明日を生きるための命題

鬼狩りを生業として生きることを選んだあの日から、愛だの恋だのとは無縁の人生を送るのだろうと思っていた。

「不死川様、任務先で野菜をたくさん頂いたので一緒に食べませんか」
「帰れ」

鬼を狩ったあとの農村で、ぺこぺこと頭を下げ通しの村の人たちから両腕に抱えきれないほどの野菜と米を持たされた。どうにかこうにか持ち帰ってきたあと、山ほどの野菜を前にさてどうしたものかと思案したのち、意を決して風柱邸の門を叩いた私を見下ろした不死川様が機嫌が悪いのを隠そうともせず大きく舌打ちをする。ピシャリと閉じられそうになった扉に慌てて片足を滑り込ませた。

「後生です不死川様!こんなにたくさんあっても一人じゃ食べきれないんです!頂き物なのに腐ってしまっては勿体なくて!悪いようにはしませんので何卒!」
「玄関前で騒ぐんじゃねェ」

不死川様がぐぐっと力を込めた扉がミシミシと音を立てる。壊れる。このままでは扉もしくは間に挟まれている私の左足が壊れてしまう。足が壊れてしまったら、もう地を踏みしめて鬼殺の剣を振るうことは出来ない。それは勘弁してもらいたい。それに扉の方も、万が一壊れてしまったら修繕するのにいくらかかるのだろう。柱の家って結構立派なお屋敷だし、扉一つで私の一月の給金が吹っ飛んでしまうくらいの額になるのかもしれない。それだけは御免被りたい。

お互い譲るに譲れず均衡状態が保たれたまま、5分ほどが経っただろうか。継子の件で私のしぶとさを身に持って知っているらしい不死川様がとうとう諦めた。パッと離された扉にガクンと体勢が崩れる。腕からこぼれそうになる野菜を抱え直し、玄関に立つ不死川様を見上げて言った。

「入っていいんですか?」
「……帰れっつってテメェが聞いた試しがねェからなァ」

踵を返し家の中へと戻っていく不死川様の背中を、これ幸いとばかりに両手いっぱいの米と野菜を抱えながら追いかける。

「何でんなモンここに持ってきたァ」
「柱のお宅であれば台所も広いのかと思いまして、自分の家で調理するよりもいいかなぁ、と……」
「チッ」

うわ、今めちゃくちゃ大きい舌打ちした……。やっぱり突然押しかけるのは迷惑だったろうか。本当はもらった野菜はまだ家にたくさんあるのだけれど、それも持ってきますと言えば今度こそ怒られそうだからとりあえず今はやめておこう。

「汚したら殺すからなァ」
「はい」

不死川様の家に上がり込むのはこれが初めてではない。稽古をつけてもらうのはいつもすぐそばの道場でだし、不死川様のしごきで失神したときは玄関から続く廊下のこの辺りに転がされたし、鍛錬に熱が入りすぎて日が暮れてしまったときは余った布団で寝させてもらったことだってある。だけど、台所にまで足を踏み入れるのは今回が初めてだ。

台所に立ち貰った野菜を台の上に広げていると、様子が気になったらしい不死川様が自室から顔を出した。足音もなく近づいてきた彼に飛び上がりそうになる心臓を押さえつけながら口を開く。

「風柱様、もち米をたくさん頂いたのですがこれはどうしましょう?栗もあるので栗おこわにしましょうか」
「……そこに小豆が置いてある」
「小豆?」

不死川様が顎でしゃくった先を見に行くと、言われた通り小豆の入った大きな袋がいくつも並べてあった。非常食にしては量が多い。これだけあるということは、不死川様は小豆が好きなのだろうか。そういえば稽古の合間に「腹ごしらえだ」と言ってお茶とおはぎをよく食べていたような気がする。……じゃあ、さっき言った言葉はもしかしておはぎが食べたいってこと?

「小豆もあることですし食後用におはぎも作っておきますね」
「あァ」

伺うように発した言葉に不死川様は短く答えると、再び自室へと戻っていってしまった。嫌がらなかったということは、やはりおはぎが食べたかったのだろうか。もしかして、それを言うためだけに顔を出してくれたってこと?……そうだとしたら、いつも恐れられてばかりの風柱の意外な一面を見られたようで少し嬉しい。包丁を握る手が心なしか軽くなったような気がした。

二人分にしては十分すぎるほどの量の食事を平らげた後、おはぎを口に運びながら刀の手入れをしている不死川様にちらりと視線を向ける。私が皿を重ね合わせているかちゃかちゃという音以外はこの家からは何も響いてこない。鬼殺隊最高位である柱は隊士の中でもとびきり大きな屋敷を与えられているのに、この家には不死川様以外が住んでいる気配はない。……住んでいないからこそ、今日こうして私が上がり込むことが出来たわけだけれど。不躾な質問だとは分かっていながらも、稽古中とは違い全く声を荒げる気配のない彼に『今なら聞ける気がする』と兼ねてより気になっていたあのことについて尋ねてみることにした。

