溶かした思い出を飲み込んで

※少しだけさねカナ要素あり

「自分は鬼殺隊でも一番の粗暴者だ」とよく彼は口にするけれど、本当にそうだろうかと思うことがある。身体中についた傷のせいもあってか確かに見た目はお世辞にも優しそうだとは言えないかもしれないが、一見粗野なように見えるだけで食事や掃除や洗濯などの身の回りのことは私よりも丁寧だし、動物に懐かれているのをよく見かけるし、月に一度は欠かさず行っている玄弥くんのお墓参りだけでなく他の鬼殺隊の仲間たちのお墓にも時間があれば足を運ぼうとする細やかさだってある。花の名前なんてあまりの詳しさにこっそり舌を巻いてしまったほどだ。

玄弥くんのお墓に供えてはどうかと私が持ってきた花のそれぞれの名前を挙げながら「こっちは毒があるからやめとけ。……こっちのも枯れるときに花が散らばるからやめといた方がいいかもなァ。キンセンカならいいんじゃねェか」と言った彼に「お詳しいんですね」と驚いたままにそう伝えると「……別に大したことじゃねェよ」と返ってきた声色はぶっきらぼうではあるものの、棘のあるものではなかった。

花の名前に詳しいことを指摘されたのが気恥ずかしかったのか、スタスタと歩いて行ってしまった彼の背中を追いかけながらふと考える。私は実弥さんのことを鬼殺隊でも一等優しく細やかな人だとずっと思っていたけれど、どうやら当の本人は特段そうは思ってはいないらしい。思い返してみれば、鬼殺隊だったときにもこういうことがあった。あのときは確か、稽古のあまりの苛烈さに打ち込みが終わるなり倒れ込んだ私を「軟弱だ」と詰りながらも風呂を沸かしてわざわざ布団まで用意してくれて、その細やかな気配りにいたく感激した私が今度何かお礼をさせてほしいといくら言ったところで「これぐらい別に普通だろうが」と言われて取り付く島もなかったんだっけ。

その貴方にとっての普通のことが、常に死と隣り合わせで他人のことなどなかなか構ってもいられなかった鬼殺隊では何よりも尊いものだったのだということは結局伝えそびれたまま今日まで来てしまった。いつか伝えられる日は来るのだろうかと考えながら先を行ってしまった彼の姿を探すと、川のそばで何かをしている後ろ姿が目に入る。何をしているのだろうと思いながら近づくと、ちょうど彼の手から放たれた石が水面を切って何度か跳ねながら川の反対側の方へと飛んでいくところだった。

「お上手ですね」
「……昔玄弥がこれで遊ぶのが好きだった」
「そうだったんですか」
「ああ」

時折こうして幼い頃の話をしてもらえるようになったのも、大きな変化のうちの一つだ。玄弥くんの話もしてくれるようになった。おかげで今の私は鬼殺隊だったときよりも玄弥くんについて詳しい。墓地に着くまでの間も、しばらく私たちは玄弥くんの話をした。とは言っても私は玄弥くんとは彼が入隊してきてからのほんの少しの短い間の付き合いだったものだから、もっぱら歩く途中でぽつぽつと話してくれる彼の話に相槌を打つぐらいのことしか出来なかったのだけど。

鬼殺隊の墓地は産屋敷邸近くの山を登ったところにある。少し前までは滅多なことがない限り柱以外の隊士が産屋敷邸へと足を運ぶことは許されなかったけれど、鬼から隠れる必要のなくなった今となっては輝利哉様はいつ訪れてもとても暖かく私たちを迎え入れてくれていた。これから墓参りへ行かなくてはならないから、とお茶とお菓子を勧めてくれた輝利哉様やくいな様たちに手短に挨拶をして二人で山を登っていくと、ひっそりと佇むようにして並んでいる墓石が見えてきた。今日は私たちの他には誰もここに来ていないようだ。

