メレンゲの岬より愛を込めて


「出雲ちゃん!今日もかいらしいなあ!ってわけで今日こそ俺にメアドを」
「教えないわよ」
「あ、杜山さん!おはよお!いやー、今日もかいらしいわあ!」
「お、おはよう志摩くん、朝から元気だね……!」

髪がピンクなら頭の中も真ピンクでお花畑な志摩の野郎は今日もへらへらしながら教室に入ってきた。鼓膜をチクチクと刺激するようなその声に、机に突っ伏していた顔を上げて派手な後ろ頭を睨む。
「志摩、お前めっちゃ睨まれとるぞ」
「うわ、怖~。俺はともかく、坊にそんな怖い顔見せんといてくれます?」
「知らん」

出雲ちゃんと話すときとは180度違う不機嫌そうな顔をしたまま志摩が言う。「志摩さん女の子にそんなこと言うたらあかんよ」なんて言う子猫丸くんの声に涙が出そうになった。子猫丸くん良い人すぎる。それに比べて志摩はどうだ。坊にそんな怖い顔見せんといてくれます?って、何なのあんた。別に見せてねーよ。しえみちゃんと出雲ちゃんに話しかけてたときのさっきまでのでれでれした顔はどうしたよ。
「ちょっとは杜山さんとか出雲ちゃん見習ったらどうなんやろねえ」
「ちょ、ちょっと志摩さん聞こえますよさんに!」

はいはい聞こえてますばっちり聞こえてます。出雲ちゃんもしえみちゃんも可愛いもんね。見習ってあんな風になれるならとっくに見習ってるっつーの。
「何で志摩にああいう態度とられなきゃなんないのかさっぱり分かんない」
「はあ?」
「女の子は可愛いから皆すきやで~優しくすんで~って言ってたじゃん」
「そらお前が女の子らしくないし可愛くないからやろ。言わんでも分かれや」
「勝呂までそういうこと言う!」

ダァン!と机に私の掌が叩きつけられたのと、丁度いいタイミングで教室に入ってきた奥村先生に「どうしたんですかさん」と言って微笑まれたのはほとんど同時だった。「あ、いや、…何でもないです」ぼそぼそと呟いて教科書を取りだすとそうですか、なんて言いながら穏やかな笑みを浮かべる奥村先生。同い年なのに大人だなあ、って思う。脳内年中お花畑な志摩とは本当に大違いだ。
「ほんま野蛮な女って恐ろしいてかなわんわあ」

ちらりと視線を横にやると馬鹿にしたような顔をする志摩と目が合った。うっさいだまれ煩悩ばっかりでろくに詠唱も覚えてないエロ坊主のくせに。少しは奥村先生を見習え。奥村先生が黒板に何か書くために背中を向けたときを見計らって丸めたプリントを志摩に投げてやった。避けられたのが勝呂に当たって「真面目に授業受けろや!」なんて怒られたけど、この件に関しては私は悪くないと思う。子猫丸くんいつも勝呂の般若のような怒りから庇ってもらってごめんね。




指先を使う繊細な作業が苦手で授業で初歩的なミスをしてしまった。案の定志摩には笑われて、あろうことか奥村兄の方にも少し心配された。屈辱的だ。自分のこういう注意が足りないところとかが本当に嫌い。火傷した指先を冷やしていると出雲ちゃんにハンカチを手渡されて、しえみちゃんは絆創膏を貼ってくれた。私には無理だ。こういう女の子らしいことなんて到底出来っこない。そのまま絆創膏をしばらくじっと見つめていると奥村先生に「一応手当をしておきたいのでちょっと残っておいてくださいね」と言われコクン、と頷いた。

ドクターだから当たり前なのかも知れないけれど、奥村先生の包帯を巻く手際があまりにも良すぎるのには少し驚いた。
「お上手ですね」
「小さい頃から兄の包帯を巻くのは僕の役目でしたから」

なるほど奥村兄の影響だったのか。あの人やんちゃそうだもんね。少年時代は喧嘩とかして過ごしてきた感じがするもんね。きっちりと包帯を巻いた後、動かしてみてくださいと言われるがままに第二関節あたりまで指を曲げてみると思った以上にスムーズに動いて驚いた。おお、すごい。全然痛くない。きつくもなく緩くもなく丁度のいい巻き心地。
「何かすいません。軽い火傷なのにここまでしてもらって」
「僕は構いませんよ。でもさんは女の子なんですから自分の体は大事にしてくださいね」
「いやいや今更私に女の子なんて……」

