プリズムキラー

誰よりも強く床を蹴って、誰よりも高く跳び上がる。その姿を一目見たときからずっと、眩しいと思っていた。


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ホームルームが終わってさあ部室へ行こうと席から立ち上がったとき、6組の教室に星海くんがやってきた。つかつかと廊下から歩いてやってくる姿を視界に入れて、昼神くんに用事かなと思いながら通りすぎようとするとすれ違い様に「なあ」と呼び止められる。その声に振り向くと、それと入れ違うようにして鞄を背負った昼神くんが「光来くん遅れちゃだめだよ」と言いながら教室から出て行ったのが見えて首を傾げた。

あれ?昼神くんに会いにきたんじゃなかったの?と思いながら一人教室に留まっている星海くんの顔を見て、思ったことをそのまま口に出し問いかけてみる。
「星海くん部活行かないの?」
「今から行く」

制服姿でシューズケースと鞄を持ち、まさに今から部活へ行くところといった様子の星海くんが手に持ったケースを掲げながら返事をした。その言葉を聞いて廊下へと意識を向けながら「そうなんだ。頑張ってね」と言いかけた私の声を、「話がある」という言葉が遮る。

話がある。彼の言葉を頭の中で反復し、もう一度首を傾げた。
「……なんか悩み事?」
「違う」
「座って話聞いた方がいい?」
「いやすぐ終わる。そのままでいい」

それじゃあ特に深刻な話ってわけでもないのかな。そう思いつつ、一度肩に背負った鞄を机の上に下ろして星海くんに向き直る。私と星海くんが話している間に、クラスの皆はもう教室から出て行ってしまっていた。二人取り残された教室で、私と同じように手に持っていたシューズケースと鞄を床に置いた星海くんが口を開いて言う。
「好きだ。付き合ってくれ」

ぶつけられた言葉の意味をすぐには理解することが出来なくて、呆気に取られポカンと間抜けな顔をする私の様子を『聞こえていない』と判断したのか星海くんはまた「付き合ってくれ」と先程と同じ台詞を繰り返した。はっと我に返り、慌てて身体の前で片手を振って弁明のための言葉を述べる。
「あっ……ご、ごめん聞こえてなかったわけじゃなくて」

大きな瞳でじっと見据えられるとどうにも落ち着かない心地がして、たった一文話すのにさえどぎまぎしてしまう。『威圧感のある人』なら、鴎台のバレー部には二メートル近い身長の白馬くんや食えない印象の昼神くんだっている。あの人たちの中にいると、星海くんは一際小さくて無邪気な子供のように見えて可愛いなと思うことすらある。実際星海くんの身長は平均かそれより少し低いくらいで、こうして向かい合って言葉を交わしていても昼神くんたちに比べるとそれほど『大きい』という印象はない。それでも、今の私にとっては目の前に立っている星海くんから発されるプレッシャーが一際大きなもののように感じられて、つい肩を縮こまらせてしまうのだった。

黙ったままの私の顔を覗き込んでいる星海くんは、段々と放つ圧を強めながらもそこからじっと動こうとしない。私が先程の告白に返事をするのを待っているのだ。どう答えるべきか迷ってから、ゆっくりと口を開いて言った。
「……あの、星海くんはバレーの凄い人だし、私とは住む世界が違うっていうか、その……」
「ハァ?」
「えーっと……」
「なんだよ、はっきりしろ」
「私と付き合ってもそんなに面白くないと思うし、……あんまりメリットがないというか」

歯切れの悪い言葉を並べる私の顔を星海くんは相変わらず正面からじっと見据えている。その眉が思いっきりへの字に曲げられているのを見たとき咄嗟にマズいとは思ったけれど、一度吐き出してしまった言葉はもう取り戻せるはずもなくて、どうすることも出来なかった。
「それが俺と付き合わない理由になるのか?」

逆立てた髪を少し揺らしながらさらに一歩距離を詰められると、それ以上言葉が続かなくなってしまう。同級生と話しているはずなのに、まるで先生や部活の先輩たちを相手にしているときのように緊張で身体の色んなところが強張っていくのが分かる。

曲がりなりにも告白を受けているはずなのに、私、どうして星海くんに詰め寄られているんだろう。
「俺のことが嫌いなら嫌いって言え」
「そんな、嫌いなわけじゃないんだけど、でも……」

