失われる痛みについて

柱稽古が始まった。一言で言ってしまうと地獄だ。不死川様のご指導はいつも厳しいと感じていたが、それは不死川様だけでなく柱全員に言えることだったようだ。継子にならずとも柱直々にご指導頂けると聞いたときは私一人に稽古をつけてくれる訳ではないのかと少し残念に思いながらも舞い上がらんばかりに嬉しかったものだが、そんな気持ちなど宇髄様の走り込み稽古が始まった瞬間にどこか彼方へと飛んでいってしまった。

一体何故こんな稽古が始まったのかというと、禰豆子ちゃんが鬼の身でありながら太陽を克服したからである。刀鍛冶の里で炭治郎くんと玄弥くんが恋柱様や霞柱様とともに上弦の鬼を倒し、禰豆子ちゃんが太陽の下を歩けるようになった今、毎夜のごとく続いていた鬼の出没はピタリと止み、多忙を極めていた柱の方々も夜の警備と日中の訓練に集中出来るようになった。そして、来るべき鬼との大規模な戦いに備え、私たち下級の隊士も柱直々にご指導頂けることになったのだ。

柱稽古には蟲柱様と水柱様以外の柱全員が参加されている。まず手始めに元音柱の宇髄様の走り込み稽古から始まり、霞柱による高速移動の伝授、恋柱様直伝の柔軟性を鍛えるための特訓、蛇柱様による太刀筋矯正、風柱様との無限打ち込み稽古、そして岩柱様による筋肉強化訓練へと続くらしい。一口に『柱』と言っても彼らの戦い方や型はそれぞれだ。もちろん一朝一夕とはいかないだろうけれど、柱の方々が磨き上げられてきたそれらを一般隊士である私たちにも習得出来るようにしてくれるというのだから、これほど贅沢なことはないだろう。

……なんてことを善逸くんに言ったら「ああもうやだ鬼殺隊って何でこういう前向きなやつしかいないわけ!?ちゃんなら分かってくれると思ったのに!俺はやだよ柱と四六時中ぶっ続けで稽古なんてさぁ!身体が何個あっても足んなくて死んじゃうよ!」と地面をゴロゴロ転がりながらひとしきり文句を言われた。炭治郎くんの骨折が治っておらず柱稽古にはまだ参加できないから一人で宇髄様の元へと向かわなければいけないことが相当嫌だったらしい。前に宇髄様のお屋敷で二人が話しているのを見たときは善逸くんは音柱様の継子なのかと勘違いしてしまうほど親密な様子だったのに、何をそんなに嫌がっているんだろう。そう疑問に思う程度には無邪気に、これからたくさんの仲間と汗を流すことになるのであろう柱稽古を楽しみにしていた時期が確かに私にだってあったのだ。

死ぬ。善逸くんではないがこれは死んでしまう。鬼殺隊の柱となるためには並大抵の努力では足りない。それこそ人間離れした肉体や天性の才能、そして圧倒的な量の修練によって鍛え上げられた剣技がいるということは、もちろん頭では十分すぎるほどに分かっているつもりだった。しかし、いくら頭では理解していようと如何せん身体が着いていかないのだ。

宇髄様の監視の元で来る日も来る日も走り込みを続けること三週間、ようやく「次行っていいぞ」と声をかけられたときは身体の力が一気に抜けて地面へと倒れ込み、その後丸一日かけて須磨さんに甲斐甲斐しく世話を焼いて頂いた。宇髄様の奥様たちにはもう一生頭が上がりそうにない。

続いての霞柱様の高速移動訓練では時透様に手合わせして頂くたびに「全然なってないね」と一蹴され、打ち込み台が壊れるのも構わず素振りを続け、泥のように眠る日々を続けているうちに腕と足と腰がバキバキの筋肉痛になってしまった。音柱様と霞柱様のところで鍛錬をしているうちに心なしか腕や肩や脚が一回り大きくなってしまったように思える。隊士としてはもちろん喜ばしいことなのだけれど、これでも年頃の女の一人としては複雑な心境だ。

