あなたみたいに死にたかった

「えっちゃんって風のおっさんの継子なんじゃなかったの?とっくに継子にしてもらってるんだと思ってたけど」

不死川様と炭治郎くんの乱闘騒ぎがあった翌日、上からきつくお叱りを受けたのがよっぽど堪えたのか、蝶屋敷で手当てを受けてすっかり綺麗になった顔にしょんぼりとした表情を浮かべた炭治郎くんが善逸くんとともに風柱との修業は中断して岩柱の修業場へ向かうことになったとわざわざ報告をしに来てくれた。

……そうなるだろうなとは薄々思ってたけれど、炭治郎くんと不死川様はやっぱり接近禁止になってしまったらしい。接近禁止の上に修業も中止ってことは私が不死川様に「次行っていいぞ」と言われるまで炭治郎くんと善逸くんにはもう会えないんだろうな。そう思うと挨拶もそこそこに別れてしまうのが名残惜しくなり、これから悲鳴嶼様の修業場である向こうの山の方へ向かうと言う彼らを引き止め少し立ち話をする。途中、「さんは今日は何をするんですか?」と炭治郎くんに尋ねられ「不死川様の柱稽古の順番が回ってきたから稽古をつけてもらうよ」と話すと、善逸くんから素っ頓狂な声で冒頭の質問が返ってきた。とっくに継子にしてもらえてると思ってた、か。鬼殺隊に入ってからもう何度投げかけられたか分からないその問いに、もはやお決まりとなってしまった答えを返しながら自嘲気味に笑ってみせた。

「皆にそうやって言われるんだけど、継子じゃないよ。お願いし続けてはいるんだけど、不死川様には継子取るつもりはないって言っていつも断られちゃうんだよね。お前だけじゃなくて今の鬼殺隊はどいつもこいつも軟弱すぎて話にならないからって」
「軟弱すぎるって、そりゃそうでしょ……俺あの人の稽古受けてるとき毎日死ぬ殺されるって思ってたもん。炭治郎が渡り合えただけでも凄いことだよ。大体さぁ、あんな柱みたいな化物が鬼殺隊にうじゃうじゃいたらこっちが堪らないっての」

「ああ嫌だ、おっさんの稽古のこと思い出したら怖気が止まらなくなってきた」と肩を抱いて震え出した善逸くんを横目で見た炭治郎くんが頃合いだと思ったのか「じゃあ俺たちはそろそろ悲鳴嶼さんのところに向かいます」と頭を下げたのを見て、「頑張ってね」と手を振り二人分の背中が小さくなるまで見送る。次にあの二人と会えるのは、一体いつになるだろう。柱稽古が始まってから、もう随分と日が経ってしまった。これだけ長い間任務に就かないのは鬼殺隊に入ってから初めてだ。次に鬼が動き出すのはいつになるだろうか。それは今日かもしれないし、明日かもしれないし、一週間後かもしれない。

二人の背中へ向けて振っていた手のひらをこちらへ向け視線を落としてみると、あちこちに大きなマメが出来ているのが見て取れた。ここに来るまでに柱の方達からたくさんの指導を受けてきたけれど、少しは剣技に磨きをかけることが出来たんだろうか。久しぶりに稽古をつけてもらえる不死川様にも、成長したって思ってもらえるといいんだけれど。そして今度こそ継子にしても構わないと思えるくらいに認めてもらいたい。次に炭治郎くんや善逸くんと会うときには、そうやって良い報告が出来るようになっていられるといい。

マメだらけの手をぎゅうと握りしめ気合を入れ直し、不死川様が待つ道場の扉を開ける。既に素振りを始めていた不死川様が「遅ェ」と低く唸るように呟いた言葉に頭を下げた後、自分自身に喝を入れるように大声で発した「よろしくお願いします!」の言葉が道場中に響き渡っていた。

先程まで確かにそこにあったはずの地面が抜け落ちる感覚というのは、これほどまでに気持ちが悪いものだっただろうか。

「緊急招集」と鴉が騒ぎ出してから、お館様の屋敷に火の手が上がるまでは瞬きもする間もないほどだった。辺り一面に立ち込める大量の爆薬と肉が焦げ付いた匂い。その匂いのあまりの醜悪さに片手で鼻を覆いながら煤まみれになった産屋敷邸の残骸を呆然と見つめる。今ここで何が起こったか、炭治郎くんのように鼻が利かない私にだって分かる。お館様の身に何かあったのだ。……そして、この火の勢いと焦げ付いた匂いから、おそらく無事ではないのだろうということも。