せっかく貴重な部活前の時間を割いてまで好意を伝えてくれた彼を不用意に傷つけることのないように、と精一杯頭から捻り出した遠回しな表現は、かえって彼を怒らせる結果となってしまったらしい。星海くんはその大きな瞳でじっとりとこちらを睨め付けながら不機嫌さを露わにしている。やってしまった。妙な気を回そうとしたばっかりに墓穴を掘ってしまった。つい先程の自分の失態を頭の中で責めながら、私は手のひらいっぱいに冷や汗をかいた。


嫌いじゃない。むしろ星海くんのことは好ましく思っている。すごい人だと思って尊敬している。たった十二人しかいないバレーコートで誰よりもたくさん動いて自分よりも大きな相手チームの選手たちに怯むことなく正面から向かっていく姿には勇気がもらえるし、何か落ち込むようなことがあったとしても常に勝ち気で自信に溢れている彼の姿を見るだけで元気になれる。嫌いでなんてあるはずがない。

それでも、例えどれだけ頭の中で彼のことを褒め称えていようとも、星海くんの申し入れに素直に首を縦に振ることはできなかった。彼に出来て私に出来ないことがたくさんあるからだ。全日本ユースにも招集されるほどバレーボールが上手くて有名人である星海くんと、片や一応部活をやってはいるものの大した成果は上げられていない私。

どこからどう見たってまるで釣り合いが取れていない。それなのにどうして私なんだろう、という疑問で頭の中がいっぱいになっていく。
「俺のこと嫌いか?」

いつまで経っても結論を出さない私に痺れを切らした星海くんが質問を変えてもう一度問いかけてくる。嫌いじゃないよ、の意味を込めて首を横に振ることはすぐに出来た。なのに、それに続く言葉は何も出てきそうになくて、人前で頭を抱えたくなるのを我慢しつつ星海くんの放つプレッシャーから少しでも逃れようと視線を逸らす。……自分のことのはずなのに、思ったことをきちんと言葉にして相手に伝えるというのがこんなにも難しいなんて初めて知ることだった。

そうした私の葛藤なんてどこ吹く風の星海くんは、私が首を振ったのを見るなり「じゃあ付き合えるな」と勢いよく言って、床に置いていたシューズケースと鞄を引っ掴むと意気揚々と体育館へ走っていった。呆然としている間に、その姿は見えなくなってしまう。

まさしく嵐のように、星海くんは突然現れて私の心をかき乱すだけかき乱してまた突然去っていってしまった。最初から最後まで呆気に取られっぱなしの私一人を教室に残して。


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「それで光来くんに押し切られちゃったの?」
「押し切られたって言うとちょっと違う気がするけど……まあそんな感じ」

星海くんと私が付き合うことになったという話は瞬く間に学校中に広まることとなった。私たち二人とも特に自分から言いふらしたりするようなことはしていなかったけれど、その代わり、星海くんはそれを隠そうとする素振りを微塵も見せなかったからだ。

お昼休みの教室は色々な話題が飛び交っていて、声をひそめずとも私の声がかき消されてしまいそうなくらいには賑やかな喧騒の中、昼神くんに向かって「どうしよう」と呟く。お弁当を食べ終わった後、星海くんのチームメイトであり、良き友達であり、私のクラスメイトでもある昼神くんの席の近くに移動して彼に向かって先日あった事の一部始終を話した後の一言だった。するとどこか面白がっているような表情を浮かべながら私の話を聞いていた昼神くんは「別に何もしなくてもいいんじゃない?何とかなると思うよ」とあっけらかんと口にした。
「付き合ってみてやっぱり光来くんのこと好きじゃないって思ったら振っちゃえばいいんだし」
「そんな簡単に……振るとか、その、出来ないよ。したことないし」
「大丈夫だよ。バレーも恋愛もさ、ミスったって別に死なないから」

さんに振られて死にそうになってる光来くんはちょっと気になるけどね、と締めくくった昼神くんがにっかり笑う。その言葉に、私が「好きじゃない」「別れたい」と言った後の星海くんの反応を頭の中で思い浮かべてみようとするも上手くイメージすることは出来なかった。

あれだけエネルギーの塊みたいな星海くんが死にそうになるところなんて本当に全然想像つかないな……。そもそも失恋で悲しむようなイメージが全然湧かない。惚れた腫れたの恋愛にいちいち振り回されるような人でもない気がする。どうなんだろう。恋に破れて死にそうなほどのダメージを受ける人がいるということはもちろん知っているけれど、それを星海くんと結び付けようとしても上手くはいかなかった。