そして次の甘露寺様の柔軟性向上特訓では謎の衣装に問答無用で着替えさせられ謎の踊りを覚え込まされた。……こ、この妙な踊りと鬼殺の剣には一体どういう関係があるのだろう。しかし「ちゃん一緒におやつ食べない?巣蜜をたくさん乗っけて食べるとおいしいのよ~パンケーキっていうの!鬼殺隊って女の子が少ないでしょう?だから私、ちゃんが来るの楽しみにしてたんだ」と皿に山盛りになったパンケーキという名前のお菓子(薄べったいカステラのようなものだ)を前にニコニコと笑いかけてくる甘露寺様は天使のように可憐で、このままぐるりと後ろに一回転してしまうのではないかと思ってしまうほどに解された足の痛みもどこか遠くの方へと飛んでいってしまった。……いや、それはさすがに言いすぎた。やっぱり痛いものは痛い。でも恋柱様は可愛い。

これまで三人の柱のところを回ってきたけれど、そうして実感するのは『やはり柱にまで登り詰める方は私たちとは何もかもが違う』というその一点のみで、自身と彼らとの途方もない距離を改めて感じる。いくら稽古を付けて頂いたところで私は彼らのようには戦えないということは不死川様と稽古をしているときに散々言われ尽くして十二分に分かっていたつもりだったのだけれど、それでも、ここまで違うものかと心が折れそうになってしまう。音柱様のところで三週間、霞柱様のところで二週間、恋柱様のところで既に十日も時が経ってしまった。……いくら鬼の出没が止んでいるといっても、次はいつ奴らが動き出すかも分からないのに私は何を悠長にやっているのか。こんな調子では不死川様のところへ辿り着き稽古を付けて頂けるようになるのは一体いつになることやら、考えるだけで気が滅入りそうなる。しかも、後ろからは怪我が全快してようやく柱稽古に参加出来るようになった炭治郎くんが物凄い勢いで迫ってきている。これほど恐ろしいことはない。一刻も早く伊黒様に太鼓判を押して頂いて、堂々と胸を張って不死川様の道場へと向わなければ。

そう、本来なら私は今頃他の隊士とともに蛇柱様に太刀筋を矯正してもらうべく稽古を受けていたはずなのだけれど、何故か今私は少し向こうの道場から辺り一面に響いてくる悲鳴や雄叫びを耳にしながら風柱邸の門を叩いている。玄関の前に立ち「すみません」と声をかけ続けること数分、「ったく、どいつもこいつも根性ねェなァ」とため息を吐きながら不死川様が扉を開けて顔を出した。そしてその顔はすぐにしかめっ面へと変わった。

「……テメェはまだ伊黒のところにいるはずだろォ」
「この前稽古をつけて頂いたときにどうやら木刀をこちらに忘れてきてしてしまっていたみたいで、伊黒様に聞いたら馴染みのある木刀じゃないと出来るものも出来ないだろうからさっさと取りに行けって言われて……上がってもいいでしょうか?柱稽古の邪魔にはならないようにしますので」

ぺこりと頭を下げた私を見下ろした後、返答の代わりにフンと鼻を鳴らして屋敷の中へと踵を返していった不死川様の背中を小走りで追いかける。廊下には彼に稽古で扱かれたらしい隊士が何人も隊服のまま転がされていた。……私もよく鍛錬に熱が入るあまり体力が尽きてしまったときにはこうして床に転がされているから、精根尽きたといった様子で呆けている彼らの気持ちはよく分かる。うっかり踏みつけてしまわないように細心の注意を払いながら、件の木刀を置き忘れてしまった広間へと急いだ。

襖を開け部屋の端の方で転がっている木刀を手に取り、自分のものであることを確かめる。この手に馴染む握り心地は確かに私の木刀だ。ああ良かった、ちゃんとあった。これで伊黒様に稽古をつけてもらえる。早く蛇柱邸へと戻らなければ。脇に差した木刀の柄を今度こそ忘れてしまわないようにしっかりと握りしめ振り返ると、開け放たれた襖に寄りかかるようにして不死川様が立っていて大袈裟なほど肩が跳ねた。……い、いつからそこにいらっしゃったのだろう。てっきり稽古場に戻っているものと思ったのに。腕を組みこちらの様子を眺めていたらしい不死川様が口を開く。

