act.3

名は体を表すという言葉があるが、それはまさに日向翔陽という青年のために用意された言葉なのかもしれない。親御さんはきっと彼が生まれたとき周りを照らす太陽のような子に育ってほしいと願いを込めながらその名をつけて、そして彼もその願い通りにすくすくと育ったからこそこういう真っ直ぐで人懐こく屈託のない子になったのだろうな、と隣で両手に段ボールを抱えフンフンと鼻歌を歌いながらムスビイ本社の長い廊下を歩いている日向の明るい色の髪を見つめながらは思った。


ついこの間トライアウトを受けブラックジャッカルに新メンバーとして加入してきた日向のことーー特に、プレイスタイル以外の性格や嗜好といった個人的なプロフィールのようなものーーを、はまだ掴みきれないでいた。


木兎や宮、そして佐久早は高校生の時に日向のいる高校と試合で対戦したり交流試合のようなものをやったりと顔見知りのようだったが、高校卒業後に大学リーグでプレーするわけでもプロチームに加入するわけでもなく、単身ブラジルへと渡りビーチバレーをするという選択肢を選んだ日向は国内ではほぼ無名の選手と呼んでも差し支えなかったために、広報活動の一環として他のチームや有力選手の情報収集を定期的にやっているの耳にもその名が入ってくることはなかったのである。ブラジルではニンジャ・ショーヨーとして有名だったらしい(動画サイトで検索するとビーチでプレーする日向の動画がわんさか出てきた)が、国内では全くの無名。彗星のように突然男子バレーボール界そしてブラックジャッカルに現れた日向のことを、はまだ「新人の元気な男の子」としか認識出来ずにいた。


そんな日向とムスビイ本社のどこまでも続いていきそうな長い廊下でばったり出くわしたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。


「えっ!? 段ボールが歩いてる!……誰かと思ったらさんか! そんなでっかいの抱えてどうしたんですか? ていうか俺持ちますよそれ! 」
「ありがとうございます……一人では持てなくて正直困ってたので助かりました」


廊下であわやと衝突するところだった日向がサッと身を翻すなり発した「段ボールが歩いてる」という言葉に最早ツッコミを入れる気力もない、といった様子のが力なく返事をし、手に抱えた大きな段ボールを床に置く。置かれたそれを日向がそれをひょいと拾い上げたのを見て、他の選手に比べると小柄な彼も、やはり鍛え抜かれたバレーボール選手なのだとは実感することとなった。


よっこらせ、と声を出しながら段ボールを抱えた日向に投げかけられた「どこまで持っていけばいいですか?」の言葉に「今日の午後からの練習で皆さんにお配りしたいので、あっちの体育館まで持っていってもらえると助かるんですが……」と申し訳なさそうにが答える。すると「喜んで!」と元気よく返事をした日向が視界を塞ぐほどの大きな段ボールを抱え意気揚々と歩き出した。その後ろを手ぶらになったが半歩後ろを歩いてついていく。ここからムスビイ本社が所有するブラックジャッカル専用の体育館までは、先程までが来た道のりのあと半分くらいの距離がある。社内に常備してある荷物運搬用の台車が誰か使われていたために仕方なく手で運ぼうとしたものの、3分もしないうちに痺れ出した両腕に「こんな調子では体育館に着く頃には午前が終わってしまうのではないか」と絶望的な気持ちになっていたにとって、今の日向はまさに救世主のように思えた。


ファン感でも嫌な顔一つせず裏方として誰よりも働いていたのを見たあたりから薄々感じてはいたけれど、この子、とんでもなく良い子な予感がする。同じくルーキーとして日向よりブラックジャッカルに早く加入してきた佐久早(悪い人間ではないのは分かるがとても扱いづらい)とは大違いだ。佐久早は佐久早であの気難しそうなところが良い、という学生時代からのコアなファンが多くついていることもは重々承知しているのでそんな考えはおくびにも出さないが、の中では「新人の男の子」程度の認識だった日向の評価が「BJの中でも群を抜いて良い人」へと右肩上がりに上昇しつつあった。ようやくこのチームにも話が分かる若い人材が入ってきたのかもしれない、と目の前が少し明るくなったような気さえする。


「あの」


そんな風に勝手に広報社員の頭の中で自分の評価がうなぎ登りになっているとはつゆ知らず、黙々と体育館へと向かって歩みを進める二人の間に流れる沈黙を最初に破ったのは日向の方だった。


「何で一人でこんなの運んでたんですか? しかもやたらと重いし……。広報課の人のことあんまり知らないんですけど、体育館ってことはバレーの備品とか?」
「試合が終わった後とかイベントがあるとファンの方からブラックジャッカルの皆さんへファンレターと一緒にプレゼントが届くんですよ。届いたものをそのまま選手へ渡すわけにもいかないので、一回広報課で危険なものとか食べ物が入ってないかチェックしてから渡すんです。日向くんには卵かけご飯用の醤油とか届いてるんですが……基本的に食品はお渡し出来ないので、後でお渡し出来るものだけ差し上げますね」
「えっ醤油!? 嬉しいけど……何で俺に醤油……?」
「ファン感で好きな食べ物発表したからじゃないですかね」