この教室で私に向かって好きだと言ってくれたときの星海くんの顔を思い出す。あのときの目は、バレーをしているときと同じくらい真っ直ぐだった。……もし私がそうした一言を、彼の心を抉るような一言をこの唇から繰り出せたのなら、あの嵐のような星海くんも表情を曇らせてしまったりすることがあるんだろうか。それは想像するだけでもちょっと悲しいし、出来ればやりたくないことだと思った。

というか昼神くん、さっきから私が星海くんを振る前提で話してるけどそれもどうなんだろう。何度も言うようだけれど星海くんのことは決して嫌いではないし、廊下でのすれ違い様や休み時間や放課後少しだけ時間が空いたときに話しかけてくれることだって全然嫌な気はしない。どちらかと言えば、こうして本人に直接言い出すことも出来ずに悶々と頭を抱えては煮えきらない態度を取ることしか出来ないところに愛想を尽かされてすぐに振られてしまうのは私のような気がするのに。


★★★


鴎台の男子バレー部は文句のつけようがないくらいに強くて、全校生徒の自慢だった。特に私たちの世代は優勝候補としてメディアからも注目されていて、スタメンの選手たちには取材の申込みが山のように来るほどらしい。それはもちろん、一度試合に出れば場の空気をすべて塗り替えてしまうエースの星海くんも例外ではなくて、試合が終わった後、記者やカメラマンに取り囲まれている姿を眺めながら席を立つ。これまでもバレー部の全国大会の応援には来たことがあるけれど、自分のクラスメイトや恋人が出場している試合を観るというのはまた格別な想いを抱いてしまうものだった。

早く行かないとホテルに帰るバスの時間に乗り遅れてしまう。インターハイや春高の応援に学校から応援団が駆けつける際には学内からも希望者が殺到するから、有志で出るバスの席はいつもぎゅうぎゅうだ。鴎台の春高初戦を見届けた後、きっと今日泊まるホテルもうちの生徒でいっぱいなんだろうなぁと思いながら体育館を出ようとしたところで「今から帰んのか?」とジャージ姿の星海くんに呼び止められた。その言葉に頷くと、「ホテルまで送る」続けられた言葉に目を見開く。

ここからホテルまではバスに乗ればすぐ着くけれど、歩くには少し距離がある。確かに歩いて帰ることも出来なくはない距離だけれど、ずっと座って試合を見ていただけの私ならともかく、最初から最後まで試合に出てコートの中で動き回っていた星海くんは疲れているんじゃないだろうか。それに、明日の試合に向けてのミーティングとかそういうのもあるような気がするけれどいいのかな。そう思ったことをやんわり伝えると、途端に星海くんは少し不機嫌になってしまった。
「俺がいいって言ってんだからいいんだっての」

口をへの字に曲げながら彼が言った言葉に、そういうものなのかと思いながら歩き出した星海くんに従ってホテルまでの道を隣り合うようにして歩いていく。星海くんたちが泊まっているホテルと応援団のホテルは結構近い場所にあるらしい。夜のミーティングまで時間があるからその前に私の顔が見たかったのだと彼は言った。その言葉を聞いた途端に恥ずかしくなってしまって、「ありがとう」と返すことだけで精一杯だった。

東京は長野とは違って歩けばすぐにホテルや駅が色んなところに建っているのが凄いなぁ、なんてことをぼんやり思いながら歩いていると、隣の星海くんがぽつりと呟くようにして言う。
「試合どうだった」
「……えーと、ボール当たったときの音とか凄くて腕折れないのかなって思った」
「折れねえよ」

そんなヤワじゃねえし、と呆れたように言った星海くんがにやりと口角を上げて笑う。彼が聞きたかったのはそんな変な感想じゃないんだろうなと薄々分かってはいながらも、自分の口からそれを伝えることは出来なくて、「そっか」と適当な相槌を打ってから少しの前の方で立ち並ぶビルへと視線を移した。

試合中に相手チームの選手の腕をへし折りそうなくらいの勢いでボールをコートに叩き込んでいた星海くんの手は、今は柔らかい力で私の片手を掴んでいる。歩き始めたとき、「手貸せ」と言われるがままに差し出したらこうなってしまった。けれど全然嫌な気はしない。

同じ学校の人たちに見られたらどうしようと思わなくもなかったけれど、それを彼に言うだけ無駄だということは分かっていたから言わなかった。


星海くんの前ではグレーゾーンなんてものは存在しない。白か黒、一か百かしかない世界で常に彼は生きている。今日の試合だってそう。だからこそ私は、この人からいつも目が離せなくなってしまうのだ。