「見つかったかァ?」
「はい。お手間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。風柱様も稽古中だったのに」
「……ちょうど全員ぶっ倒れたから休憩にしたところだ。最近の奴はどいつもこいつも根性がないからいけねェ」

そんな、不死川様と比べたら誰だって「根性なし」と言えてしまうのではないだろうか……と少し思ったけれど、イライラした様子を隠そうともしない不死川様に向かってはとてもじゃないが言えなかった。先ほどまで稽古で使っていたらしい木刀を隅へと置き、ちゃぶ台の前にどっかりと腰を下ろした不死川様へと頭を下げる。

「それでは私はこれで失礼させて頂きます。蛇柱様の太刀筋矯正が終わったら次はこちらの道場へ伺う予定ですので、そのときはご指導のほどよろしくお願い致しますね」
「あァ」
「…………」
「……なんだ、まだ忘れモンでもあるってのかァ?」

立ち去る気配を見せない私に不死川様が訝しげな声色で問うてくる。頭を下げたままふるふると左右に首を振った。蛇柱様に言われた通り自分の木刀はきちんと手に入れたし、風柱邸に置いてきてしまったものはこの木刀以外にはもう何もないはずだ。これでようやく伊黒様に稽古をつけてもらえる。……だけど、実に1ヶ月ぶりに聞いた不死川様の声は私を名残惜しくさせるのには十分で、もう少しだけここにいさせてはもらえないだろうかなどと甘い考えが首をもたげ始めてしまう。

さっき休憩にしたと言っていたし、お茶の時間にするのだろう。不死川様の前に置かれた急須からは緑茶の良い香りが立ち上ってきていた。その香りを胸いっぱいに吸い込みながら、意を決して口を開く。

「忘れ物というわけではないのですが、久方ぶりに風柱様のお顔を拝見出来たので嬉しくなってしまって……柱稽古の調子はいかがですか?」
「先刻から言ってんだろォ、どいつもこいつも根性なしで張り合いがねェ」
「不死川様と張り合える方は鬼殺隊の中でもそういないでしょうから……でも、普段はお忙しい柱の皆様にお相手して頂けるまたとない貴重な機会なので、隊士の方たちも一つでも多くのことを物にできるよう必死でやってらっしゃると思いますよ」

もちろん私だってそのうちの一人だ。柱直々にご指導頂けるせっかくの機会なのだから、剣技だろうと心構えだろうと戦略だろうと一つ残さず自身の鬼狩りとしての糧としていきたい。彼らに言わせるとまだまだ何もかもが足りないのだろうけれど、私たち下っ端隊員とて死にものぐるいで鬼狩りをやっていることには変わりないのだ。柱の貴重な時間を鍛錬に費やしてもらっている分、せめて彼らにも何か見返りのようなものがあればいいのだけれど……と独り言のようにこぼすと、私の言葉を黙って聞いていたらしい不死川様が「あァ?」と眉を吊り上げて言った。

「時透と甘露寺に聞いてなかったのかァ?」
「何がですか?」
「あいつらは刀鍛冶の里で戦ってる最中に身体に痣が出た。痣が出てからの力は全集中の呼吸の比じゃねェそうだからなァ、これから鬼舞辻や上弦の鬼と戦うために柱は全員痣が出せるようにならなくちゃならねェ。これはそのための稽古でもある」
「そ、そうだったんですね……」

そういえば鴉から柱稽古のことを聞かされたときにそういう風なことも言っていたような気がする。柱直々に稽古をつけてもらえるということはつまるところ不死川様に頭を下げずともご指導頂けるのだと舞い上がってばかりで、そもそも何故こうした大規模な訓練が始まったのかなんてことはすっかり頭から抜け落ちてしまっていた自分が不甲斐ない。心の中でこっそりと自分に喝を入れ直し、不死川様へと続けて訊ねた。

