にせものらしく笑ってみせて

※ぬるいですが死ネタなので注意


「サソリの旦那」

その女の声はいつだってもう随分前に形だけのものになったはずの心臓をざわつかせた。弱々しく名前を呟いた声が抗争の喧騒の中でぽとりと落ちる。それきり何も言わなくなった女に近寄っていくと、そいつは戦場のど真ん中だというのに地面に横たわっていた。
「おい起きろ」

横たわっている女の脛あたりを蹴飛ばしてやると呻き声だけが返ってくる。ひとしきり呻いた後もまだ女は立ち上がらない。何だコイツ、置いていかれたいのか?
「起きれないんでアジトまで運んでください」
「甘えんじゃねえ」
「サソリの旦那」
「なんだよ」
「私もうダメみたいなんですよ。さっき不意打ちで腹やられたの見てました? それ割と致命傷だったみたいで」

その言葉に女の腹に目をやるとドクドクと流れ出した血で辺り一面が真っ赤に染まり出しているのが見え、生臭い鉄の匂いが鼻についた。生身の人間は身体に傷がついたら血が出る。長らく傀儡ばかりを触っていたせいかそんなことも忘れていたが、ああそうか、こいつも生身の人間だったな。
「あの、お願いがあるんですけど」
「聞きたくねえ。どうせろくなことじゃねーだろ」

そもそも女の願い事なんて聞き入れる柄じゃねえ。さっさと行くぞ、ともう一度蹴飛ばしてやると女は今度は呻きもしなかった。荒い呼吸を繰り返しながら「ねえサソリの旦那」と息も絶え絶えに血だまりの中から呼びかけてくる。正直なところ、この女のこうした声は聞くに耐えない。
「私もう助からないっぽいんでせめて傀儡として使ってくれません?」
「誰がテメーみてえなポンコツ使うかよ」
「まあまあそんなこと言わずに。私と旦那の仲じゃないですか」

どんな仲だ、戦場でもそうでなくともテメーは一から十まで俺の邪魔してただけだろうが。舌打ちをしても尚のこと足にまとわりついてこようとする女を引き剥がして地面に転がすと「何するんですか」と文句を言っている女の声が聞こえた。そこでふと考えが頭を過ぎる。こいつの声はこんなにも弱々しかっただろうか。
「せめて死ぬときぐらい旦那の役に立たせてくださいよ」
「……テメー使うぐらいならその辺の忍を傀儡にした方がよっぽどマシだ」

だからさっさと起きろ、ともう一度蹴飛ばしてやろうと近寄ると女はもう目を開けてはいなかった。蹴飛ばすのをやめて無様にも血だまりの中に投げ出された手を取ってやると体温が感じられないことに気が付いて、目を閉じている女の顔をじっと見つめる。冷たくなっているのがオレなのか、それとも女の方なのかは分からない。腕を引っ張り背中に載せると思っていたよりも随分と軽いものだから内心少し驚いた。
「重い」

いくら悪態をつこうとも揺すってやろうとも女はうんともすんとも答えない。何もかもが遅かった。生身の身体と感情なんてとうに捨てたはずだった。望んでなった身体だったはずだ。不老不死の身体を手に入れたんだ、今更もう誰にもどうにも出来やしない。ただ、こんな身体になってからじゃ、お前の体温も感じられないようなオレじゃ、何もかも遅かった。血だまりの中ただ地面を踏みしめるしかない今のオレに言えることがあるとするのならただそれだけだ。