act.4

ついにこの日が来てしまった。テレビ局の取材スタッフ数名と宮侑を引き連れビジネス街から一本路地へと入ったところに立つこぢんまりとした店構えのおにぎり店――表には『おにぎり宮』の看板がかかっている――を見上げてこっそりと溜め息を吐いたは、まだ何も始まっていないというのに早速今日ここに明暗を連れてこなかったことを後悔していた。


おにぎり宮の密着取材は予定通り、水曜の早朝から始められた。まだ会社の始業時間にもなっていない時間だったため、は口の中であくびを噛み殺しながら慌ただしく段取りを確認しているテレビ局スタッフの隙間を縫うようにして担当者と話している店主のもとへと名刺を持って近づいていく。今日の段取りの確認が一段落したタイミングを見計らって名刺を差し出すと、黒い帽子を被った若い店主の男――ブラックジャッカル所属選手の宮侑の双子の兄弟だ――が帽子を取って軽く頭を下げた。


「株式会社ムスビイ広報部社外広報課のです。本日は取材に同席する宮くんのサポートをさせて頂きますので、よろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも、おにぎり宮の宮治です。侑からブラックジャッカルの話はよお聞いてますわ」


さん、いつも侑が迷惑かけてるみたいですんませんなあ」と続けられた宮治の言葉に「とんでもないです。こちらこそいつも宮くんにはお世話になっていて」とは苦笑いを返した。『話はよお聞いてますわ』と宮治は言ったが、一体宮侑が兄弟に向かってどんな話をしているのか。愚痴ばかり言っているのであろうことは目に見えている。チームの公式のSNSアカウントに登場する回数が少ないとか、応援に来てくれる自分のファンが今日はいつもに比べて多くなかったとか、サーブの調子がよくないときに限って佐久早が絶好調なのが面白くないとか、グッズのクリアファイルにでかでかとセンターポジションで写っているのが自分ではなく木兎なのが気に入らないとか。大方そういうところだろう。バレーボールに心底惚れ込み、文字通り人生を捧げていて、その分誰よりも負けず嫌い(かつ目立ちたがり)な宮侑にが度々振り回されているのは事実であったが、それが広報課の社員の仕事なのだから仕方ないと最近のは半ば諦めの境地へと至りつつあった。それにしても、せっかく取材のために早朝からわざわざ宮の兄弟の店まで足を運んだというのに、肝心の宮侑の機嫌を悪いのはどうにかならないものなのだろうか。


朝一におにぎり宮の最寄り駅の前で集合したときの侑はむしろ上機嫌だった。何だかんだ言いつつも、マイクとカメラを向けられてテレビの取材を受けるのは満更でもないらしくテレビ局のクルーにもにこやかに対応していた。それが、取材の進行を担当するスタッフから段取りを説明された途端に一変したのだ。


「えっ今日のコメントって俺のんだけ使うんちゃうの!?」と狭い店内に響いた侑の声にはこっそり肩をすくめた。やっぱり嫌がるよなぁ、取材の話を最初にしたときも宮くん最後まで「俺やなくて治に先に密着ってどういうことやねん」って言って嫌そうだったし。公式戦後のインタビューや全日本ユースの合宿で取材を受けたことは幾度もあっても、『密着取材』というのは宮侑にとってまだ未経験のものだった。もちろん宮侑以外にも、全日本ユースに度々選ばれている木兎、佐久早にだって密着取材の依頼はまだ来たことがない。野球やサッカーに比べてバレーボールのプロリーグの人気はまだまだ高いとは言えないし、それらの競技のスター選手に比べるとブラックジャッカルの面々の知名度はまずまずといったところだからだ。しかし近年の『妖怪世代』と呼ばれる彼らや他社チーム所属の若手選手たちの活躍は目覚ましく、人気も注目度も徐々にではあるが上がってきているのは確かであり、直に社外広報課の自分の元へと選手個人の密着取材の申し込みがくるのではないかとは密かに予想している。果たして一番最初に白羽の矢が立つその人が宮になるのか、木兎や佐久早や日向になるのか、それともキャプテンとしてチームを引っ張る明暗やリベロとしてプレーを支える犬鳴といったベテラン組になるのかはにも予想がつかないところではあるけれども。


治の店は『今女子に人気のイケメン店主が営むおにぎり店』としてお昼の情報番組で特集されたことをきっかけに、開店後わずか半年で不動の人気を誇るようになっていた。その治の経営手腕と彼の作るおにぎりの確かな味に目を付けたテレビ局が『あの人気店の店主の素顔と味へのこだわりに迫る』として三日間の密着取材を申し込んだというのが今回の経緯である。そしてそのイケメン店主の双子の兄弟であり高校時代はチームメイトとしてともに全国大会での稲荷崎高校の活躍に貢献した宮侑に是非ともコメントをお願いしたい、というのが趣旨なのであったが、侑が気に入らなかったのはテレビスタッフがぽろりと漏らした「皆さんここのお店のファンとお伺いしたので、侑さんのコメントを頂いた後には是非他のブラックジャッカルの選手の皆さんにもコメントを頂きたいと思っておりまして」という一言だった。