「痣を出さないといけないってことは、柱の方々は私たちとは別に何か特別な稽古をなさるんでしょうか?」
「基本的には打ち込み稽古だなァ。あとは柱同士での手合わせもする予定だ。痣が出る条件は聞いてんのかァ?」
「いえ。……ええと、確かに鴉はそのようなことを言っていたような気もしなくはないんですが、右から左へ抜けていってしまったみたいで」
「はァ?テメェ、そんな調子で柱稽古が務まると思ってんのかよォ……また蝶屋敷に逆戻りになっても知らねェぞ」
「申し訳ありません……」

稽古中でもないのに怒られてしまった。機嫌が悪そうに顔を顰めた不死川様から大きな舌打ちが聞こえてきたけれど、こればかりは不死川様の言うことが全面的に正しいので何も言えない。柱との合同稽古という未知の響きに浮かれすぎてしまった私が悪い。この稽古はあくまで来るべき鬼舞辻や上弦の鬼との戦いに備えて行われているということを決して忘れてはならない。一刻も早く伊黒様に次の道場へ向かう許可を頂いて、正々堂々と不死川様に稽古をつけて頂けるよう今一度気を引き締めて臨まなければ。

会話が途切れてしまった。不死川様が手に持った湯呑みからズズ、と緑茶を啜っている音だけが部屋に響く。……修練場で稽古をやっているはずなのに、ここにはまるで私と不死川様しかいないように思えてしまうほど屋敷の中は静かだ。さっき不死川様が言っていた「全員ぶっ倒れた」という言葉は誇張でも何でもなく本当なのだろう。稽古中の苛烈さとは打って変わって穏やかな表情で黙々と緑茶を飲んでいる不死川様へ、何とか会話を切らすまいと声をかける。

「……ええと、その、柱の方々との稽古を続けていれば私にもその痣が出せるようになるのでしょうか?」
「テメェにゃ無理だろうなァ」

一蹴されてしまった。

「時透の話によりゃ、鬼の毒を食らって心拍数が200、体温が39度以上になったときに身体に痣が浮き出たらしい。テメェみてぇな奴がそんな状態になりゃ間違いなく死ぬだろうな」
「……体温が39度以上」

人間の体温は通常であれば36度程度だと聞く。39度以上の熱に浮かされていれば、手を動かすのもやっとという状態だろう。そんな状態で刀を握ったら、並の隊士であればすぐに死んでしまう。それでも動ける者だけが、痣が出ることによって強力な力を手に入れることが出来るということなのだろうか。……彼の言う通り、私ならきっと耐えられない。剣技も体格も判断力も何もかも、柱の方々ほどは恵まれなかった。それでも鬼を倒したいと思う心だけは彼らにだって負けはしないと自負しているけれど、倒したいと願うだけでは彼らの役には立てないのだ。そのことを改めて、痛いほどに思い知らされる。きっと私が十人で束になってかかっても不死川様や柱の方々には敵わないのだろう。そんな風に物思いに沈んでいった私の思考を、「……ただなァ」と言う不死川様の言葉が遮った。

「痣ってやつも良いことだらけな訳じゃねェ。発現すりゃ強い力を得られるが、その代わり痣が出た奴は25になるまでは生きられねェんだと。要するに寿命の前借りってことだ」
「え?」

聞き間違いだと思った。聞き返してみても不死川様は何も答えない。『寿命の前借り』という先程の彼の言葉が頭の中でぐるぐると回る。

「で、ですが、その、……それでは不死川様は」
「……いい、言うな。柱は皆承知したことだ。今更お前にごちゃごちゃ言われたところでやめやしねェ」

まだお若い時透様は別として、不死川様は21だ。悲鳴嶼様に至っては25を過ぎているはず。痣は要するに寿命の前借りで、痣が出た者たちは強力な力を得る代わりに長くとも25歳までしか生きられないというのなら、……もし痣が出てしまったらその時点で、彼に残された時間はあとわずかということになる。それはいくら何でもあんまりではないか。

ぽた、と目から滴が一粒こぼれ落ちた。

「……なんでお前が泣く」
「これで泣かない方がおかしいですよ!」

不死川様。私たちが鬼殺隊である以上、「死なないでほしい」とは口が裂けても言えない。言えないけれど、せめてこのときばかりはそう心から願ってしまうことを、どうか許してはもらえないだろうか。

