それでも終わりは遠いらしい

善逸くんには恋柱様の継子になれるだけの才能があると私は思うのだけど、どうだろうか。

「無理無理無理無理!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!ちゃん助けて!助けて!助けてェー!」

……やっぱり無理かもしれない。

鬼に追われながら脱兎の如くこちらへ一目散に駆けてくる善逸くんの頭を一発叩いてから同じように走り出す。鬼殺隊隊士が二人揃って鬼を前に逃げるとは何事か、とここに柱がいれば一喝されそうなものだけれど、残念ながら柱の方々はここにいない。そもそも柱ぐらいに強い剣士がいたら、鬼が出ると言われる里から鬼殺隊隊士が二人揃って出奔するようなこんな事態にはなっていないだろう。

何故こんな状況になったかというと、それを説明するためにはざっと3日間ほど時を遡らなければならない。

正直なところ、嫁入り前の女ばかりを狙って食う鬼がいると聞かされたときから嫌な予感はしていた。

ギャアギャアと鴉が騒ぎ出したかと思ったら今すぐ向かうように命じられた場所はなんと(元)音柱様の屋敷で、何か音柱様の耳にまで入るほどの粗相をしてしまったのだろうかと恐る恐る戸を叩くと緊張しきりの私とは裏腹ににこやかな笑みを浮かべる奥様の一人(須磨さんというらしい)に出迎えられ拍子抜けする。どうぞどうぞと須磨さんに言われるがままに通された広間には、音柱様と何故か彼に床に向かって押さえつけられもがいている鬼殺隊の隊士がいた。

……な、何故あの隊士は音柱様に頭を押さえつけられているのだろう。折檻か。折檻なのだろうか。音柱様が愉快そうに口の端を釣り上げながら瞬きもせずにこちらを見ているのは、お前もすぐにこうなるという意思表示なのかもしれない。恐ろしすぎる。

しかし肝を冷やすこちらとは対照的に、今にも鼻歌を歌い出しそうなほど楽しげな表情を浮かべていた音柱様は私と目が合うなり一転真剣な表情を浮かべてこう言った。「嫁入り前の女ばかりを食う鬼がいる。お前にはその鬼の退治に向かってほしい」と。……まさか、このまま苦しそうにもがいている彼には触れずに話を進めるつもりだろうか。

「承知しました音柱様。こうして音柱様直々にお話頂けたこと、光栄に思います。して、任務について伺う前に一つお尋ねしたいことがあるのですが……」
「なんだ?引退したもんで俺はもう音柱じゃねえけどな」
「失礼しました。それでは宇髄様、ええと、その、そこで頭を押さえつけられている隊士の方は一体……?」
「ああ、コイツか。コイツも任務に同行させる。祝言を上げる前日の女ばかり狙う鬼を誘き出すためには旦那役が必要だからな」
「ちょっと待ってちょっと待って俺も行くなんて一言も聞いてないんですけど!?」
「だから今言っただろ」
「頭押さえつけながら言うことじゃなくない!?」

足元でじたばたと暴れる隊士の頭をようやく離した宇髄様が「お前が暴れるからだろうが」と言ってカラカラと笑ったのに憤慨し掴みかかろうとする黄色い頭の隊士と宇髄様とのやり取りを眺めながら心の中で舌を巻いた。……あの筋骨隆々で派手好きで傲岸不遜と名高い宇髄様と、全く臆せずに喋っている。凄いなこの子。見たところ私よりも年下のようだけれど、こんな隊士鬼殺隊にいただろうか。これほど親しげに元ではあれ柱の一人と話をしているということはこの隊士は宇髄様の継子なのかもしれない。音柱様に継子がいるという話は聞いたことがないが、秘蔵っ子という可能性もある。そうであるなら失礼のないようにしなければ。

未だ床に這いつくばり頭だけを上げて宇髄様と口論を繰り広げているひまわり色の髪の隊士に向かって手を差し出しながら言った。

、階級は己。よろしくお願いします」
「あ、我妻善逸、階級は庚……のはず。よろしくお願いします。……ねえやっぱりこの任務やめにしない!?嫌な予感しかしないんだけど!」

私の手を握った善逸くんが、「さっきサラッと流してたけど俺たち夫婦のふりするんだよね!?」と大きな声でわめきながら立ち上がる。涙をいっぱい溜めた大きな目をしきりに瞬きさせながら彼は続けた。

「結婚するなら禰豆子ちゃんとって決めてるのに!」
「祝言を上げるふりをするだけだ。今回出る鬼ってのはどうも嫁入り直前の女に執着してるようだからな」

嫁入り前の女ばかりを狙う鬼が相手だと聞いて今回の任務に私が呼ばれたことに合点がいく。元より鬼殺隊には女が少ない。鬼の頸を刈り取るためには日輪刀を振るわなければいけないからだ。刀を振り上げるのにも、その刀を使って鬼の身体へ一撃を食らわせるのにも膂力がいる。膂力がない者は鬼に敵わず殺されるか、隠となるか、蟲柱様のように力以外の手段で戦うかだ。

ひとまとめに『鬼』と言っても様々な種類の者がいて、人里を襲っては誰彼構わず贄にする鬼もいれば、若い女や鍛え抜かれた剣士など特定の者だけを狙って捕食する鬼、挙句の果てには人間のふりをして世間に紛れて暮らしている鬼さえもいると知ったのは鬼殺の剣を振るうようになってからだった。彼らは生まれながらにしての異形ではなく元は人間だった者たちだと聞かされた後に初めて頸を刈り取った日は、刃を肉に突き立てる感触がいつまでも掌から消えずに次の日の明け方まで眠りにつくことが出来なかったものだ。眠れないのはそれきりだったけれど、今でも時折、頸を斬るときに視線が合うその一瞬、ほんの一瞬だけ彼らが人間だったときのことに想いを馳せてしまう。……もちろん、情けをかけたところで一度鬼になってしまった者を人間に戻す手立ては今のところは存在しておらず、かつての姿がどんなものであろうと今はもう私たちを食らう異形の者でしかないのだと分かってはいるのだけれど。