鬼殺隊が解散した後も輝利哉様や産屋敷家の方達が手入れを欠かさずされているようで、いつ訪れても玄弥くんのお墓は綺麗に整えられている。実弥さんが小まめに足を運んで掃除をしているのもあるのかもしれない。柄杓と桶を手に取った彼の後ろで花を持ちながら歩いていると、玄弥くんのものではないお墓の前で彼が足を止めたのを見て同じように立ち止まった。そこに刻まれている『粂野匡近』という名前を見て、何も言わずに手を合わせる。兄弟子がいたと聞いていた。そしてその彼はもういなくなってしまったのだとも。ちゃんと確かめたことはないけれど、たまに匡近さんの話をしてくれるときの表情やこうしてお墓の前で何かを語りかけているらしい彼の様子から、鬼殺隊の中でも仲が良かったのだろうということが窺える。そしてそうした人は匡近さんの他にも何人かいたようで、同じ柱だった伊黒様や悲鳴嶼様、そして私の知らない名前の隊士のお墓の前で時々彼が立ち止まる度、そっと花立に持ってきた花を生けてから邪魔をしないように距離を取って遠巻きに背中を眺めることが習慣となっていた。

ゆっくりと時間をかけてぐるりと一周した最後に彼が足を止めるのは、決まって『胡蝶』と刻まれた墓石の前、……胡蝶様のお墓の前だった。優しい人だった。たくさん治療をしてくれたし、入隊して間もない頃は継子でもない私にも全集中のコツを教えてくれたり、なかなか素直に蝶屋敷で治療を受けてくれない実弥さんの身体が心配だとうっかり漏らしてしまったときには微笑んで塗り薬を持って帰らせてくれたりもした。私たちは皆、胡蝶様の世話になった。その恩はきっと何度こうしてここに足を運んだとしても返せないものだろう。そして、口には出さないけれどいつも身を案じてくれていた胡蝶様に恩義を感じているのは彼も同じなのかもしれない。

――けれど、胡蝶様のお墓を見ているときの実弥さんの表情は、他の人のものを見ているときとはどこか違う気がした。具体的にどこかと聞かれたら答えられないのだけれど、じっと墓石を見ているその背中を見ていると何故だか胸がざわつくような心地がして、気になって仕方がなくなってしまう。一緒に墓参りをするときはいつもこうだ。……その理由を尋ねられたことはない。聞いたら答えてくれるのだろうけれど、私の知らない彼の鬼殺隊での話を聞くのは少しだけ怖いような心地がして、もう何度もこうやって二人で足を運んでいるというのに未だに話を切り出すきっかけを掴むことが出来ないでいた。

宇髄様が家にいらっしゃったとき、実弥さんがいない頃合いを見計らって尋ねてみたことがある。あの『胡蝶』と書かれたお墓と、それを見る彼の表情にどこか引っかかるものがあったことを打ち明けると、少し面食らったような顔をした宇髄様が湯飲みから一口お茶を飲んでから「あー……そりゃ、そういうこともあるかもしれねえな」と言った。含みのある言い方に首を傾げながらも、いい機会なので続けて気になっていたことを尋ねてみる。

「胡蝶様と不死川様は親しかったんでしょうか?蝶屋敷にもあまり顔を出していなかったようですし、お話されているところをお見かけしなかったような覚えがあるんですが……」
「お前の言ってる胡蝶ってのは妹の方だろ?」
「えっ?ええと、その、蟲柱のしのぶ様のことですが……」
「そりゃ妹の方だな。カナエっつってな、胡蝶の姉貴がいたんだよ。もう何年も前の話だが、花柱だったやつだ。……あいつは確かに不死川のこと気にかけてやってたからな」

「あの頃は不死川も今よりもっと危なっかしい野郎だったしな。柱になってすぐお館様に啖呵切ったときは驚いたぜ。……まあ、そんな奴だから胡蝶も放っておけなかったんだろ」と締め括られた宇髄様の言葉に膝に置いた湯飲みへと視線を落とした。……きっと宇髄様は、私がこれ以上気に病むことのないようにあえて遠回しな言い方をしてくれたのだろう。花柱と聞いて合点がいった。花の名前をいくつも教えてくれて、そしてそれを今になるまでずっと覚えていていられるくらいには二人は親しかったのであろうと予想がついて、自分から尋ねておいて身勝手だとは思いながらも憂鬱な気分になってしまった。それきり黙りになった私に「お前が気にするようなことじゃねえよ」と一言呟いた宇髄様に「ありがとうございます」と返事をしたはいいものの、それでもなお、今日に至るまで胸のわだかまりが解けることはなかった。