「風柱様は女中は雇われないんですか?」
「こんな男の家に上がりたがる女なんざいねェだろォ」

丁寧に日輪刀を磨いている不死川様が視線を落としたまま言った。『こんな男』というのは、いつ死ぬやも分からぬ鬼殺隊の身空という意味か、彼の顔や体についた無数の傷のことを指しているのか、それとも彼自身の荒々しい気性のことを指しているのか。私には判断しかねる。柱には一般隊士よりも大きな額の給金があるはずだから、女中の一人や二人雇うことなど造作もないだろうに。それをしていないということは、不死川様が他人に家の敷居を跨いでほしくないということなのだろうか。

そこまで思い至っても、やはり、これだけ広い屋敷に誰も迎え入れず一人で暮らしているというのは寂しくなったりはしないのだろうかと、差し出がましいと弁えてはいつつも思わずにはいられないのだ。

「……では、ご結婚はなされないんですか?」
「あァ?」

刀へと落としていた視線を上げてこちらを睨む不死川様に「テメェは鬼殺隊がどんな組織か分かって言ってんのかァ」と凄まれ、間髪入れずに「もちろんです」と答えると不愉快そうな顔を隠そうともしない彼がフンと鼻を鳴らした。

そう、私たちは鬼殺隊だ。鬼狩りを生業とし、鬼を殲滅することを目的として生きている。だけど、それだけを目的として生きることを是とすべきだとは思わない。不死川様が常々おっしゃっているように、鬼は1匹残らず私たち鬼殺隊の手で一網打尽にするべきだとは思うけれど、そのために他の何もかもを犠牲にするべきだとか、そのためだけに私は生まれてきたのだとかは、どうしても思いたくなかった。だって、私たちは鬼を殺すための道具なんかじゃなく、一人一人の人間だ。誰かを愛し、誰かに愛され、絆を紡ぎ、時にすれ違うこともあれど手と手を取り合って笑い合えるような、そんな幸せな人生を送る権利が私たちにはある。それは例え鬼であろうと、何人たりとも邪魔できやしない。……私はこう思うのだけれど、この方はそういう風には思われないのだろうか。

「同じ柱の方でも宇髄様は三人の奥様がいらっしゃるそうですよ」
「あいつと一緒にするんじゃねェ」
「そうですか?私は宇髄様と同じくらい不死川様も素敵な方だと思いますが」
「……本気で言ってんのかァ?」

本気も本気、大真面目だ。稽古や戦い方の苛烈さから隊士の中でも恐れられることの多い不死川様だが、決して理不尽な怒りをこちらにぶつけてきたりはしないし、課す鍛錬の内容が厳しいのは鬼を殲滅するという目的あってこそだ。それを理解することのできる人間が、鬼殺隊の中で一人でも多くいればいいのだけれど。その中で一番に彼を理解できる者が私であればよいと、そんなことを考えてしまう。

普通の女としてではなく鬼殺隊の隊士の一人として生きることを選んだあの日から、愛だの恋だのとは無縁の人生を送るのだろうと思っていた。自分の命よりも大切なものが出来れば出来るほど、それは鬼狩りとして生きる上での足枷となってしまうと思っていたから。大切な人を失ったときの痛みを私はもう知っている。あんな思いは金輪際、二度としたくはない。鬼殺隊である以上、友や仲間との別れは避けられないのだと分かっていても、遺書まで書いて覚悟を決めた上でのことであったとしても、それでも、鬼殺隊である以上自分や仲間が命を散らしていくことは仕様がないのだと、割り切れるだけの強さをまだ私は持ち合わせていなかった。

心のどこかで、柱にまで登り詰めたお方がそうそう死ぬはずはないと、どれだけの鬼が束になってかかってこようとも彼らは倒れやしないのだと、そう思い込んでしまっていた。だけど違った。上弦の鬼との戦いを経て音柱様はとても五体満足で戦える身体ではなくなってしまったし、あれほど強く圧倒的な光を放っていた炎柱様はもうこの世にいない。私たちは人間だ。それは柱とて、不死川様とて同じで、いつかは死んでしまう。……だけど、『仕様がない』の言葉ひとつで割り切るには人の温もりというのはあまりにも身近で、そして残酷なものだった。

3つめのおはぎを平らげた不死川様が窓の外を見て「もう日暮れだぞ。帰れェ」と言うのを聞いてすぐに立ち上がる。すんなり帰ろうとした私に少しだけ面食らったような顔をした不死川様に向かって口を開いた。

「今日はありがとうございました。……私は女ですが、不死川様のお家にならいつでも招かれたいと思っておりますよ。あ、もちろん妙な意味ではなく稽古をつけてほしいという意味ですが」
「……テメェも懲りねえなァ」

首の後ろに手を当てながら不死川様がふうと短く息を吐いた。玄関の扉に手をかけ小さく頭を下げると、不死川様が「早く帰れ」とばかりに玄関先を顎でしゃくって言う。

「次野菜持ってくるときは保存がきくようにしてからにしろォ」
「はい!」

逸る気持ちを押さえて風柱邸からの帰り道を急ぐ。一歩ずつ足を進めながら、先ほどまでの不死川様とのやりとりを思い出しどきどきと鼓動が速くなっていくのを感じた。決して穏やかな気性とは言いがたい彼の、時折見せる凪いだ風のような表情が好きだ。

この昂る胸の鼓動が恋でないというのなら、私はきっと、恋というものが何であるかを一生理解することは出来ないのだろう。