似合いませんよ、と言った自分の声が思ったよりも小さくなって情けなさを感じた。それ以上は何も言わずに私の頭を撫でて「お茶かコーヒーでもいれてきますね」と言って部屋を出ていった奥村先生は何だかカウンセラーみたいだ。私が悩んでるのを見て気を使ってくれたのかもしれない。しえみちゃんも出雲ちゃんも奥村先生も同い年なのになあ。私とは何が違うんだろう。全部か。全部違うからこそ志摩にもあんな態度とられるんだろうな。ドアの向こうから足音が聞こえて、ガチャリと音がした方へと視線を上げてみると思いもよらない人物がひょっこりと顔を出した。
「あ、おかえりなさい奥村せんせ……」
「先生やなくて悪かったな」
「……志摩」

教室を見回して、ここには私しかいないということを理解したらしい志摩は露骨に嫌そうな顔をした。そんなに私といるのが嫌なのか、そう思うとズキズキして胸が痛い。ああきっと私も今ものすごく嫌そうな顔してる。違うのに。本当はもうちょっと志摩と普通に喋ってもらえるような可愛い女の子になれたらいいのになっていつも思ってるのに。

すぐに出ていくだろうと思っていた志摩が近づいてきて、私の近くの席に座る。何してんの、早く勝呂のとこ行かなくていいの。いつもの調子で言おうとした言葉を飲み込んで、視線を落とした。
「指、大丈夫なん」
「……」
「火傷しとったやん」
「うん」
「まだどっか痛いん?」
「…………別に」

もう指が痛くないのは本当だけど今は別のところが痛い。例え上辺だけだったとしても気にかけてくれるのが嬉しい、なんて絶対言えなくて、絶対嫌われたくないのに嫌われるような行動ばかりしてしまう。どうしてこうなっちゃうんだろう。
「ほんにかわいない女やなあ」

言われた言葉にじんと目頭が熱くなる。せっかく心配したったのに、と溢す志摩はいつもの調子で言ったんだろうけど、志摩の口から発せられる「可愛くない」の一言は今の私を落ち込ませる要素として絶大な効果を発揮するのだ。てっきり言い返してくると思っていたらしい志摩はいつまで経っても何も言わない私を怪訝に思ったのか、立ち上がって顔を覗き込んできた。嫌だ。見られたくない。きっと不細工だって笑われる。
「そ、そんなに痛かったんか……?」
「違う……」
「でもあんた泣いてるやん」
「泣いてないし」
「泣いてるやんか」
「ちが、これは、志摩が可愛くない、とか、優しくないことばっかり言うから……!」

慌てて口を塞いだけれど遅かった。黙って聞いてきた志摩が「は?」と素っ頓狂な声を上げる。どうしよう引かれた。言うつもりなんて微塵もなかったのに、言ってしまった。私のどうしようもなく情けない心の内を言ってしまった。笑い飛ばしてくれない志摩が怖い。本当に嫌われたかもしれない。
「俺に優しくしてほしいん?」

笑うでもなく呆れるでもなく、志摩の手が慈しむようにゆっくりと包帯を巻いた指の上をなぞった。こんな風に優しく触られるのなんて初めてで、びっくりして、体が一気に硬直する。そのまま動けないでいると指をなぞっていた志摩の手が頬に移動して、そこをまた同じように撫でた。

この人は誰だ。志摩じゃない。私の知ってる志摩は、こんな風に私に優しくしたりはしない。今目の前にいるこの人は志摩の皮を被った何かだ。幻だ。そう思おうとしても近距離で目が合ってしまうともう何も考えられなくなってしまう。
が素直になるんやったら、いつでも俺は優しくしたるよ」

最後に私の指に巻かれた包帯の上に唇をつけて、志摩は部屋を出ていった。一体私にどう素直になれと言うのだ。この顔の熱と指先の熱さはカウンセラー奥村先生に相談しても到底消えそうにない。