一つ深呼吸をして、それから走り出す。風に乗ってこちらへ飛んでくる煤を払い除けながら日輪刀を構え産屋敷邸へ近づくと、ごうごうと燃え盛っている炎と煙の奥から「鬼舞辻無惨だ!」と叫ぶ悲鳴嶼様の声が聞こえた。刀の柄を握り直し、地面を強く蹴る。同じように鬼舞辻へと一直線に向かっていく隊士たち、その中に一際光る白銀の髪を見つけたとき、確かに踏みしめたはずの地面がぱっくりと穴を開け、私たちは鬼の根城へと文字通り叩き落とされていた。

右も左も分からない空間を日輪刀を振り回しながら進んでいく。後から追いかけてきたらしい鎹鴉が戦況を話す度、刀を握った手がギチギチと音を立てた。この世は地獄だ。善良な人間からバタバタと死んでいく。……お館様も、胡蝶様も、時透様も、そして玄弥くんも。誰一人として奪われていい命ではなかった。こんなこと、もうここで金輪際終わりにしなくてはならない。何としても鬼舞辻無惨に、あの全ての元凶となった男に、今日ここでとどめを刺さなければ。これ以上、誰も奪わせるわけにはいかない。先導する鴉が口を開く度、どうか次に挙げられる名前が不死川様のものではありませんようにと祈りながら、斬っても斬っても湧き出てくる鬼たちを無我夢中で薙ぎ払いどこまでも延々に続いていきそうな廊下を走り抜けていった。

終わりは突然やってくる。思えばいつだってそうだった。両親が鬼に襲われ何もかもが変わってしまったあの日も、身寄りのない私を引き取ってくれた祖母が病に倒れたと報せがあったときも、鬼殺隊の仲間が次々に奪われていく今も、いつだって私は大事な人の大事なときに限って傍にいられない。どうしてこうなってしまうんだろう。もう少し早く駆けつけることが出来ていたのなら、私の剣があと少しだけ強かったら、そうしたら、もう何も失わずに済んだんだろうか。

夜明けまであと一時間半、突然動き出した城に振り落とされないように何とかしがみつき、外へと放り出された衝撃で崩れた瓦礫の下から這い出ると鬼舞辻無惨がそこに立っていた。そのあまりの禍々しさに、あれは本当に私たちがこれまで戦ってきた鬼と同じものだろうかと惚けているうちに「行けー!進めー!」と隊士が叫ぶ声がして我に返ると、柱の人達を少しでも守ろうと肉の壁として飛び出していく隊士たちの背中が視界に入り、遅れを取ってしまったことに気づく。刀を構えて踏み出そうとしたその刹那、遠く離れたところにいるはずの鬼舞辻の身体から伸びた管が頭と腰をかすめ、身体中に走る痛みに声にならない声を上げ地面に蹲った。すんでのところで避けたと思ったのに、避けきれなかった。

やってしまった。頭から垂れてきた血で視界が赤黒く染まっていく。腕に力が入らなくて、日輪刀が指から滑り落ちた。落ちた刀を拾おうと身体を動かそうとするも、灼けるような痛みで意識が朦朧とする。ぐらぐらと揺れる視界の中、鬼舞辻と今ここで決着をつけようと決死の覚悟で飛び込んでいく隊士たちの声が段々と遠のいていくのが分かり、ああ死ぬんだとどこか他人事のように思った。

鬼殺隊に入ったあのときから、鬼との戦いで死ぬことは覚悟していた。いつ死んだって構わないように遺書だって書いた。思い残すことなんて何もないはずだった。それでも、こんな最期は想像していなかった。まだ何の役にも立っていないのに、最後まで不死川様に認めてもらえずじまいだったのに、こんなところで終わるなんて。死ぬことは覚悟していた。それは嘘じゃない。鬼から大事な人たちを守りたかった。あの日、彼が私にしてくれたように、あの人が私にとってそうだったように、私も誰かの助けになれたらと、そう思って今日までやってきたはずだった。……だけど結局、私の剣じゃ鬼舞辻にかすり傷すら付けることも出来ないんだ。

ギャギャギャと絶え間なく柱の方達の刀と鬼舞辻の身体がぶつかり合う音が響く中、加勢に来た悲鳴嶼様と不死川様の声が耳に届く。良かった生きてくれていたと安堵するとともに閉じていた目を開けると「ブチ殺してやる」と鬼舞辻に向かって吠える不死川様の姿が見えた。その言葉通り、不死川様なら、そして柱の方々ならきっと、いや、必ずや全ての元凶となったあの鬼を今日ここで倒してくれるだろう。一瞬鮮明になったような気がした意識がまた遠のいていくのを感じ、浅く息を吐き出して目を閉じる。

……ああでも、こんな風になることが分かっていたならせめて私も、あなたみたいに死にたかったなあ。