないし暇つぶしにしかならないだろうけど、人間たちがこうして命乞いをしているときの、死ぬ間際の怯えきった顔を見るのは僕が好きなことのうちの一つだった。さて、どうしてあげようか。夢の森に連れていって毒でじわじわと死んでいくのを眺めるのもいいし、氷の森に放置してたっぷり凍えさせるのだって捨てがたいし、今度こそオズの稲妻に打たせてあげてもいいかもしれない。そうだ、オズの稲妻にしよう。
「何か言い残すことがあるなら聞いてあげるよ。遺言っていうんだっけ?3秒だけしか待ってあげないけど。3、2、1、クアーレ・モリーー」
「ま、待ってください!」
「……なに?」

魔法使いの呪文を遮るなんて命知らずな人間もいたものだ。……ああ、魔法が使えないからこんなに弱くて愚かなんだったっけ。
「あの、私採ってきた木の実をすぐに店に届けないといけなくて……!すぐ戻るって言ったのになかなか戻らなくてお店の人も心配してるでしょうし、その、今日のところは見逃して頂けないでしょうか……?」
「は?」

何それ。命乞いのつもり?「見逃してあげたら代償に何をくれるの?」どうせ何も持ってないだろうことは容易に予想がつきながらも聞いてやると、持っていた鞄の中身をひっくり返すようにして何かを探していた彼女が、鞄の中から取り出した鮮やかな色の木の実を手のひらに乗せてこちらへと差し出した。
「この木の実、今の時期しか採れないものなんです。来週から出す新作のケーキに使う予定で」
「……ケーキ?」
「は、はい。私中央の国のお菓子屋さんで働いてて、この木の実を使ったうちの店のケーキが大好きなんです。なので是非お客様たちにも食べてほしくて……良かったら貴方も食べますか?」
「いらない」
「甘くて美味しいですよ」
「…………」

いらないって言ってるのに、目の前の人間は僕の手を握ると無理やり木の実を一つ手のひらへとねじ込んでくる。……全く、どうやったらさっきまで自分を殺そうとしてた相手に持っていた木の実を分け与えようって発想になるのか分からない。本物の馬鹿なんだろうか。

無理やり握らされた手のひらの中の木の実をじっと見つめる。僕がそれを食べるのを今か今かと待っている視線が嫌でも突き刺さってくる。……ああ、気持ち悪い。これじゃあ殺すに殺せない。観念して口の中に木の実を放り込むと、甘酸っぱくて、それでいて濃厚な、食べたことのない風味が口の中いっぱいに広がった。
「どうですか?美味しいでしょう?」
「……不味い」
「ええっ」

「北の国の方のお口には合わないんでしょうか……」と肩を落とし落胆の表情を浮かべた顔をじっと見つめる。これまでに食べた何よりも甘くて舌の上でとろけるような、こんなものとても食べていられない。よくお菓子に使おうなんて思ったものだ。こんなので僕に見逃してもらえるとでも思ったんだろうか。そうだとしたら本当に、人間っていうのは馬鹿で愚かで救えないな。生きてても可哀想だから殺してあげよう。……せっかくだからその木の実ぐらいは貰ってあげてもいいけど。

地面に置いていたトランクを持ち直して彼女に近づくと、大袈裟なくらいに跳ねた肩と手のひらから木の実がばらばらと散らばっていった。青ざめる顔と目線が合う。あーあ、そんな怯えたような顔して。それ店に持って帰るんじゃなかったの?まあ、今ここで死ぬんだしどうせ店には持って帰れないだろうけど。あと一歩で彼女の肩に手が触れようかというところで、辺り一面が眩しい光に包まれた。

光っているのは僕の体だった。訳が分からない。そんな魔法はかけた覚えもかけられた覚えもないし、魔法使いの体が突然光り出すなんて聞いたこともない。こんなこと今まで一度もなかった。まさかここに他の魔法使いがいるとか?辺りをきょろきょろと見回してみても、しんとした森には僕とこの人間しかいなかった。……だとしたら、彼女が魔法を?いやでも、そんなはずはない。地面にへたり込んで呆然とこちらを見上げている目の前の彼女はどこからどう見ても普通の人間だった。「ねえ」これ、どういうことか分かる?そう訊ねようと思ったのに、びくりと肩を震わせた彼女は慌てて散らばっていた木の実をかき集めると立ち上がって一目散にこちらとは反対方向へ駆けて行ってしまった。
「……最悪」

あともう少しのところだったのに。




叙任式の日は空がうんざりするくらいに青々としていて目に痛かった。誰かと服装を揃えるなんてことをしたのは生まれて初めてだ。賢者様とその魔法使いたちは僕と似たような服を着て、眼下に群がる人間たちにニコニコと愛想を振りまいている。
「魔法使い様!」