初めてのファン感でガチガチに緊張しながら直立不動で「好きな食べ物は、卵かけごはんですっ!」と大きな声で宣言した日向の姿は記憶に新しい。まだ公式戦デビュー前の日向はあの会場ではただ一人のまだ一人もファンがいない男だったが、率先して裏方をやったりじゃんけん大会をしたり子供と戯れたりといったファン感でのあの八面六臂の活躍ぶりから彼に興味を持ったファンもいたようだ。卵かけご飯用の醤油に同封されていた「これからの活躍を期待してます」と書かれたあのメッセージカードを渡したらきっとこの子は飛び上がるくらいに喜ぶんだろうなと予想しながら、は見慣れた体育館へと足を進めた。




「おおー!すげーっ!」
「これ俺欲しいなと思ってたやつ!」
「めちゃくちゃ使えそう!」
「こういうのが地味に一番助かるんだよな!」


ブラックジャッカルのメンバーが一堂に会し、プレゼントや差し入れの入った段ボール箱を前にひしめき合いながら各々が歓声を上げている光景は中々に迫力があるな、と密かにはいつも思っていた。


時折雑談を交えながら日向と2人であの大きな段ボールを運び終えた後、「実はまだ運ばないといけない段ボールが3箱くらいありまして、広報課に置いてあるんですが……」と言いづらそうに切り出したに「任せてください!」と元気よく返事をした日向は、本社の3階に位置する広報課のオフィスと体育館との間を2往復したというのにすこぶる元気だった。普段あまり身体を動かすことのないは段ボールを抱えて少し階段を上り下りしただけでも息が上がっていたというのに、やはりプロスポーツ選手というのは一般人とはフィジカルの鍛え方が違う。そう一人感心しながらキャプテン明暗の主導のもとで各々に宛てられたプレゼントを開封していく選手達の姿を眺めていたの視界の端に映った日向は、試合後の恒例行事となっているプレゼントや差し入れの開封式を経験するのは初めてのためか先程からソワソワと落ち着かない表情を浮かべていた。


人がいなくなった隙に段ボールへと手を突っ込み「ひなたせんしゅへ」と書かれた封筒と、例の醤油に同封されていたメッセージカードを手に取ったが忙しなく辺りを見回している日向に向かって「日向くん」と声をかけると、「ウワーッ!」と驚いて肩を跳ねさせた日向の裏返った声が体育館に木霊する。その声量に驚きながら「これ、さっきも言ってたんですが日向くん宛のファンレターです。小さい子が頑張って書いてくれたみたいですね」と言ったが差し出した封筒を受け取ってまじまじと見つめた日向の目に、途端に大粒の涙が浮かんだ。思ってもみなかった日向のその表情にがギョッとしたのも束の間、宮から飛び出した「翔陽くんちゃんに泣かされとるやん!」の言葉に体育館中の視線が一気にと日向へと集まった。


「違います! 私が泣かせたんではなくて……ええと、ちょっと、日向くんからも何か言ってください」
「ううっ……俺、ブラックジャッカルのトライアウト受けて良かったです……」
「大袈裟やなあ」
「ブラジルいたときも日向のファンいたんじゃねーの?」
「ビーチのときも手紙もらったりはあったんですけど全部ポルトガル語だったんで、ペドロに一緒に読んでもらったりはしたけど実感あんまなくて……でも、何か今日本語で書かれた手紙読んだら一気にこう、グワーッときました!グワーッて!」


如何に自分が感動したかを身振り手振りで必死に伝えようとする日向をチームメイトの皆が子供のようだと微笑ましく思いながら見守っている中、ひっそりと動いた影が一つあった。佐久早聖臣である。日向に注目が集まっている今のうちに、と無理やり連れこまれた輪から抜け出そうとしている佐久早の姿を目敏く見つけたが「ちょっと待ってください」とその背中に向かって声をかけた。


「佐久早くんにも色々差し入れ届いてますよ」


ほら、と段ボールから取り出した佐久早宛のプレゼントが入った紙袋を差し出したと、その手に持たれた紙袋へ向かって佐久早の視線がじっと注がれる。


「……前にも言ったと思うけど、俺は出来ればこういうのはお断りしたいんだけど」
「まあまあ、そういうことを言わずに。食品は健康管理上受け取れないとあらかじめアナウンスしてありますし、入ってるのは疲労回復グッズとかです。それに、ファンの方達も佐久早くんに喜んでもらいたいと思って送ってきてくれてますから」
「…………」


ファンあってこそといった言葉を出されてしまうとさすがに断りづらいのか、渋々といった様子でから紙袋を受け取った佐久早に向かって早速木兎から「オミオミ何もらった? 移動のとき用の枕? すげー良いじゃん!俺もこれほしい!」と矢継ぎ早に質問が繰り出される。質問しておいて回答を待たずに喋り出してしまうところは相変わらずのようだ。騒ぐ木兎を無視して受け取った紙袋を体育館の隅へ置き、一人練習前のストレッチを始めた佐久早の姿にやっぱり扱いづらいなぁと思ったの心の声は、引き続きプレゼント開封大会で盛り上がっているブラックジャッカルメンバーの喧騒にかき消されていった。


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