墓場を後にして歩いている途中、さっきの川が目に入って足を止める。「ちょっとだけいいですか?」と声をかけて頷いた実弥さんの近くに落ちていた小石を拾って先程の彼と同じように放り投げると、手から離れた石は跳ねることなくぼちゃんと音を立てて川の中へ落ちてしまった。せめて二回くらいは跳ねてくれると思ったのに、呆気なく川に落ちてしまったのを見て「えっ!」と声を上げると、横で一部始終を眺めていたらしい実弥さんがくつくつと笑う声がする。

「下っ手くそだなァ」
「子供の頃にやったときはもう少し上手く出来た気がするんですが……」
「平なやつじゃねえと飛ばねえぞ」
「こういうのですか?」
「……いや、こっちの方がいいかもな」

屈んだ実弥さんが手に取った石を空いた方の手に握らせてくれて、その途端に手のひらにぶわっと熱が集まっていくのが分かる。投げてみろと促され落ち着きもないままに言われた通りに放り投げると、今度は三回跳ねてから落ちたのを見て思わず歓声を上げた。振り返って「ちょっとはマシになったじゃねえか」と言いながら口の端を上げている彼の表情を見ながら考える。尋ねてみるなら今なのかもしれない、と。

本当はずっと尋ねてみたかった。この人の気持ちを。……私と同じように、かつて誰かに恋焦がれたことがあるのかを。その場に屈んでより遠くに飛びそうな石がないか足元を探すふりをしながら「さっきのお墓のことなんですが」と切り出してみると、上から「なんだ?」と問う彼の声が降ってくる。

「……花柱様のこと、宇髄様に聞いたんです。とてもお優しい方で、実弥さんのことも気にかけてらっしゃったって」
「…………」
「すみません、勝手に聞いてしまって……よくあのお墓の前で足を止めているのを見ていたので、親しかったのかなと思って気になってしまって」
「……別に、そんないいもんでもねえよ」

そう返事をした実弥さんがどんな顔をしているのか気になって、ちらりと上の方を伺うも遠くの川べりを見ているらしい彼と視線が交わることはなかった。数秒待ってから、意を決して再び口を開く。

「お慕いされてたんですか?……その、花柱様のこと」
「あァ?……どうだろうなァ」

あの頃は鬼を狩ることばかりで他のことにはなりふり構ってもいられなかったと呟いた彼の表情など見られるはずもなく、再び足元へと視線を落とした。手に持った石を投げることなく指で弄ぶ。……分かっていることだった。実弥さんが私よりもうんと早く鬼殺隊に入隊したことも、そこで私の知らない日々を過ごしていたということも、彼に助けられた私が継子にしてほしいと頼み込むようになるまでの間にたくさんの出会いがあったであろうことも。彼には彼の過ごしてきた時間や繋がりがあって、そのすべてを知りたいだなんて到底無理なことで、そしてもしも知ったところで、もう今更どうにもならないことだと頭では分かっているのに。それでも、すべて分かることが出来たのならと、そう願ってしまうのはどうしてなのだろう。

――いくら考えたって答えの出ないことを考えるのはやめよう。どれだけ思い悩んだところで過去が覆ることはなくて、私が知らなかった頃の彼の気持ちを推し量ることなんて出来ないのだから。滲んできた涙を手の甲で拭って、小さく鼻を啜った。顔を上げた先、川の向こうに沈んでいく太陽が見える。手に持っていた石を地面に戻してから「寄り道しすぎてしまいましたね」と言いながら立ち上がるも、その言葉に彼の返事が返ってくることはなく、動こうとする気配もないのを不思議に思って振り返ろうとすると、後ろから伸びてきた手に抱きすくめられてしまった。

