ふたりきりでは呼吸も忘れる

月日は流れ、私は18になった。家を襲われたあの日から3年の月日が経っても、鬼は相も変わらず夜な夜な人里に現れては罪もない人々を襲い、彼らを傷つけていく。変わったことといえば、あの日隊士の人たちに守られる側だった私が守る側となったことぐらいか。

来る日も来る日も風柱様に継子にしてもらうべく鍛錬を続け、鴉が騒ぎ出すたびに夜の町を駆け、鬼の頸を刈り取り、時に藤の家の門を叩き、怪我を負えば蝶屋敷まで足を運んで、良い食べ物が手に入ると風柱様の元へお裾分けし、風呂で身体を清めた後に暖かい布団で眠る。

そのおよそ平穏とは言い難くも代わり映えしない私の日々は、一人の鬼殺隊隊士とその妹の鬼と出会ったことによって一変することになる。

竈門炭治郎という隊士がやってきてからというもの、風柱様は目に見えて不機嫌な日が多くなった。

「継子にしてください」
「死にてぇのかァ?」

これだ。いつもなら「断る」「嫌だ」「俺に勝てたらなァ」などなど、なんだかんだ言いつつも一度くらいは稽古に付き合ってもらえるのだけれど、竈門兄妹が現れてからというものろくに相手をしてもらえない日々が続いている。どれだけ打てど響かず、追えども追いつけず、そして私を見下ろした彼は冷たい瞳をしてこう言い放つのだ。死にたいのか、と。

15歳だった私がせめてもう一度だけ、一目でいいから会いたいと、会ってあのときのお礼を言わせてほしいと願った彼は柱になっていた。鬼殺隊の上下関係は厳しい。柱にならなければ柱には会えない。一般の隊士では同じ場にいることすらも許してもらえない。だから継子になりたいと思った。

ちょうど私の使う呼吸が彼と同じ風の呼吸だったこともあって、継子がだめなら稽古をつけてほしいと頼み込んだ私に、信じられないと言いたげな目を向けてきた彼の顔は今でも覚えている。最初は全くと言っていいほど相手にしてもらえなかったけれど、来る日も来る日も頼み込んでいるうちに根負けした不死川様からとうとう「一回だけだからな」の言葉を勝ち取ったのだ。そうして時折稽古をつけてもらえるようになって、現在に至る。

このまま順調にいけば、近いうちに継子にしてもらえるのではないか。今の柱はほとんど継子がいないけれど、私が久方ぶりにその座を手に入れられるのでは。そう期待し始めた矢先にあの隊士が現れた。名は竈門炭治郎。妹の禰豆子という鬼を柱合会議の場に連れてきた挙句、不死川様と一悶着を起こしたらしい。その日、本部から帰ってきた不死川様の荒れっぷりといったら、その後5日間は夢に見るほどだった。もう二度とあんな目には遭いたくない。死んでしまうかと思った。

……ともかく、あの竈門炭治郎とかいう隊士が現れたおかげでせっかく長い年月をかけて開きつつあった不死川様の心が閉ざされてしまったのだ。私がここまで来るのに一体どれだけ心を砕いてきたと思っているのか。許すまじ竈門炭治郎。最近の彼の活躍は目覚ましいものがあるそうだけれど、それでも到底許せるものではない。おのれ許すまじ竈門炭治郎。

不死川様は風の柱だ。倒せる鬼の数も、その強さも、私とは天と地ほどの差がある。よって、派遣される任務も当然格が違う。今回私が向かうのは、とある川付近にある農村だ。同行する隊士が一人いるらしい。鴉に指定された場所でしばらく待っていると、今日の任務に同行する人物らしき人影が現れた。

赤茶色の髪に、日の輪の耳飾りに、額の大きな痣。この特徴を持つ隊士は、私の知る限りでは鬼殺隊に一人しかいない。

「竈門炭治郎です!今日はよろしくお願いします!」

出た。あれほど憎し憎しと思っていた竈門炭治郎が、今、目の前にいる。はきはきと自己紹介をする彼の勢いに気圧されながら、鬼が出たらしい村へと二人走った。

「炭治郎くんは何の呼吸を使うの?」
「水の呼吸です!」
「じゃあ冨岡様の継子になるってこと?」
「いえ、俺は水の呼吸を使うんですけど最近はヒノカミ神楽を使うことも多くて……」
「ヒノカミ神楽って?」
「えーっと、俺の家に代々伝わる神楽で、それを使うとゴオッと音がして……」

二人並んで野道を駆けながら、ヒノカミ神楽という聞いたこともない舞を一生懸命に説明しようとしてくれる炭治郎くんの横顔をちらりと盗み見る。

「結局炭治郎くんは水柱様の継子じゃないってことね?」
「はい。ああでも、宇髄さんには吉原を出るときに継子になるかって言ってもらったなぁ」

ポンと両手を叩き一人納得したような顔をする炭治郎くんは、なんというか、……毒気を抜かれる。あれほど憎らしいと思っていたのに、調子が狂ってしまう。

さんは誰かの継子なんですか?」
「風の呼吸だから不死川様の継子になりたいんだけど、まだなれてないんだよね」

不死川様の名前を出すと炭治郎くんは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。鬼の妹を巡って不死川様と一悶着あったという話はどうも本当みたいだ。……どうして鬼になった妹を連れてきたんだろう。どうやら鬼は鬼でも人を襲わない鬼らしいけれど、そんな鬼がいるなんて話は聞いたこともない。この兄妹に一体何があったんだろう。聞いてみてもいいのだろうか。あれこれと悩んでるうちに、鬼が出るという村に辿り着いてしまった。

「炭治郎くんって本当に庚なの?」

川辺の村を襲っていた鬼はほとんど炭治郎くんが倒してしまった。夜明け前に言っていた、ええと何だったっけ、あの、……ヒノカミ神楽?そう、あれが凄かった。元々の呼吸である水の呼吸と組み合わせて使っているとか。そんな器用なことが出来る子だったのか。私は全集中の呼吸を習得するだけでも1年以上かかったというのに。上弦の鬼を倒したという話も疑い半分で聞いていたけれど、この調子だと本当なんだろう。私とそう年も変わらないのに、次から次へと優秀な隊士が鬼殺隊には入ってくる。こんなところで怪我を負っている場合じゃない。一刻も早く傷を治して、また鍛錬に戻らなければ。

蝶屋敷で傷を負った体を休めること3日、ようやく自分の家に帰れることになった道すがらで、不死川様とばったり会った。 すかさず「今日こそ稽古してください」と言った私に、不死川様がやれやれと言いたげに瞳を伏せる。しばらくの沈黙ののち、「一回だけだぞ」薄い唇から吐き出されたその言葉に飛び上がるほど喜んだその刹那、向こうから歩いてくる炭治郎くんと目が合った。

「あ、さんだ!こんにちは!身体の調子はどうですか?」
「こ、こんにちは炭治郎くん。えっと、今はちょっと……」
「?」
「……」
「……」

沈黙が痛い。不死川様の顔に「どうしてこいつがここに」と書いてある。

「し、不死川様」
「……やっぱり今日の稽古はやめだ」
「そんなー!」

くるりと背を向けて歩き出してしまった不死川様を見ながらしばらく放心したのち、何が悪いのかさっぱり分かっていなさそうな炭治郎くんをきろりと睨みつけた。可愛い顔をしても無駄だ。おのれ竈門炭治郎、やっぱり許すまじ。