群がる人混みのどこからか、聞いたことのあるような声が聞こえた。……この、能天気で何も考えていなさそうな声の主を僕は知っている。だけど応えてあげる義理はない。無視を決め込んでいると、機嫌の良さそうなスノウが近寄ってくるなり肩を叩いて眼下のあの人間とこちらを交互に見比べながら楽しそうに口の端を歪めた。
「ほほ、オーエン。あの子はおぬしに向かって手を振っておるようじゃぞ。知り合いか?」
「……さあ。あんな人間知らない」
「じゃがあの子はおぬしのことを知っとるようじゃぞ。ほれ、『そこの左右の目の色が違う人!そう!そこの銀髪が綺麗な貴方!ちょっと話があるんですが!』……なんて言ってこちらに向かって手を振っておる。おぬしのことじゃろう?」
「知らないって言ってるだろ」

あんな人間知らないし、知っていたとしても僕にはあの人間と話すことなんてない。そう言っているのにぐいぐいと背中を押してくるスノウに苛立っていると、そのままバルコニーから押し出された。……ちょっと、馬鹿じゃないの?後でぐちゃぐちゃにしてやる。無理やり下ろされた地面からスノウとその側に寄ってきたらしいホワイトを睨みつけていると、服の袖を誰かに掴まれた。
「魔法使い様!ああ良かった、やっと見つけた……!」

振り返った僕の目に映ったのは、やっぱりあのとき森で殺し損ねたあの人間だった。……あの森で僕から離れても生きてたなんて、この人間もどこまでしぶといんだろう。死んだことに気づかずに彷徨っている魂だけの人間だったらまだ面白味もあるのに、僕の服を掴んで離さない彼女の目にはいきいきとした光が宿っていた。
「……死んだんじゃなかったんだ。北の国から人間が生きて帰ってこれるとは思えないけど」
「あの後森で倒れそうになっていたところを別の親切な魔法使いの方に助けて頂きまして……!あの、助けてくださったのに最後逃げるような形になってしまったのが今までずっと気がかりで、今回賢者様の魔法使いに貴方がいるのを知ってどうしても一言お礼が言いたかったんです」

馬鹿じゃないの?いや、馬鹿だ。馬鹿に決まってる。僕は最初から最後までずっとおまえを殺そうとしてたんだけど。「あのときはありがとうございました」と深々と頭を下げる目の前の人間に、どういう顔をしたらいいのか分からなくなる。これだから能天気な人間は嫌いなんだ。馬鹿みたいに明るくて、素直で、疑うことを知らない。こちらの嘘にすぐ騙されて不安になってくれるような、悪意や欲望だらけの人間なら好きなのに。「帰って」と短く口にすると、彼女は「すみません、叙任式の最中でしたよね……!あの、良かったらこれ、賢者様と魔法使いの皆様で食べてください」と言いながら白い箱を取り出した。無理やり腕に押し付けられた箱を見ながら「毒でも入ってるの?」と訊ねると、ぶんぶんと首を横に振った彼女が「うちの店のケーキです。あのときの木の実がまた採れる季節になったので、どうしても貴方と賢者様に食べてもらいたくって」……不味いってあのとき言ってあげたのに、よくもまあ、こうして人に押しつけられたものだ。本当、人間のくせにいい神経してる。
「こんな不味いもの賢者様は食べないよ」
「ええっそんな……今年の木の実は特に甘くて美味しいのに」
「ふーん。残念だったね」

あの木の実、甘くて酸っぱくて味が濃くて食べられないくらい不味いけど、捨てられたら可哀想だしネロが怒りそうだから、このケーキは賢者様じゃなくて僕が食べてあげるよ。そう言うとパッと顔を輝かせた彼女に向かって「……別におまえのためじゃないから」と声をかける。でもこの人間には僕の嫌味が通じなかったらしい。「ありがとうございます!」と一際大きく声を張り上げた後「あの、私このお城の近くのケーキ屋で働いてるんですけど……」と自己紹介を始めた彼女を無視して箱の中身を確認した。小さく切られた色とりどりのケーキが行儀良く箱の中に収まっている。その中の一つ、あの木の実が散りばめられたケーキを手に取って口元へと運ぶと彼女はもう千切れるんじゃないかとばかりに顔を左右に歪ませて嬉しそうに笑った。……そんな顔したって美味しいとは言ってあげないし、ケーキはやっぱり甘ったるくて胸焼けがするようで不味いし、きっともう会わないだろうからそんな風に自己紹介したって無駄だよ。ああでも、賢者様や他の魔法使いが知らずにこんなもの食べさせられるのは可哀想だから、ケーキ屋の名前くらいなら覚えといてあげる。

20201026 まほやく面白いです
titled by OTOGIUNION