「実弥さん、あの」

両腕で強く抱きすくめられると息が詰まって苦しい。……胸がぎゅうと強く締め付けられるような心地がするのは、抱きしめられているせいだけじゃないって分かってはいるけれど。回された腕から抜け出そうと彼の手に自分の手を重ねて口を開こうとすると、それを遮るようにして後ろから実弥さんの声が聞こえてくる。

「お前に泣かれたら俺が困るって前にも言わなかったか?」
「言われたような気がします……」
「ならもう泣くんじゃねえ」

そうは言われても、自分の意思とは関係なく溢れてくる涙の止め方が分からなくて困った。これ以上彼を困らせてしまうわけにはいかないのに。……私って実弥さんの前で泣いてばかりのような気がする。まがりなりにも剣士の一人だったくせにとんだ泣き虫な奴だと思われていたら嫌だなぁ。しかし、そうした想いとは裏腹に、泣き止まねばと思えば思うほど尚更目頭が熱くなってしまう。

回された腕の力が強まっていよいよ苦しくなってきた。苦しいですと言おうとした矢先、後ろからぽつりと小さく囁かれた「好きだ」の言葉に目を見開く。どんな顔をして、今、その言葉を口にしてくれたのだろう。実弥さんの過去に触れられないことに私が勝手に打ちひしがれていることも、情けなくも涙が出てきてしまう理由も、全部分かってのことなんだろうか。だとしたら嬉しすぎて言葉にならない。振り返って確かめたいけれど、後ろからがっちりと抱きすくめられているせいで身動きが取れなくて困っていると、少し腕の力を緩めた彼がふーっと息を吐いた後に続けられた言葉に信じられない気持ちになった。

「こんなんでお前が泣かねェんならいくらでも言ってやる」
「い、いくらでもというのはちょっと」
「黙ってろ」
「すみません」

回されている腕を解こうとしていた動きを止めて俯くと、「分かりゃいいんだよ」と言った彼がこちらに回していた腕を離し、私の身体の向きを変えさせて顔を近づけてくる。その口元を慌てて手で覆うと「何すんだ」と言った彼の眉間に皺が寄せられていくのが見えた。

「そっ、外です実弥さん!外ですここ!」
「……うるせェなァ。誰もこんなとこ見ちゃいねえよ」
「そういう問題ではないと思うんですが……!」
「前にもテメェは細けえことをごちゃごちゃ気にしすぎだって言ったような気がするがなァ」

言われましたと答えようとしたけれど、口元を覆っていた手を鬱陶しそうに取り払われ有無を言わさず口付けられたせいでそれは叶わなかった。やり場のなくなってしまった手を彼の腰あたりへ持っていき服を掴むと、ふっと口角を上げた実弥さんが私の頭に手を回してさらに深く口付けようとしてきたものだから、慌てて距離を取ろうともがくと少し顔を離した彼に「暴れんな」と嗜められる。

「あっ、あの、さすがにこれ以上は……!外ですので!そろそろ日も暮れますし!」
「……家ならいいってのか?」
「えっ」

どうしよう答えられない。何も言えずに目線を泳がせていると、夕焼けに照らされきらきらと光る水面に目線をやった彼が「確かにもう日暮れだしな。帰るか」と言って歩き出した後ろを着いていくと、手ぶらになった私の手を何も言わずに握ってくれたのを見て嬉しい気持ちになった。先刻とはまったく違う、弾むような足取りで家路を辿る。

また来月になったら実弥さんは玄弥くんのお墓に足を運ぶだろう。そうして、いつもと同じようにお世話になった人たちのところをぐるりと一周回った後、最後に胡蝶様へ向かって手を合わせるのだ。だけどもう、そのことを考えたって憂鬱な気持ちにはならなかった。どれだけ考えたところで過去は変えられないし、実弥さんが誰を想っていて、そして誰を想っていたのかを私には知ることはできないけれど、今日言われた「好きだ」の言葉だけはこの先たとえ何があったとしても一生覚えていようと夕闇の中こっそりと決意を固めた。