ホテルに向かう道を歩き進めながら高いビルを眺めていると、ふと今日の試合でブロックを決めまくっていた昼神くんの姿を思い出した。そして続けざまに浮かんできたのは「付き合ってみてやっぱり光来くんのこと好きじゃないって思ったら振っちゃえばいいんだし」と言ったあのときの昼神くんの顔で、改めてその言葉の意味に想いを馳せてみる。

最初は確かに押し切られるような形になってしまったけれど、今の私は確かに星海くんのことを好きだと感じていた。星海くんの方はどうなんだろう。こうして手を取ってくれるってことは、告白してくれたときから変わらずに私のことを好きでいてくれるんだといいなぁと思う。

恋というのはもっと熱烈で、きらきらと輝いていて、苦しかったり楽しかったりをジェットコースターのように繰り返していくものだとばかり思っていた。けれど、こんな風に穏やかで、だけどくすぐったいような気持ちになるものでもあったのだということを教えてくれたのは間違いなく星海くんだ。それを彼に伝えてみたいと思うけれど、どうやって伝えればいいのかは分からない。

しばらく頭を悩ませてから「前に昼神くんと話してたときにね、言われたんだけど」と切り出すと、ジャージをはためかせて歩いていた星海くんがその大きな瞳をこちらに向けて振り返ってきた。
「私に振られたら、星海くんはどうする?」
「おまっ……俺のこと嫌いじゃねえって言ったんじゃなかったのかよ」

珍しく慌てた様子の星海くんが私の手を握っている方の手に少し力を込めて言った。その様子を見ていると、今まで何度も何度も言おうとして、それでもどうしても口に出来なかったはずの台詞がするりと口から飛び出してきたものだから驚いてしまった。
「うん、嫌いじゃないよ。むしろ好き」

私も驚いたけれど、星海くんはそれ以上にもっとびっくりした顔をしていた。その顔がどうにも可愛らしく見えて、思わず吹き出してしまうと星海くんの表情は途端に憤慨したようなものに変わってしまう。それでも、微塵も怖さだったり緊張だったりは感じなかった。
「何で私のこと好きになってくれたの?」

今なら聞いても大丈夫なような気がして訊ねてみると、星海くんは珍しく言葉に詰まっているようだった。しばらく視線を彷徨わせたり、私の手をさらにぎゅっと強く握ってみたり、早足で歩いてみたり、色々した後にガシガシと頭を掻いた。そして私の質問には答えずに、こちらの顔を見据えてから呟く。
「嫌いだって言われたら無理して付き合えなんか言わねえつもりだった」
「そうなの?」
「当たり前だろ。……でも、あのときお前が微妙な態度だったから」

それに続く言葉は彼の口から出てこなかった。……なんだろう。どんなことを言いたかったのか見当もつかないけれど、言い淀んでしまった星海くんがすごく可愛い顔をしているのは分かる。

あのときの私が微妙な態度だったから。その後に続くであろう彼の台詞を考えてみる。私がどっちつかずの態度だったから、……嫌いだと言わなかったから、期待してしまったということなんだろうか。そうだとしたら嬉しいし、やっぱり彼のことを可愛いと思ってしまった。
「光来くんって可愛いね」
「……せめて格好いいって言え」

思ったことをそのまま伝えると、ぶすっとした表情になってしまった彼からそんな言葉が返ってくる。それでも、初めの頃に感じた圧のようなものはもう隣に立っている彼の身体のどこからも放たれてはいなかった。

彼のことを格好いいとはもちろん思っている。今日だって昨日だって、格好いいなと思わない日はない。試合を観る度に惚れ直す勢いだ。けれど、やっぱり今は、不機嫌そうにしていながらもどこか楽しそうにしているこの横顔を可愛いと思わずにはいられない。

弛んでくる頬を抑えることはあえてしなかった。口角が上がりっぱなしの私の顔を見て、むくれた顔をやめた光来くんがにんまりと笑って言う。
「やっと俺の顔見て光来くんって呼んだな」

嬉しそうにしているこの顔が、世界で一番格好良くて可愛くて好きだと思った。だって私はもう随分と長い間、光来くんのことを眩しいと思っていたのだ。十二人いるコートの中で、誰よりも楽しそうにバレーボールをプレーする彼の姿を一目見てしまったあのときからずっと。

titled by ユリ柩

HAPPY BIRTHDAY Korai Hoshiumi!