件の鬼が出ると言われる里を目指す道すがらで驚きの事実が判明した。なんと善逸くんはあの炭治郎くんの同期らしい。炭治郎くんが蟲柱様の継子の女の子と同期なのは知っていたけれど、善逸くんもだったのか。ということは、まだ鬼殺隊に入ってそれほど年月が経っていないということ。それでもう庚なのだというのだから、この子も炭治郎くんと同じようにヒノカミ神楽とか、そういう特別な技を使うのかもしれない。

元音柱邸で宇髄様に向かってわめいていたときはそれほど強いようには見えなかったけれど、人は見かけによらないものだ。仲間の情報は多く知っておくに越したことはないだろう。里に着くまでにはまだ時間もあるし、ここは一つ隊士としての善逸くんの話でも聞かせてもらうことにしよう。

「炭治郎くんとカナヲちゃん以外にも善逸くんの同期っているの?」
「いるよ。伊之助とか、名前知らないけど身体でかい目つき悪い奴とか。ちゃん伊之助と会ったことある?」
「ううん、会ったことない」
「会わない方がいいよ。伊之助のやつ猪に育てられたらしくてさぁ、人の常識が全然通じないから。最初会ったとき同じ鬼殺隊隊士なのに半裸で猪の頭被って「猪突猛進」って叫びながら攻撃してきてコイツやべー奴だって思ったもん」
「えっちょっと待って今善逸くん猪の頭って言った?」

猪の頭を被って半裸で「猪突猛進」と連呼しながら仲間にさえも剣を振るう隊士。それは本当に鬼殺隊隊士なんだろうか。……妖怪の類じゃなくて?

鬼になった妹を連れている炭治郎くんだけでも手に負えないというのに、そんな猪人間まで同期とは。善逸くんも何かと苦労していそうだ。同情の意味を込めてポンと善逸くんの肩に手を置くと「どうしたのちゃん、もしかして本当に俺と結婚したくなっちゃった?でも俺には禰豆子ちゃんという心に決めた人が……」と聞いてもいないのに言われて全力で頭を振った。

この世に男性は星の数ほど多くいれど、不死川様以外の男と結婚したいだなんて、そんなまさか。あくまで『ふり』とはいえ一時的にでも夫婦を装って、あの方以外の人と祝言を上げることだけでも少し憂鬱だというのに。元柱の、宇髄様直々のご指名でなければ即刻断っているところだ。

そういえば、さっきから善逸くんは禰豆子ちゃん禰豆子ちゃんとしきりにその名を口にしているけれど、禰豆子ちゃんとはあの禰豆子ちゃんだろうか。……炭治郎くんの妹の?だとしたら、それは。

「善逸くんは、えーっと、禰豆子ちゃん……っていう子のことが好きなの?炭治郎くんの妹だよね?」
「そうだよ!禰豆子ちゃんは凄いんだ、強いし可愛いし綺麗だし、それに……」

待ってましたとばかりにいかに禰豆子ちゃんが魅力的かとぺらぺらと語り出した善逸くんから目を逸らし、頭を巡らせる。鬼殺隊の中で禰豆子といえば、炭治郎くんの妹の竈門禰豆子しかいない。……鬼舞辻に鬼にされたはずの、炭治郎くんの妹だ。その子が好きだというのなら、それは、善逸くんは人間ではなく鬼に惹かれているということになる。これはまずい。炭治郎くんや伊之助くんの話を聞いて変わり者ばかりの同期と任務に当たっているなんて、なんて運のない子だろうと思っていたけれど、どうやら一番の変わり者はこの子だったらしい。この先二人で合同任務、しかも夫婦のふりだなんて上手くいくのだろうか。一気に先行きが不安になってしまった。しかし心ゆくまで禰豆子ちゃんの魅力を語り倒して上機嫌な善逸くんは私の不安なぞどこ吹く風で、にこにこと笑いながら問いかけてくる。

ちゃんはいるの?好きな人」
「……憧れてる人ならいる、かな」
「えっ誰、誰?鬼殺隊?俺の知ってる人?」
「知ってる人だと思う。えっと、風の柱なんだけど……」
「えっ風のおっさんが好きってこと!?」
「風のおっさん!?!?」

思わず大きな声を出してしまった。あ、あの不死川様をおっさん呼ばわりなんて罰当たりがすぎる。どこかで聞かれていたりでもしたらどうするんだ。そんなことになればもう一生何があっても口を聞いてもらえない。きょろきょろと辺りを見回して、不死川様がいないことを確認して胸を撫で下ろした。……炭治郎くんもそうだったけど、善逸くんといると心臓がいくつあっても足りない気がする。

「そっかぁ、ちゃん風柱が好きなんだ。……どうしよう、俺今回の任務すごい不安になってきた。ちゃんと出来る気がしないんだけど」
「その台詞そのままそっちに返すよ」

ああ宇髄様、私たちはこんな調子で無事に二人で鬼を狩ることが出来るんでしょうか。鬼殺隊である以上、役目を果たすことが私たちの責務であることは百も承知の上で、抜けるような青空を仰いで溜め息を吐く。この不安が残念ながら3日後には見事的中してしまうことを、このときの私と善逸くんはまだ知る由もない。