は朝一に集まった際に件のスタッフへ何の気なしに漏らした「治くんのおにぎり、美味しいですよね。いつも試合会場に出店されるときはブラックジャッカルの選手たち用にたくさん買うんですけど、皆さんここのおにぎりが大好きなのでいつも飛ぶように売れてしまって何個買っても足りないぐらいで」という言葉を猛烈に後悔した。「それならせっかくなのでブラックジャッカルの他の選手のおすすめの味を今度の練習の時にでも聞いてきてもらいたい」と予想以上の食い付きを見せたスタッフの提案を断れるはずもなく、は手帳を開いて明日の練習予定の後ろに『おにぎり宮の好きな味を聞く』のメモを素早く書き足す。それからちらりと様子を伺った侑は、案の定口を尖らせ完全にへそを曲げてしまっていた。


「宮くん」
「……なんや」
「今撮っている治さんがおにぎりを握っているカットを撮った後は宮くんの番らしいんですけど、せっかくなので食レポ風にしたいそうで。おすすめの具があれば選んでほしいそうなんですが、どれがいいですか?」
「すじこで」


なるほど侑はすじこ派か。開いたままにしていた手帳に『宮 すじこ』と書き込んでから、キッチンでカメラを向けられている治の元へと向かった。


「宮くんすじこがいいそうです」
「了解、あいつ本間昔から海鮮好きやなぁ。寿司行っても中トロとすじこしか食わんし」


カメラが回っていない隙を見計らって治に侑の希望を伝えに行き、撮影の邪魔にならないように端の席に座って取材を受けている侑を見守る。治のおにぎりはすぐに完成したようで、ほかほかの湯気を放っているおにぎりが侑の前に運ばれてきたのを見てぐう、と腹の虫が鳴いた。……ああそうだ、広報誌に載せる用の写真もちゃんと撮っておかないと。


侑に向かってスマホを構えながら、は複雑な心境だった。ブラックジャッカルの面々が各々好きなおにぎりの味を聞く。たったこれだけのことだが、の気はなかなか進まなかった。治にも侑にも言っていないことだったが、そもそも今日だってここに来るまでには既に大変な思いをしたのだ。何がって、主に「おにぎり宮のおにぎりが食べられるなら自分も取材に行きたい」と主張する木兎と日向を宥めるのが。取材には連れて行かない代わりにお土産におにぎりを買ってくるのを約束したのはいいものの、具の好みは聞いてこなかった。いつものように人気のありそうな味を適当に買って皆で分ければいいか、と思っていたけれど、せっかくだし一人一人の好みを確かめてから買って帰った方が良さそうだ。ポケットからスマホを取り出し連絡用のライングループに「おにぎり宮さんのおにぎり、差し入れに買って帰りますが皆さんお好きな具はありますか?」と打ち込む。途端にスマホの画面が「昆布!」「おかか!」「俺は高菜で」と選手たちのおにぎりの具で埋め尽くされていった。次々に流れていくトーク画面で主張される選手たちの好みを必死に手帳に書き留めていると、「ちゃーん」と宮侑から声がかかった。が視線を上げた先にいる宮はもうしかめっ面はしていない。取材を受けるうちにいつの間にやら機嫌は直っていたらしい。どうやらインタビュアーの人が機嫌が直るよう上手く誘導してくれたようだ。後でまたちゃんとお礼を言っておかなければ。


「もう取材終わられたんですか?」
「おん、思ったより順調やったわ。そんでな、小腹空いたし治が余りもんでええんやったらおにぎり用意したるって言うてんねんけど、ちゃんも食わん?」
「……いえ、私はいいです。治さんにも申し訳ないですし」
「仕込みのついでやから気にせんでええよ別に。一個も二個も作る手間は一緒やし」
「ですが、」
「具、余ってんの鮭しかないんやけどええよな?」
「……お願いします」


同じ目をした銀髪と金髪がじっと見つめてくるのに観念しては渋々と頭を下げた。こちらに有無を言わせようとしない押しが強いところはさすが宮くんの双子の兄弟だ。というか宮くん食レポと称しておにぎりさっき3つは食べてた気がするけどまだ食べるのか。毎度のことだけどスポーツ選手の胃袋って怖いな……。「鮭二個な」と言いながらキッチンへと引っ込んでいった治を追いかけ手帳にメモをしたおにぎりの個数を数える。一人二つは食べるとして、ざっと40個以上はおにぎりを買って帰る計算になるのだけれど、今日ここにあるおにぎりを全部買い占めてしまうことにはならないだろうか。開店準備と侑との分のおにぎり作りに勤しむ見知った顔とよく似た店主の横顔を見つめながら、はこれから起こるであろうおにぎり争奪戦に早くも胃が痛むような思いだった。


PREV