ぽたぽたと目から落ちる涙が畳を濡らしていく。……鬼殺隊の中でも特別大きな額の給金をもらっている柱のお屋敷だから、きっとこの畳も上等なものなのだろう。そんなものを私の涙で汚してはいけない。そんなことは分かっているのに、次から次へと溢れてくる涙の止め方が分からなくて目を擦りながら鼻を啜る。「チッ」と先刻よりも大きく舌打ちをした不死川様が立ち上がって奥の部屋へと向かい、布切れのようなものを手に戻ってくるのが見えた。投げ付けられたそれを潤む視界の中で受け止めると、「使え」と呆れ返ったような声色の不死川様の声が降ってくる。

「……あ、ありがとうございます」
「ぶっ倒れてる隊士どもに俺が泣かしたって言われちゃたまんねぇからなァ」

「それ使ったら今すぐ帰れ。こんなとこでチンタラしてる奴に用はねェ」と低い声で凄まれ「申し訳ありませんでした」と頭を下げてから渡された布切れで涙を拭って立ち上がる。……また不死川様に迷惑をかけてしまった。居た堪れない気持ちでいっぱいになりながら、背中を向けてしまった彼へもう一度頭を下げる。襖に手をかけ部屋から出ようとしたその時、「テメェに泣かれちゃ俺もどんな顔すりゃいいか分からなくなるだろうがァ」と呟くようにして言った小さな声が聞こえてきた。後ろに立つ彼に向かって勢いよく振り返ってみても、そっぽを向いてしまった彼の表情は見えない。……不死川様。

たまらず目の前の自分よりもうんと大きな背中にしがみつくと、彼の身体が強張るのが分かった。引き剥がされないのをいいことに硬い背中に頭を擦り付けると、不死川様の身体がびくりと跳ねる。振り返った彼がおずおずと躊躇いがちにその逞しい腕で私の両肩を掴んで、そしてーーーー

「調子に乗るんじゃねェ!」

床に向かって思い切り投げ飛ばされた。どうして。今のは明らかに、そういう雰囲気じゃなかったのか。突然の衝撃にろくに受け身もとれず、まともに床にぶつかった身体の節々が痛む。これが一般人であれば首の骨が折れて死んでいるところだ。まがりなりにも鬼殺隊で良かった。不死川様に鍛えられていて良かった。

私を投げ飛ばした不死川様はというと、肩を怒らせまさに憤怒の形相でこちらを睨み付けている。どうしよう。殺されるかもしれない。そんなにも気に障ることをしてしまったのだろうか。……してしまったんだろうな。だって現に不死川様がこれまで見たことないくらいに怒り狂った顔してるし。

いくら想いを募らせることがあってもこんな風に不用意に触れてしまうつもりではなかったのに、痣の話を聞いてどうしても抑えられなかった。どうしよう。不死川様がめちゃくちゃ怒ってる。こんなにも怒っている彼を見るのは炭治郎くんや禰豆子ちゃんと初めて顔を合わせた柱合裁判から帰ってきたあの日以来ではないだろうか。運良く殺されなかったとしてももう一生口を聞いてもらえないかもしれない。稽古だってつけてもらえないかもしれない。それはある意味では死んでしまうよりも辛い。そうだ。彼の言う通り、調子に乗りすぎてしまった。継子にしてもらえずとも稽古をつけてもらえるくらいには、こうして顔を合わせたときに気にかけてもらえるくらいには、彼に憎からず思われているのでは、と。妙な期待を抱いてしまうからこんなことになった。憤怒の形相を浮かべこちらを見下ろしたたまま微動だにしない彼へと恐る恐る声をかける。

「……あ、あの、不死川様」
「……テメェは一生伊黒のところで素振りでもやってろ」
「そんなー!」

床に転がる私を置いて、ぷいとそっぽを向いて歩き出した彼によって勢いよく閉められた襖の向こうへ手を伸ばしながら言った悲痛な声が屋敷中に木霊する。……ああ、どうしよう。かつてないほどに不死川様を怒らせてしまった。こんなことになるつもりは微塵もなかったのに、どうしてこうなってしまったのか。いくら頭で問いかけてみようとも、しんと静まり返った風柱様のお屋敷からその問いかけに対する答えが返ってくることはなかった。